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2009年10月18日 (日)

天明の世相と「蕪村詩のイデオロギー」

一般に、被災した場合、被災直後にもっとも混乱がひとく、時が経つにつれてだんだんとしずまる。
しかし、大石慎三郎『田沼意次の時代』岩波書店(9112)によれば、浅間山の大噴火による被災の場合は反対であった。
天空高く舞い上がった火山灰のせいで、夏であるのに一向に気温が上がらず、信州佐久のあたりでは、土用というのに炬燵に入る日がたびたびあった、という。
結果として作柄も悪く、二百十日になっても、やっと稲穂が半分ほど顔を見せるありさまで、凶作は歴然としていた。

上掲書は、『日本災異志』から、江戸時代の飢饉の記録を引用している。
江戸時代には、35回の飢饉が採録されているが、なかでも江戸時代の三大飢饉といわれる享保の飢饉、天明の飢饉、天保の飢饉がとくに大きかったとされる。
もっともひどかったのが、浅間山の噴火とかかわりのある天明の飢饉であった。

菅江真澄という江戸時代の紀行家の旅日記に天明の飢饉のことが記されている。
菅江は、天明3(1783)年の浅間山大噴火の年に故郷の三河を出て、文政12(1829)年に秋田県角館で死ぬまで、50年近く旅を続けた。
浅間山の大噴火から2年余りたった天明5年8月10日、青森県西津軽郡まで来ていた。
それまで、飢饉などなかったかのように風流の旅を続けていたのだが、飢饉の惨状を一気にまとめ書きしている。

卯の木、床前という村の小道をわけてくると、雪が消え残っているように、草むらに人の白骨がたくさん乱れ散っていた。あるいは、うず高くつみ重なっている。頭骨などの転がっている穴ごとに、薄や女郎花の生いでているさまは、見る心地がしない。
……
(うしろの人が説明するには)過ぐる天明三年の冬から四年春までは、雪のなかに行き倒れたもののなかにも、まだ息のかよう者が数知れずありました。その行き倒れ者がだんだん多くなり、重なり伏して道をふさぎ、往来の人は、それを踏みこえ通りましたが、夜道や夕ぐれには、あやまって死骸の骨を踏み折ったり、腐れただれた腸に足をふみ入れたりしました。

世にも恐ろしい光景である。
蕪村の詩の背景に、このような地獄絵のような世相を見るべきだ、と指摘したのは、評論活動を始めたばかりの頃の吉本隆明氏であった。
「蕪村詩のイデオロギイ」と題する一文である。
昭和30(1955)年10月1日発行の『三田文学』第45巻第10号に発表された。
のちに、『抒情の論理』未来社(1959)に収められ、『吉本隆明全著作集7』勁草書房(6811)に削除されていた部分を復元して収録されている。
私が初見したのは、『抒情の論理』によってである。

吉本氏は、次の蕪村の詩を引く。

紅梅の落花燃ゆらむ馬の糞
地車のとどろとひびく牡丹かな

吉本氏は、次のように書いている。

江戸の下層町民が、文字通り「地車をとどろとひびかせ」全町の米問屋と豪商の表戸をつきやぶって、掠奪と破壊をやったのは、この詩よりいくらかあとのことだが、蕪村詩が成立した背景には、明和元年(一七六四)の関東農民暴動から、天明の大暴動にいたるまでの空前の百姓一揆が、一揆取締法をおかして、おこなわれたという事実があるのを見おとすわけにはいかない。当時、町人ブルジョワジイは、高利貸付けによって、諸侯や武士階級にたいしてポテンシャルな経済的支配をなしとげていた。一方では鎖国で貿易ができない資本は、土地に投下され、農民階級もまた町人ブルジョワジイのれい属下にはいろうとしていたのである。

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コメント

初めまして。検索からブログを拝見し、M資金の記事を読ませて頂きました。
実は、私の知人がM資金やマルク債の話を持ち掛けられています。相手は有名政治家の元秘書を名乗る老人です。非常に怪しい話なので注意をしているのですが、信じきっています。
こういう場合、どこに相談すればベストでしょうか? 突然の質問、申し訳ございません。アドバイス頂ければ有難いです。

投稿: merry | 2009年10月19日 (月) 18時42分

merry様

初めまして。
M資金については、私自身似たような話の体験をして興味を持って調べてみました。
しかし、結局のところは「分からない」というしかないと思います。基本的には「ない」と考えるべきでしょうが、「ない」ことを証明することは非常に難しい問題です。
どこに相談しても、「そんな話はあり得ない」言われるだろうと思います。
実害が出ないように注意することが肝要で、実害が出たら警察なりに届け出るべきでしょう。しかし、多少の被害では泣き寝入りしてしまうことが殆どのようです。
巷間伝えられている被害は、氷山の一角だと考えるべきでしょう。
私の場合には、現役政治家の秘書や公認会計士なども関係していました。

投稿: 管理人 | 2009年10月21日 (水) 00時25分

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