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2009年10月 6日 (火)

血脈(5)中川昭一元財務相の死

私は、自分が早く父を亡くしたことも関係があるのかも知れないが、父と子の不思議な因縁に関心を覚え、そのことについて何回か触れてきた。
2007年12月 7日 (金):血脈…①江国滋-香織
2007年12月 8日 (土):血脈…②水上勉-窪島誠一郎
2007年12月23日 (日):血脈…③万世一系
2007年12月31日 (月):血脈…④日亜化学異聞

中川昭一元財務相の訃報を耳にしたとき、瞬間的に「自殺ではないのか?」という思いが頭を掠めた。
父親の中川一郎氏との連想である。
「そんなことはあるまい」と思い直したが、睡眠薬を常用していたということでもあり、何らかの薬理的な作用が影響した可能性がある。
とすれば、緩慢なる自殺ということになるのかも知れない。

中川氏といえば、今年2月のG7閉会後の朦朧とした記者会見の様子が記憶に新しい。
2009年2月16日 (月):中川財務相の醜態と歴史的に低い内閣支持率
明らかに酩酊していると思われる状態で記者会見に臨んだことで多くの人の顰蹙を買った。
結果的に財務相を辞任することになったが、当然のことだったと思う。
そういうことの延長上でもあるのだろうが、先の総選挙では落選の憂き目をみた。
「ただの人」に戻ったのだが、一部では「自民党再生」を担うべき人物と目されていたようである。

それにしても、なぜそんな状態で記者会見に臨んだのか?
周囲は、酩酊状態を承知で止めなかったわけで、それは、この人の足を引っ張る策動だというような見方もあったらしい。
積極的に足を引っ張るということではなくても、見て見ぬフリをして、自業自得を待ったということはあり得る。
しかし、そういうようなあれやこれやは、所詮証明のしようがないことである。

昭一氏は、不眠がちで、医師から睡眠薬を処方してもらっていたという。
睡眠薬とアルコールが複合すると、効果が強まるという。
朦朧記者会見のときも、睡眠薬を通常よりも多量に服用していたと弁明していた。

しかし、そもそも、その不眠の理由は何なのか?
父親の一郎氏は、「北海のヒグマ」と呼ばれ、たくましいイメージの人だった。
昭和58(1983)年1月9日早朝、宿泊先の札幌パークホテルの浴室で死んでいるのを夫人の貞子さんが発見した。
当初、死因は「急性心筋梗塞」ということだったが、2日後の11日になって、死因は「首吊り自殺」であったことが発表された。
死因には不審な点が多く、いまでも「他殺か自殺」か論議が分かれている。
さらに、死亡してから僅か2日後に荼毘に付されており、遺体の検証も十分でなかったと指摘する声もあった。
一般に、大物政治家であれば遺族は党との相談で葬儀をする。
そのため、死亡してから数日間はそのままの状態で置かれる場合が多いが、一郎氏の場合、あまりにも荼毘に付すのが早いように思われた。
また、一郎氏は遺書らしいものは何も残していなかった。
自殺する場合、通常では考えられないことである。

不審な点はあるにしても、一郎氏は、自死したということだろう。
とすれば、豪放磊落そうな表の顔の裏に、相当に繊細な精神があったとも考えられる。
一郎氏は、大正14(1925)年北海道に生まれた。
十勝農業学校、宇都宮高等農林、九州帝国大学農学部で学び、父の願いに沿う形で北海道庁で役人生活を始めるが、酒の飲みっぷりがいいということで、北海道開発庁長官だった大野伴睦の秘書となる。

昭和38(1963)年に北海道5区から出馬して初当選。
昭和48(1973)年に故・渡辺美智雄、石原慎太郎(現東京都知事)らと「青嵐会」を結成し、昭和54(1979)年に中川派を旗揚げした。
死の前年の昭和57(1982)年に、自民党総裁選に出馬するが落選。
この頃から思い悩み、衰弱していったといわれる。
享年57歳だった。

昭一氏は、一郎氏のDNAを継承していたであろう。
それは、保守理念の政治家という面もそうであっただろうが、決定的なのは飲酒癖であろう。
なぜ、クセが悪いと言われるまでに飲むのか?
おそらくは、メンタル面での弱さに起因するのだろう。
こういう人がプレッシャーを受けると、酒が格好の逃避の材料になる。
私自身もそういう傾向があるからよく分かるが、酒を飲んで解決するのは一時的に案件を忘れることができるだけで、問題が解決するわけではない。
にもかかわらず、酒を飲んで忘れてしまいたい、と思うことがあることも事実だ。

昭一氏も、おそらくは一郎氏に似て、繊細な精神の持ち主だったのだろう。
結局、プレッシャーからの解放を求めて、酒を飲まずにいられない。
それが、彼の政治生命だけでなく、身体的な生命をも奪ったということではないだろうか。
とすれば、政治家に向いていたとは言えないのかも知れない。
今後新たな事実が知らされることになるかも知れないが、既にこの世にいない人である。
56歳だった。奇しくも父とほぼ同年である。
今は静かに冥福を祈ることにしたい。

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