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2009年10月13日 (火)

八ツ場ダムの深層(3)浅間山天明噴火の様子

北原糸子編『日本災害史』吉川弘文館(0610)によって、浅間山天明噴火による被害の様相をみてみよう。
天明噴火の被害の中で最も甚大な被害を受けたのは、噴火の最終段階で発生した火砕流に襲われた麓の鎌原村であろう。
火砕流は、雲仙普賢岳による災害でわれわれにも馴染みがあるが、天明噴火では、浅間山麓の山肌を削りつつ流下し、削られた岩や土砂とともに猛烈な速度で鎌原村に押し寄せ、北麓を流れる吾妻川に流入し、流域の村々に火山泥流による甚大な被害をもたらした。
上掲書には、このとき発行されたかわら版が収載されている。
Photo_3

浅間山は、群馬県と長野県の県境にあり、広義には黒班、仏岩、前掛山の三火山を指すが、一般には前掛山を浅間山という。
現在も活発に活火山であり、今年の2月にも噴火をしたことは記憶に新しい。
2009年2月 4日 (水):浅間山の癒しと脅威

大石慎三郎『田沼意次の時代』岩波書店(9112)にも、「天明の浅間焼けとその被害」と題する項目がある。
同署によれば、天明3年の浅間山の大噴火は、「天明の浅間焼け」と呼び習わされている。
噴火が始まったのは天明3年4月4日(旧暦、以下同じ)である。
中規模噴火で一度しずまったあと、約45日後の5月26日に二度目の爆発があり、これもやがておさまるが、6月18日に第三回目の大爆発が起きた。
さらにその10日後の28日、より一段と大きな噴火が始まった。
周囲の村々に、「石臼をひくような音を伴った地ひびきがあった」「大地がしきりに鳴動し、山の中から赤い雷がしきりに走りでた。人々は身の毛もよだつほどで、見る者はおそろしさのあまり、ひや汗を流し気絶せんばかりであった」というような手記が残されているという。

7月に入ると「筆舌につくし難し」というような激しい噴火が続いた。
6日から7日にかけて、噴火口から灼熱した溶岩が浅間山の火口壁をこえて流れ出し、山体東北側の地表を覆った。
現在の北軽井沢別荘地地帯を覆っている「吾妻火砕流」である。
翌8日午前10時ごろ、火口から噴き出た多量の溶岩流が、まっすぐに北側の急斜面を滑り落ち、あっという間に火口から約15キロメートル北にある鎌原村を埋め尽くし、さらにくだって、利根川の支流の吾妻川になだれ落ちて行った。「鎌原火砕流」である。

つづいて粘性の強い溶岩流が火口から吐き出された。
それが有名な「鬼押し出し」の景観を形成した。
Wikipedia(最終更新 2009年6月5日 (金))では、次のように解説されている。
Photo_5

鬼押出しの溶岩は、普通の溶岩と考えられてきたが、火砕物が火口周囲につもったものが、とけてくっついて固まりながら流れ出した特殊な溶岩であった。天明浅間山噴火も普通の噴火のように、軽石の噴出、火砕流、最後に静かに溶岩が流出したと考えられてきた。しかし鬼押出しの溶岩には、普通の溶岩に少ない、鉱物の結晶が破砕されたもの、山を構成する岩石の断片、酸化した火砕物を多く含むことは、金沢大学や日本大学のグループが独立に指摘してきた。これらの特徴は、爆発的に噴き上げられた火砕物が積もり、急傾斜のために流れたとすると説明がつくという。

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