辰砂
邦光史郎『朱の伝説』集英社(9412)によれば、茶臼山古墳の石室や木棺に塗られていた朱は、辰砂を原料として精製したものである。
Wikipedia(最終更新 2009年9月26日 (土))では、次のように解説されている。
辰砂は、不透明な赤褐色の塊状、あるいは透明感のある深紅色の菱面体結晶として産出し、練丹術などでの水銀の精製の他に、古来より赤色(朱色)の顔料や漢方薬の原料として珍重されている。
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中国の辰州(現在の湖南省近辺)で多く産出したことから、「辰砂」と呼ばれるようになった。日本では弥生時代代から産出が知られ、いわゆる魏志倭人伝の邪馬台国にも「其山 丹有」と記述されている。古墳の内壁や石棺の彩色や壁画に使用されていた。漢方薬や漆器に施す朱塗や赤色の墨である朱墨の原料としても用いられ、古くは吉野川上流や伊勢国丹生(現在の三重県多気町)などが特産地として知られた。平安時代には既に人造朱の製造法が知られており、16世紀中期以後、天然・人工の朱が中国から輸入された。現在では奈良県、徳島県n、大分県、熊本県などで産する。
辰砂を空気中で 400–600 ℃ に加熱すると、水銀蒸気と亜硫酸ガス(二酸化硫黄)が生じる。この水銀蒸気を冷却凝縮させることで水銀を精製する。
硫化水銀(II) +酸素 → 水銀 + 二酸化硫黄
邦光氏は、上掲書の中で、昔から宝を埋めた場所を示す謎歌が伝えられているが、その宝物は、黄金が甕に何杯、朱が何杯というように書かれていて、黄金と朱が等価として並んでいた、としている。
宝を埋めた場所は、たとえば、冬の朝日の射す杉の木の影の先端の部位を掘ると、そこに宝が隠されている、というように表現される。
余談になるが、ポーの『黄金虫』と同じ趣向である。
『黄金虫』は、最初の暗号小説と位置づけられている。
主人公は、ある日、黄金色をした珍しいカブトムシを発見する。
友人の語り手にそれを告げるが、途中から様子がおかしくなり、部屋に籠ってしまう。
ろくに食事も睡眠もとらず、召使いはその虫を本当に黄金でできていると思い込んでいるのではないか、と心配する。
語り手が主人公に療養をすすめると、主人公は「僕は気が狂ったのではない。キャプテン・キッドの財宝を見つけたんだ」という。
主人公が解読した暗号は、換字法によるもので、英語の文字や単語の出現頻度がヒントになっている。
邦光氏が朱に興味を抱いたのは、楠木正成を主人公とした小説を書いたときだという。
正成が住んでいた赤坂や千早城の付近で、辰砂、水銀が採取される。
正成は、散所の太夫だったといわれる。
散所というのは、年貢米の代わりに、労力や技術を提供してすませる荒蕪地のことである。
塩や鍋釜をつくって生計を立てていたとされる。
その里長なり、製造集団の長が散所の太夫である。
河内の土豪の楠木正成は、散所の太夫として河内の交通路をおさえ、赤坂、千早の山地で採れる水銀を集めて京都に運んだのだという。
楠木正成は、千早城にこもって戦ったが、その千早城の軍資金を賄ったのが辰砂による利益だったのではないか、というのが邦光氏の推測である。
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