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2009年8月16日 (日)

敗戦責任の所在

昨日、江藤淳氏の「有条件降伏論」との絡みで、昭和天皇の「終戦遅延責任」について触れた。
今日(8月16日)の産経新聞のオピニオン欄は、昭和51(1876)年10月1日掲載の会田雄次「忘れられた『敗戦責任』」と題する論考の再掲である。

会田さんは、次のように論じている。
ルバング島から帰還した小野田寛郎さんは、新聞やラジオを通じて、驚くほど具体的な情報を得ていた。
小野田さんの帰還前後の状況を振り返ってみよう。
Wikipedia(09年7月24日最終更新)では、次のように解説している。

小野田 寛郎(おのだ ひろお、1922年3月19日 - )は、日本の陸軍軍人。階級は陸軍少尉で情報将校だった。陸軍中野学校二俣分校卒。太平洋戦争終結から29年目にしてフィリピンルバング島から帰国を果たす。
……
1944年12月、遊撃戦の指導の任を与えられ、横山静雄中将から「玉砕は一切まかりならぬ。3年でも、5年でも頑張れ。必ず迎えに行く。それまで兵隊が1人でも残っている間は、ヤシの実を齧ってでもその兵隊を使って頑張ってくれ。いいか、重ねて言うが、玉砕は絶対に許さん。わかったな」と命令を受けた。
……
また、後述する捜索隊が残した日本の新聞や雑誌で、当時の日本の情勢についても、かなりの情報を得ていた。捜索隊はおそらく現在の日本の情勢を知らずに小野田が、戦闘を継続していると信じて、あえて新聞や雑誌を残していったのだが、皇太子成婚の様子を伝える新聞のカラー写真や、東京オリンピック等の記事によって、小野田は日本が繁栄している事を実感し、それがためにかえって日本が敗戦したなどとは全く信じられなかったという。士官教育を受けた小野田はその日本はアメリカの傀儡政権であり、満州に亡命政権が在ると考えた。また小野田は投降を呼びかけられていても、二俣分校での教育を思い出し、終戦を欺瞞であり、敵対放送に過ぎないと思っていた。

戦争終結から29年目といえば、1974年である。昭和でいえば49年ということになる。
戦後復興から高度成長を経て、既にオイルショックの洗礼も受けた後の時代である。
小野田さんが、かつての上司である谷口義美元少佐から文語文による山下奉文大将名の「尚武集団作戦命令」と口達による「参謀部別班命令」による任務解除・帰国命令を受けて帰国したとき、正直に言えば、とてつもない時代錯誤の芝居を見ているような、それはルバング島から帰ってくるための演出ではないか、というような気がした記憶がある。

しかし、その後の小野田さんの生き方を、あまり詳しくは知らないものの、折に触れての報道に接して、決して演出ではなかったのだなあ、と思うようになった。
しかし、戦争終結から29年というのは、余りに長い時間だったのではなかろうか。

会田さんの論に戻る。
会田さんは、小野田さんが、ゲリラ戦を継続する確信を裏付けたものが、日本の天皇の位置だったことを指摘している。
歴史的にみれば、敗戦国の元首は厳しく断罪され、戦争指導者たちは、責任を追及される。

しかし、日本の状況はどうか?
今上陛下(執筆当時は昭和天皇)は、王政廃止どころか、以前と変わらぬ国民の尊崇を受けている。
救出隊の呼びかけは、謀略宣伝に違いない。

無条件降伏か、有条件降伏か、という論議を、当時の実際の状況との関連性で考えれば、「国体の護持という条件」が容れられるか否か、と極論してもいいように思える。
「国体の護持」というのは、私たちの世代には分かり難いコンセプトになってしまっているが、森喜朗元首相の言葉を借りれば、「万世一系の天皇を中心とする神の国」ということだろう。

天皇制という用語は、コミンテルンの「32年テーゼ」によるものという批判があるようだから使わないとしても、天皇を中心として国家を運営していこう、という程度の緩い理解ならば、多くの人も反対しないだろう。
そこで、会田さんは、無条件降伏などの場合においては、敗戦国の元首は大変なことになるのが通例であるにもかかわらず、日本が例外だということは、日本の「国体」が余程特殊、言い換えれば「無比」なものであって、他国民には容易に理解されないものだということになる、としている。
いまふうに言えば、グローバル・スタンダードから、大きく外れているということだろう。

会田さんは、だからといって、天皇退位論を主張するつもりはない、としている。
私は、敗戦の詔勅を出した段階で考慮しても良かったのではないか、とは思うが、既に過去のことだから、いまさら云々する気はない。
明仁天皇と美智子皇后は、日本の平和への希求を、身を以ってまさに象徴しておられるとも思う。
しかし、天皇制度を、将来に向かってどう考えるかについては、オープンに議論すべきテーマだろう。
皇位継承に関する問題も、当面沈静化しているにしても、いずれ正面から取り組まなければならないはずである。

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