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2009年8月15日 (土)

無条件降伏か、有条件降伏か?

麻生首相は、今日(8月15日)は靖国神社参拝をしないようである。

生太郎首相は10日、終戦記念日(15日)の靖国神社参拝について、「国家のために尊い命をささげた人たちを、政争の具とか、選挙の騒ぎとか、新聞のねたにするのは間違ってると思っています」と述べ、参拝しない意向を示唆した。首相官邸で記者団に答えた。
首相は靖国神社について、「最も、政治とかそういったマスコミの騒ぎから遠くに置かれてしかるべきものですよ。もっと静かに祈る場所だ」とも語った。

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090811ddm005010054000c.html

この言は、いい、と思う。
背後にある政治的意図は分らないが、「国家のために尊い命をささげた人について、静かに祈るべきだ」というのはその通りではなかろうか。
靖国問題は複雑な要素が絡んでいるから単純な評価はできない。
賛否両論が鋭く対立する問題に対する処し方としては、大人の態度ということのように思える。
いささか遅すぎたきらいがあるが、麻生首相の発言の中で、何だか初めて評価できるような気がした。

これと正反対だったのが、小泉元首相である。
2001年の自民党総裁選で掲げた「8月15日に靖国参拝」は、首相を退任する直前の2006年に初めて実行された。
退任したのが9月26日だから、まあ品のない言い方をすれば「最後っ屁」のような参拝だった。
政局的な演出の視点を最重視していた人だったから、靖国参拝について、そういうことだったのだろう。

ところで、私たちの世代は、「日本はポツダム宣言を受諾して、無条件降伏をした」というように教えられてきたし、そう理解してきた。
そのことに異議を唱えたのが、江藤淳氏だった。
ポツダム宣言とは、1945年7月26日に発せられた米・英・支3国の共同宣言で、以下のような内容である。
http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j06.html

一、吾等合衆国大統領、中華民国政府主席及「グレート・ブリテン」国総理大臣ハ吾等ノ数億ノ国民ヲ代表シ協議ノ上日本国ニ対シ今次ノ戦争ヲ終結スルノ機会ヲ与フルコトニ意見一致セリ
……

五、吾等ノ条件ハ左ノ如シ
吾等ハ右条件ヨリ離脱スルコトナカルヘシ右ニ代ル条件存在セス吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ス
……

八、「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ
九、日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルヘシ
……

十三、吾等ハ日本国政府カ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス

今日の産経新聞に、昭和53(1978)年8月10日に掲載された江藤氏の「日本は無条件降伏していない」という論が再掲されている。
もちろん、産経新聞は、江藤氏の説を「是」とする立場から再掲しているものである。

確かに、上記の抜粋からも理解できるように、文意としては、無条件降伏したのは、日本国軍隊であって、日本国ではない。
また、「吾等ノ条件ハ左ノ如シ」としているのだから、有条件である、という理屈である。

しかし、表面的な文意は、「左ノ如キ」条件を受容した有条件降伏だったとしても、実態はどうだったのだろうか?
直ぐに、「右ニ代ル条件存在セス吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ス」とあることから、それは、選択肢のない「条件」だったということになる。
江藤氏の所説は、同じ文芸評論家の本多秋五氏などとの間に「無条件降伏論争」と呼ばれる論争を起こした。
それは、文芸評論家の間で行われたことからも窺えるように、「戦後文学」と呼ばれるものの評価を軸にしたものだったが、さすがに本多秋五という人は見るところを見ている。

本多氏は、次のように書いている。

モハメッド・アリののような大男と、江藤淳または本多秋五のような非力な男とが殴り合って、こちらが力尽きて半死半生になったとき、勝ち誇った大男がこちらを壁際にきゅっと押しつけておいて、一片の紙切れを差し出し、<さあ、これにサインするかどうか。サインすればよし。しないなら攻撃を続行するぞ>という。大男が差し出した紙切れには「条件」が書きこまれている。
……
全「条件」についてひとことも文句をいわせない。受諾は完全に「無条件」でなければならないとされる。これが日本が直面した「ポツダム宣言」受諾劇であった。

(著者代表・松本健一『論争の同時代史』新泉社(8610) 所収)

私は、靖国参拝は個人の自由な意思によって行われるべきものであると考える。
また、遊就館などの施設は、一度は訪れてみるべきだとも思う。
しかし、時の首相が、あえて敗戦の日に参拝して、アジア諸国からの反発を招くこともないのではなかろうか。
米英に対しては侵略の意図はなかったと言えるだろうが、アジア諸国に対しては、やはり侵略行為だったと考える。

私は、国家のために尊い命をささげた人たちを静かに追悼する気持ちがあるならば、戦没画学生の作品を展示している上田市の「無言館」を訪れることをお薦めしたい。
そして、これらの画学生たちの戦没の年月日を見ていただきたいと考える。

実に多くの人が、既に敗戦の形勢を覆すことが不可能になった昭和20(1945)年になってからの戦没である。
あえていえば、犬死ともいうべき戦死である。
実態として、天皇の聖断がなければ、終戦を迎えることができなかったのだと思う。
とすれば、開戦に関する責任問題は別としても、終戦が遅延した結果として、犠牲者の数が増えてしまったことについて、昭和天皇の責任は免れないのではなかろうか。

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コメント

降伏文書で日本は無条件降伏してるでしょ

投稿: | 2011年1月14日 (金) 20時40分

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