固有名詞としての富士山と普通名詞としての富士山
富士山は、固有名詞である。
固有名詞は、1つしかないものの「名前」であり、例えば、以下のように説明される。
http://web.sfc.keio.ac.jp/~mrt/humanity/humanity5_5_17_06.doc
「富士山」といえば1つしか存在しないが、「山」は無数にある。
つまり、1つしか存在しないものの名前が固有名詞、無数にある(あり得る)ものの名前が普通名詞である。
ところで、「山」とは何か?
辞書(大辞林第二版)を引くと、次のような説明が出ている。
(1)周りの土地より著しく高くなった所。古くから信仰の対象となり、俗世間を離れた清浄の地とされた。
富士山は、まさに上記の意味での「山」の典型ということになるだろう。
そして、面白いことに、名詞の「山」には、上記の(1)に加えて、次のような多様な意味がある。
(2)鉱山。
(3)(1)の形をしたもの。
(ア)庭園などに小高く土を盛って作ったもの。築山。
(イ)物をうず高く積み上げたもの。
(ウ)数量がきわめて多いこと。
(4)物の一部で、高くなっている所。
(5)進行するに従って次第に高まり、やがて徐々におさまる物事の全体を(1)に見立てていう。
(ア)最も重要なところ。絶頂。クライマックス。
(イ)成否を決定するような緊迫した場面。
(6)〔(2)の鉱脈を探し当てるのは、きわめて確率の低い賭けであることから〕万一の僥倖に賭けること。
(7)犯罪事件。警察や新聞記者などが用いる。
(8)山登り。
(9)「山鉾」に同じ・
(10)(園城寺を寺というのに対して)比叡山。延暦寺。
(11)高く、ゆるぎないもの。よりどころとすべきもの。
(12)〔多く(1)にあったことから〕墓。山陵。
(13)詐欺。また、もくろみ。
(14)動植物の名の上に付けて、同類のうちで野生のもの、あるいは山地に産するものであることを表す。
これらは(1)を原義として、何らかの連想作用によって、意味が広がっていったものと考えられる。
このような「山」という言葉の意味の広がりは、まことに興味深いテーマであるが、ここでは、「富士山が普通名詞としても用いられていることを指摘しておこう。
つまり、全国には「無数の」とは言えないまでも、「多数の」富士山があるからである。
いわゆる「郷土富士」と呼ばれる「山」がある。
例えば、以下のような「富士」は、比較的広く知られているものであろう。
「蝦夷富士(羊蹄山)」「津軽富士(岩木山)」「出羽富士(鳥海山)」「会津富士(磐梯山)」「伯耆富士(大山)」「薩摩富士(開聞岳)」
旧日本領だった台湾には、「台湾富士(玉山)」があるし、アメリカにも「タコマ富士」などがある。
これらは、その姿が「富士山」に似ているなどの特性を持ち、多くはその地の代表的な山でもある。
また「東富士」「北の富士」「千代の富士」などのように、力士のしこ名としても「富士」は用いられている。
また、女優として一世を風靡した「山本富士子」さんもいる。
いずれも、「日本一」の象徴としての「富士」に相応しいと言っていいだろう。
固有名詞としての「富士山」が普通名詞化したり、普通名詞の「山」が多様な意味で用いられたりするのは、ヒトの認知の仕組みという面で興味深いものがある。
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