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2009年10月22日 (木)

蕪村の芸術論としての離俗論

蕪村の門人の召波がある日、蕪村に「俳諧とは?」と聞いたところ、蕪村は次のように答えたと、召波の『春泥句集』の序にある、という。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~haijiten/haiku4-3.htm

俳諧は、俗語を用ひて俗を離るヽを尚ぶ、俗を離れて俗を用ゆ、離俗の法最かたし。
いわゆる蕪村の「離俗論」である。

この離俗論は、絵画の芸術論から転用したものだという。
上記の召波と蕪村の問答に次のようにある。

却問、叟(おきな・蕪村のこと)が示すところの離俗の説、その旨玄なりといへども、なを是工案をこらして我よりして求むるものにあらずや。しかじ彼もしらず、我もしらず、自然に化して俗を離るるの捷径ありや。
答曰く、あり、詩を語るべし。子もとより詩を能す、他に求むべからず。彼(召波)疑敢問。夫詩と俳諧といささか其の致を異にす。さるを俳諧をすてて詩を語れと云。迂遠なるにあらずや。
夫詩と俳諧といささか其の致を異にす。さるを俳諧をすてて詩を語れと云。迂遠なるにあらずや。
答曰く、画家に去俗論あり、曰、画去俗無他法、多読書則書巻之気上升市俗之気下降矣、学者其慎旃哉。それ画の俗を去るだも筆を投じて書を読ましむ、況んや詩と俳諧と何の遠しとする事あらんや。波すなはち悟す。

離俗論について、小西甚一『俳句の世界―発生から現代まで』講談社学術文庫(9501)は、以下のように解説している。

蕪村が有名な離俗論を提唱したのもこの頃(注:明和5(1768)年。蕪村53歳)だったらしい。蕪村によると、俳諧は、俗語によって表現しながら、しかも俗を離れるところが大切なのである。この離俗論は、画道から啓発されたもので、当時著名だった「介子園畫傳」初集(ママ)の去俗説を承け、俳諧を修行することは、結局、その人の心位を高めることによって完成されるのだと主張する。その実際的方法としては、古典をたくさんよむことが第一である。古典のなかにこもる精神の高さを自分のなかに生かすこと、それが俳諧修行の基礎でなくてはならない。古典といっても、何も俳諧表現に関係のあるものだけに限らない。むしろ表現とは関係がなくても、人格をみがき識見をふかめるための「心の糧」こそ俳諧にとっていちばん大切なのである--。この思想は、蕪村の描く画についても共通である。かれの画は、南画とか文人画とかよばれるもので単なる技巧だけの画とは性質を異にする。いくら巧くても、巧いだけではいけない。その他にどうしても気韻の高さがなくてはならない。
……
かれは、俳工でもなければ俳商でもない。かれにとって、俳諧は、第一に、君子あるいは士人の藝でなくてはならなかった。

蕪村は、「画禅堂随筆」という画論にも、万巻の書を読み、千里の路を行き、胸中に俗気のなくなった時の効用を述べている、という。
私は、俗に生きるしかない人間であるが、俗を離れた境地があることは理解できる。
そして、そのためには古典をたくさん読むことが重要であることも。
おそらくは、それが「教養」というものの本質であろうし、現在の教育に欠如した要素ではないか、とも思う。

上記サイトでは、頴原退蔵氏の蕪村論から、以下を引用している。

芭蕉は直ちに対象そのものを諦視した心の中にさびを味はうとし、蕪村はかうして洗練された美意識の統制によって、句境を純化しようとして居る。随って蕪村の句には、必ずしも彼自身の姿と生活とは見出されない。いはば芭蕉の俳諧は即ち芭蕉自身の生活であり、蕪村の芸術は結局芸術そのものに終始して居る。そこに両者の素質に大きな相違が認められるのである。

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