新興重化学工業発展の時代背景
1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の世継、フランツ・フェルディナント大公が、ボスニアの首都、サラエヴォでセルビア人民族主義者により暗殺された。
オーストリアは、7月28日にセルビアに宣戦布告し、第二次世界大戦が始まった。
この大戦は、わが国の産業構造に大きな変化をもたらした。
以下、宮本又郎他『日本経営史 新版―江戸時代から21世紀へ』有斐閣(9809)により、その様子をみてみよう。
大戦の発生により、欧米諸国の戦時重要の拡大とアジア市場からの外国企業の撤退が日本製品の輸出を伸長させた。
1914~18年の間に、輸出額は3倍に増加し、輸出超過額も激増した。
輸出の激増により海運業が活況を呈し、多くの「船成金」が誕生した。
世界的に船舶需給が逼迫したため、運賃・傭船料も暴騰し、海上保険料などを加えた貿易外収支も大幅な受取超過になった。
これらの結果、日本はそれまでの債務国から債権国に転じた。
海運の活況は造船業の発展をもたらしたが、それは造船材料を供給する鉄鋼業の発展に結びついた。
外国工業製品の輸入途絶と国産品に対する内需拡大によって、欧米製品の流入によって圧倒されていた新興重化学工業に成長と自立の機会を提供した。
市場機会の拡大と莫大な戦時利潤の獲得によって、産業界では企業勃興熱が出現した。
膨張が著しかったのは鉱工業部門で、大戦によって発展の機会をつかんだ化学、機械、電気、金属などの分野において、企業が増・新設された。
鉱工業の発展により、わが国は、農業国から工業国へ移行したのである。
しかし、第一次世界大戦ブームは、1920年3月に発生した恐慌によって終止符を打った。
20年代を通じ、日本経済は相次ぐ恐慌に見舞われ、大戦ブーム時の「成金」型の企業家の大半が破綻した。
弱小企業の倒産・減資と大企業による合併・合同が進行し、資本と生産の集中が進んだ。
多くの分野でカルテルが形成され、三井、三菱、住友、安田の4大財閥による産業支配が進行した。
しかし、厳しい状況ではあったが、20年代を通じて、わが国の実質経済成長率は3.1%の伸びを示し、工業生産は年率5.0%で成長した。
この成長を可能にしたのは、都市化の進展と電力業の発展である。
日露戦争後から人口の都市への集中現象が始まっていたが、第一次大戦中にそれがさらに進行し、大戦後には加速した。
それは、都市関連産業(電力、鉄道、ガス、土木建築など)に対する投資を促進した。
都市関連産業の進展は、大戦後不振に陥った造船業に代わって、鉄鋼業の生産拡大を支え、第3次産業を中心とする都市型産業の発展を導くこととなった。
大戦中から戦後にかけて、都市部の電力需要の拡大を見越して、信濃川、梓川などの中部山岳地域で大規模場電源開発が行われた。
1914年には長距離高圧送電が開始されていたが、大型水力発電所の建設によって、都市部への豊富な電力供給が可能になった。
大型水力発電所と長距離高圧送電設備は、それ自体が巨額の設備投資を必要とすると共に、関連する電気機械、電線ケーブルなどの需要増大をもたらした。
電力各社が競って電源開発を行ったことにより、過剰電力が発生し、電気料金が低下した。
そのため、産業動力の電力への移行が進み、電気機械産業がさらに発展していく要因となった。
過剰電力の発生は、電力多消費型産業(硫安、レーヨン、電気精錬など)の勃興をもたらした。
電気機械と電力多消費産業を柱として、新興重化学が発展した。
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コメント
1920年~1934年と1989年~2007年の日本の株価指数の動きを比較するとソックリです。
第一次大戦前後に大都市部への人口集中が加速したとありますが、今回のバブル崩壊の過程でも、地方から首都圏への若者の移動が活発でした。東京及びその近郊には、日本の20~30代人口の多くが集まっています。
投稿: ponpon | 2009年8月 9日 (日) 13時16分
ponpon様
コメント有り難うございます。
「昭和10年代を繰り返すのか?」などとも言われますが、株価の推移も似ているということですね。
1920~1934年の株価データはどこで見れますか?
http://finance.yahoo.com/q/bc?s=%5EDJI&t=my&l=off&z=l&q=c&c=
などでは、この期間の詳細が分かりませんので……
投稿: 管理人 | 2009年8月11日 (火) 23時30分