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2009年8月 4日 (火)

裁判員制度と刑法総論

今年5月にスタートした裁判員制度が、いよいよ本番となった。
東京地裁で、8月3日からスタートした隣人女性を殺害したとされる事件の公判である。
2 主なスケジュールは、表のようで、6日には評議に入るとされる(産経新聞8月2日)。

すでに証拠と争点を整理して審理計画を立てる「公判前手続き」のなかで、被告と弁護側は起訴された内容を認め、おもに情状面を強調する方針が固まっているという。
このため、公判の焦点は、量刑の判断になる見込みである。

裁判員制度について、多くのメリットがあることは承知している。
私の知人の、法曹職業人ではないが法律に詳しい人も、「問題はあるにしても、基本的にはいいことだ」と評価している。
私自身は良く分からない、というのが正直なところである。
私自身が裁判員になる可能性は、現実的にはゼロに等しいだろう。
疑問点については、候補者になった段階で、考えればいい、などとも思っている。

私は法律学を体系的に学んだ経験がないので理解が間違っているかも知れないが、刑法学には、「刑法総論」と「刑法各論」とがある。
実際の裁判で争われるのは、具体的・個別的な事案であるから、いわば「刑法各論」に相当すると考えていいだろう。
それでは、「刑法総論」は、実際の裁判には無関係ということになるのだろうか?

例えば、前田雅英『刑法総論講義 』東京大学出版会(第2版/9402)を見てみよう。
以下のような構成になっている。
-----------------------
第1編 刑法の基礎理論
 第1章 刑法および刑法学
 第2章 刑法理論の対立
 第3章 現代の刑法理論-本書の立場
第2編 犯罪論
 第1章 犯罪論と罪刑法定主義
 第2章 客観的構成要件
 第3章 正当化事由
 第4章 責任
 第5章 共犯
 第6章 罪数論
-----------------------
つまり、犯罪とは何か、それに対する処罰はどうあるべきか、を一般論として論議したものといえるだろう。
言い換えれば、「刑法各論」にとっての基礎論である。
もちろん、個別の罪刑について論じた『刑法各論講義』と対になっている。
私の体験では、基礎論に関する認識を欠いた具体論は、的ハズレに陥る危険性がある。
総論は、各論を導くガイドラインとも言えるだろう。

裁判の実際の局面を考えてみよう。
私のように、ごく一般的な市民の場合を想定する。
裁判員制度の趣旨が、一般的な市民の参画を前提としていると考えられるから、私は十分に有資格者だと思う。

私は、言ってみれば、「刑法総論」に関する知見なしに、具体的な事案に直面することになる。
そして、裁判の場で、いわば究極的な「各論」の判断を求められることになる。
ガイドラインとしての「総論」なしに、具体的な「各論」に直面することになる。
それでいいのだろうか?
裁判員になる人の意識はさまざまであろう。
あるいは、さまざまな意識があるから、裁判員制度の意味があると言えるのかもしれない。
しかし、私は、「刑法総論」に関する認識を欠いたままの裁判員が、具体的事案の量刑判断に参加することに、やはり危うさがあるのではないかと思う。

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