「天ざかる」という枕詞
「天ざかる」という枕詞がある。
「天ざかる夷」というように、「夷」に係る。
藤村由加『人麻呂の暗号』新潮社(8901)では、以下のように説明している。
天は中央や都を指し、そこから離れた意味で“ひな”(ひなびた田舎)に係るという説や、天の遠く隔ったところに日があるから、同音の「ひな」に係るという説や、天のように離れているから、というような説がある。
しかし、未詳というのが定説といっていい。
表記的には、万葉前期においては、「天離夷」がほとんどである。
「離」を中に挟んで、「天」と「夷」が対照に位置する。
意味的にも、「天」は高い意味を持ち、「夷」は低いことを示す。
漢字には、ひとつの字が正反対の意味を持つものがある。
「二」は、「ふたつのものがくっつく」という意味と、「ふたつに分かれる」という意味をあわせ持つ。
「乱」は、「みだれる」と「治める」、「副」は、「ぴたりと寄り添う」と「別々に分かれる」というように、逆の意味をひとつの漢字が持っている。
もちろん、正反対というのは無関係ということではない。
むしろ、正反対とはあい補っているものと考えられる。
「枕詞=被枕詞」のイコールの範疇の1つと考えることができる。
「離」という字は、离(大蛇)と隹(とり)というまったく正反対なものを並べることによって、「くっつく」という意味と「分かれる」という正反対の意味を表わしている。
「天離夷」は、正反対の意味を持つ漢字を並べているわけである。
「離」を中心に、正反対の漢字を並べることによって、「天離 夷」という枕詞は、「別々に分かれる」という意味を表していると解することができる、というのが藤村さんの解説である。
この「天ざかる夷」という用法について詳しく検討している論文がある。
林田正男『「天ざかる夷歌」攷』である。
http://nels.nii.ac.jp/els/110000054957.pdf?id=ART0000394035&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no=&ppv_type=0&lang_sw=&no=1254440964&cp=
林田氏は、冒頭部分で、万葉集の筑紫に関する歌には、「天ざかる夷」「大君の遠の朝廷」「「しらぬひ筑紫」などの詞句を伴うものがあり、これらの表現が筑紫に関係する歌の性格、本質、風土的関連性などに重要な関係を持っている、としている。
そして、先人の考察を概観している。
先ず、高木市之助氏は、「ひな」と「みやこ」が対比的に捉えられることによって、風土的文芸世界を形成している、とした。
中西進氏は、観念的な「ひな」が中央貴族の自意識の中に誕生し、末期万葉の中央官人たちが、選民意識によって都に対比させた、とした。
益田勝美氏は、大伴旅人を「鄙の放たれた貴族」と規定し、彼が都を恋うる望郷の念は、都鄙の差別感を契機としている、として貴族独自の心情の歴史を跡づけた。
石井庄司氏は、「夷」という語は、とくに「天離る」というときには、はっきりと都を本体として、その出先としての「夷」ということになるとして、万葉集における「鄙」と「都」の文学は、「素朴文学」と「情感文学」に比することができる、とした。
戸谷高明氏は、「天離る」は、古今集後選集にはみられないことから、書紀歌謡にはじまり、万葉歌で開花し、終息した表現だった、とした。
これらの論考に共通するのは、「天離る夷」という表現の基盤に、「都」と「夷」を対比的に捉える意識があった、ということである。
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