桜井茶臼山古墳の朱塗りの石室
10月23日の各紙は、奈良県桜井市の茶臼山古墳で、全面に朱が塗られた大型の竪穴式石室と木棺が確認された、との橿原考古学研究所の発表を報じている。
写真は、日本経済新聞10月23日。
断面図は、以下のように報じられている。
http://www.asahi.com/national/update/1022/OSK200910220095.html
茶臼山古墳は、初期大和政権の大王級の墓といわれている。
Wikipediaの解説(最終更新 2009年10月22日 (木))は以下のとおりである
桜井茶臼山古墳(さくらいちゃうすやまこふん)は、奈良県桜井市に所在する古墳時代前期初頭の巨大な前方後円墳である。外山茶臼山古墳(とびちゃうすやまこふん)ともいう。
本古墳は、磐余の地に接した初瀬川の左岸にあり、墳丘長207メートル、前方部が柄鏡形をしている柄鏡式古墳である。古墳時代初期の内でも比較的新しいものであり、箸墓に続いて造営された巨大な前方後円墳である。この古墳は戦後しばらくたつころまで学界では知られておらず、自然丘陵を利用し、柄鏡(えかがみ)式の前方後円墳で雑木林に覆われて、単なる丘陵の観を呈している。後円部の頂に高さ2メートル弱、1辺9.75×12.5メートルの貼石のある矩形壇があり、また方形に巡る有孔の壺形土器(二重口縁壺形土器)が壇の裾周りに巡らされているのを別にすると、墳丘に埴輪の使用がない。段築面には葺石がされている陪墳群がみられない。
この古墳の後円部の空濠の外に、宗像人社がある。筑前国宗像郡の宗像神社と同神である。宗像神社は、全国に散在していて、この大和にある神社は、いつ頃からの鎮座か、さらに社殿があるのは何時のことか分からない。しかし、北部九州系の神社が大和にあることは注目に値する。
今回の調査は60年ぶりの再発掘で、石材には、当時は貴重だった水銀朱が全面に塗られており、少なくとも200kgは使われたとみられ、過去最大量の出土例だという。
同時期のほとんどの大型前方後円墳は陵墓や陵墓参考地に指定されていて、立ち入りが禁じられているため、墳丘中心部の調査はきわめて珍しい。
木棺は、コウヤマキの丸太を半分に割って内部をくりぬいた「割竹形」で、底部が長さ4.89m残っていて、復元すると長さ6.7m、直径1.1mで朱を全面に塗っていたとみられる。
数百点にのぼる銅鏡の破片も出土した。
被葬者は不明とされているが、研究成果の整理が待たれるところである。
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