さまざまな「戦後」/「同じ」と「違う」(7)
東亜・太平洋戦争(注:戦争についても、ネーミングは重要なファクターだと考える。先の、敗戦に終わった戦争をどう呼ぶか? 「第二次世界大戦」は、必ずしも日本のポジションや帰結を示すのに適切だとは言えない。「太平洋戦争」は、米(英)との戦争だったというイメージは湧くが、中国をはじめとする東アジアでの戦争の側面を欠落させてしまう可能性がある。「大東亜戦争」は、大東亜共栄圏の確立という戦争目的との関連は明確であるか、目的自体が日本の戦争指導者の主観が強すぎて、客観性に欠ける。「15年戦争」は、戦争の性格がよく分らなくなる。「アジア・太平洋戦争」は、必ずしもアジア全域が戦場になったわけではない。というようなことを踏まえて、「東亜・太平洋戦争」が最も妥当ではないかと思う)に敗戦してから、既に60年以上の年月が経過している。
私が生きてきた時間は、ほぼその期間にオーバーラップしているのだが、現時点でも「戦後」という呼び方をすべきかどうか。
既に、昭和31(1956)年の「経済白書」で、有名な「もはや『戦後』ではない」という言葉が用いられている。
つまり、「戦後」は、昭和30(1955)年までに終わっている、という認識である。
それは、日本のGDP水準が、昭和30年に戦前水準を回復したからである。
これから先は、「戦後復興」ではない新たな段階に移行するという意味である。
一方、「戦後」政治の枠組みという意味で、「55年体制」という言葉が使われている。
Wikipedia(09年7月26日最終更新)では、次のように説明されている。
55年体制(ごじゅうごねんたいせい)とは、日本において自由民主党と日本社会党が二大政党として君臨し、政治を行っていた体制。1955にこの構図が成立したためこう呼ばれる。
初出は政治学者の升味準之輔が1964年に発表した論文「1955年の政治体制」(『思想』1964年4月号)である。
太平洋戦争後、無産政党(日本社会党や日本共産党等)が合法化される一方で、同時に保守政党が乱立する事態が発生した。1951年に日本社会党が、日本国との平和条約と日米安全保障条約(安保)に対する態度の違いから右派社会党・左派社会党に分裂していたが、保守政権による「逆コース」や改憲に対抗するために、「護憲と反安保」を掲げ、1955年に社会党再統一を果たした。この日本社会党の統一に危機感を覚えた財界からの要請で、当時あった日本民主党と自由党が保守合同して自由民主党が誕生し、保守政党が第一政党となった。そして、ここに「改憲・保守・安保護持」を掲げる自由民主党と「護憲・革新・反安保」を掲げる日本社会党の二大政党体制、55年体制が誕生した。
55年体制の定義は与党の自民党と野党の社会党という構図、自民党と社会党が対立している構図、自民党が第一党で社会党が第二党という構図など諸説あるが、一般的には第一与党の自民党と第一野党の社会党という構図が有力である。
1955年当時の国際情勢はアメリカ合衆国とソビエト連邦による冷戦体制だったので、55年体制も冷戦という国際社会に合わせた日本の政治構造(「国内冷戦」)であると指摘する意見がある。
小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性』新曜社(0210)では、1955年までの「戦後」を「第一の戦後」、1955年からの戦後を「第二の戦後」として区分している。
「第一の戦後」期の日本は、アジアの後進国であった。
「第二の戦後」期の日本は、西洋なみの先進国となった。
「第二の戦後」期は、高度成長を実現し、やがてオイルショックによって急速な減速を余儀なくされたが、産業界は軽薄短小にシフトして世界のトップランナーとなった。
変動相場制の中で円は強くなり、バブルの徒花が咲いたが、当然のことながらはじけて「失われた○○年」となる。
「第二の戦後」期をいつまでと考えるかは人によりそれぞれだろうが、1997年には、山一證券や北海道拓殖銀行などの老舗かつ巨大金融機関が破たんした。
翌1998年に吉川元忠『マネー敗戦』文春新書(9810)が出版される。
吉川氏の主張について、「世に倦む日々」という人気サイトでは、以下のように最高評価をしている。
戦前以来の高度で格調高い日本の経済学。この本は、1980年代前半から1990年代後半までの日本経済史でもある。プラザ合意から円高、バブルとバブル崩壊、日米構造協議、アジア通貨危機からBIS規制へと「マネー敗戦」の経過が書かれている。10年前の時点からその前の20年間を総括した経済理論であり、グローバルスタンダードが確立する入り口で筆が置かれていて、読み返して何とも感慨深いものがある。ワーキングプアや格差社会は出て来ない。10年前は無かったからだ。証券化商品や金融工学も出て来ない。中国の姿もない。ユーロは始まったばかり。
なお、戦後論として著名な著作に、加藤典洋『敗戦後論 (ちくま文庫) 』ちくま文庫(0512)がある。
また、室伏志畔『白村江の戦いと大東亜戦争―比較・敗戦後論 』同時代社(0107)は、古代と現代の敗戦の「同じ」と「違う」について論じている。
07年9月22日:倭国のラストプリンセス?
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