「逝」と「行」(続)/「同じ」と「違う」(9)
さて、藤村由加さんは、「逝」と「行」の違いをどう解読したのだろうか?
『額田王の暗号』新潮社(9008)には、以下のような解説がある。
「行」は、もと十字路を描いた象形文字で、とどこおりなく直進する意を持っている。それに対し「逝」は、同じいくことでも、ふっつりと折れるようにしていってしまうことを意味している。逝去、逝水などというように、去っていって二度とは戻らぬいき方を表している。
字を書き分けたということは、そこにもたせる意味あいを明確に違うものとして表しているということではなかったか。武良前野には逝くが、標野には行くのだと。どうやら「逝」「行」の二文字の対比は、原文にみえるいくつかの不思議な対比を映し出し、呼応しているようである。
この歌は、ほかにもいくつかの興味ある対比を含んでいる。先の「君」と対照的に描かれている「野守」、そして「武良前野」と「標野」とである。そして、「逝」と「行」。
……
このように見てくるとこの歌の前半部の技巧には、同じことをいっているようでも違う、また違うようでも同じという一種のパラドックスがあることがわかってくる。
そして、藤村由加さんは、「枕詞=被枕詞」という彼女たちが発見した公式を応用して、“あかねさす”の解読を試みる。
“あかねさす”は、東の空にあかね色の光が照り映える意味で、日、昼、君などに掛かる枕詞とされている。
しかし、この枕詞が、“むらさき”に掛かるのは、万葉集中でもこの一首だけだ。
茜の字源は、「艸(クサカンムリ)+西(月の落ちる方向)」で、色でいえば夕暮れの空の色、もとはやや黒ずんだ赤、緋色を指したものだという。
紫の字源は、「止(足先の形)+匕(比ぶの右半分)+糸」で、不揃いな二色が、一本の糸の上に交差してあらわれるようすを、不揃いに並び交差する、足先の字形(字音)であらわしている。
原文では紫は武良前と表記されている。
武の字源は、戈を持って前進することで、半歩ずつ進んでいく足の動きを「武」とよんだ。
前も、足を揃えながら進む、足の動きを表している。
武や前で示される足のはこびは、神社などで見られるような、右足のところまで左足をひきつけ、また右足を前に出し、また左足をひきつけ、半歩ずつ前進するというものである。
つまり、紫と「武と前」は同じことを言っているということになる。
茜は、赤根とも表記されるように、もともと赤を意味するものである。
草は、「あおあおとした」という形容でも分かるように青である。
つまり「茜草」は、「赤と青」で紫である。
紫が、赤と青の二色が不揃いに並ぶようすを、足の状態で表したのと同様に、手の指の状態で表し、「茜草指」と表記している。
つまり、この歌のテーマは、不揃いに並ぶということだと考えられる。
不揃いに並ぶとは?
倫の旁の「侖」は、もともと集めてきちんと並べられた短冊を象った文字である。
つまり「倫」の字は、きちんと並んだ人間の間柄を意味している。
つまり、平らに並ぶことのできない関係は、“不倫”である。
額田王は、最初大海人皇子の妻として十市皇女を産み、後に天智天皇の寵愛を受けたと伝えられている。
つまり、蒲生野の遊猟の時点では、大海人皇子は、不揃いにしか並ぶことができない関係だった。
「逝」と「行」の使い分けに関する藤村由加さんの解釈は、次の通りである。
標縄をめぐらし、そこが天皇の御料地であることを示した「標野」。
そこは、許された者のみが出入りできる場所である。
つまり、「標野行」は、額田王と天智天皇の関係を暗喩したものである。
これに対し、「武良前野逝」は、並び揃うことのできない額田王と大海人皇子の関係を暗示している。
額田王にとって、紫を染める不揃いな赤と青の色は、自分と大海人の関係をたとえるのにまことに相応しい色だったということになる。
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