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2009年9月14日 (月)

八ツ場ダムの入札延期 その3.利根川における水資源開発

東亜・太平洋戦争に敗れたわが国は、まさに「国破れて山河あり」という状態だった。
したがって、山河のもたらす恵みを最大限に活用することが、敗戦からの復興の最優先テーマであった。
アジア・モンスーン地帯に属し、雨量の多いわが国にとって、山河の恵みの代表は水資源である。
大規模ダムの建設は、水資源の確保という側面と、洪水を貯めて下流域への流下水量を調節し、水害を防ぐという側面において、まさに公共性を有するものだったといえる。

利根川は、「板東太郎」と呼ばれ、わが国を代表する河川である。
群馬県の大水上山(標高1,840m)に源を発し、千葉県銚子市で太平洋に注いでいる。
幹川の流路延長は322km、水源から河口までの支川を含めた流路延長は約6,700kmで、流域は東京都、群馬県、千葉県、茨城県、栃木県、埼玉県の1都5県にまたがり、流域面積は16,840平方kmにおよぶ。
(図は、http://www.ktr.mlit.go.jp/kyoku/river/river_info/img/tone03.jpg
2 江戸時代以前には、現在の東京湾に注いでいたが、江戸時代に流れを東に遷し、太平洋に注ぐようにした。
この「利根川東遷」については、その目的、経緯等をめぐって多くの論議があり、まことに興味深いテーマであるので、機会をみて触れたい。

利根川水系におけるダム計画は、まさに戦後の公共事業の歴史だったということができる。
Wikipediaの「利根川水系8ダムの項(2008年11月16日最終更新)から引用しよう。

1951年(昭和26年)には国土総合開発法の施行に伴い利根川水系は『利根特定地域総合開発計画』の指定地域となり、より強力な河川開発を行うことと成った。1950年代には前記のダム事業の内藤原ダム・相俣ダム・五十里ダムが完成していたが、これに加え日本最大の多目的ダム事業となる予定の「沼田ダム計画」、印旛沼付近から東京湾へ利根川の洪水を放流する「利根川放水路」計画、そして利根川河口堰計画が新規事業として計画された。
だがこの頃になると戦後の混乱期を脱し次第に東京都の人口が増加、又京浜工業地帯の拡充による工業生産活動の増大により急速に上水道・工業用水道の需要が拡大した。1957年(昭和32年)には多摩川に小河内ダムが完成し東京の水がめとなったがこれだけでは安定した水供給は望めず、更に埼玉県・千葉県等の郊外も人口が増加し水需要の逼迫は明白となった。これに対処すべく政府は1967年(昭和32年)に『水資源開発促進法』を施行し総合的な利水事業の整備を目的とした水資源開発公団(現・水資源機構)を設立。関東と関西の急増する水需要に対応しようとした。利根川は淀川と共に水資源開発水系に指定され、以後『利根川水系水資源開発基本計画』(フルプラン)に基づく水資源開発が公団によって手掛けられるようになった。これより利根川の河川開発は洪水調節を主眼においた治水から、安定した水供給の確保という利水に重点が置かれるようになった。
公団発足の同年矢木沢ダム・下久保ダムが建設省より公団に事業移管され、その後フルプランの改定に伴い事業が拡大。草木ダム・利根川河口堰が新たに公団に事業移管した他奈良俣ダムが計画された。1968年(昭和43年)には思川開発が事業に加わり、1974年(昭和49年)には荒川が水資源開発水系に指定されて利根川水系と一体化した水資源開発が実施された。一方建設省は従来足尾銅山の鉱毒沈殿を目的としていた渡良瀬遊水地の利水目的付加にも乗り出し、1973年(昭和48年)より「渡良瀬第一貯水池」(谷中湖)建設事業を行い1989年(平成元年)に完成させた。翌1990年(平成2年)には奈良俣ダムも完成し、現在の利根川水系8ダムが形成されるに至った。8ダムより放流される水は利根川中流の利根大堰で取水され、武蔵水路を経て東京都へ送水される。この他見沼代用水や房総導水路、霞ヶ浦用水等を通じ埼玉県・千葉県・茨城県へも供給される。ダムの水は汚染しきった隅田川の水質改善にも寄与している)。

利根川水系の開発史は、国土開発史の中心であるから、問題性においても中心的な位置を占めることになる。
なお、戦後最初の日本共産党書記長に就任した徳田球一に、『利根川水系の綜合改革 : 社会主義建設の礎石』駿台社(5208)という著書(というよりもパンフレットに近い)がある。
世界大恐慌による打撃からの復興にテネシーバレー開発(TVA)が果たしたのと同様の役割を、利根川水系の総合開発に託そうとしていたということができよう。

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コメント

 群馬県知事 「地元住民や関係市町村、一都五県の意見を聞くことなく建設中止したことは言語道断で極めて遺憾。」
埼玉県知事 「民主党の公約そのものがルールを無視したもの。」
東京都知事 「基本的に建設反対に反対。7割もできているプロジェクトをやめる意味は、理解できない。」
立地予定の群馬県を除く周辺の1都4県の知事は、中止の際には支出済みの負担金約1500億円の返還を求めることで一致した。
治水の必要性は、河川の流域に住んでおらず、浸水被害を経験したことのない鳩山由紀夫には実感はないはず。
後始末をどうするのか、例えば、既にできている高さ約100mの巨大な複数の橋脚は、撤去するのか放置するのか民主党は具体策を示さなければならない。

投稿: 在日民主党 | 2009年9月20日 (日) 12時15分

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