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2009年8月

2009年8月31日 (月)

総選挙の結果

既に事前の報道で予測されていたことに近い結果だったので、意外感に乏しかったが、やはり歴史的な選挙だったというべきだろう。
55年体制以来、長く第一党であり続けた自由民主党が、文字通り惨敗した。
特筆すべきは、公明党の敗北ぶりであろう。
自由民主党と連立与党体制を敷いていたが、党首の大田昭宏氏、幹事長の北側一雄氏、冬柴鉄三氏などの幹部が小選挙区で落選し、比例区に重複立候補していなかったので、議席を失うことになった。
同党にとっては、よもや、ということであろう。
民主党は308議席を獲得した。
「勝ち過ぎ」との声もあるが、国民の政権交代への圧倒的な願いの結果というべきだろう。

私が批判してきた小池百合子氏は、小選挙区では落選したが比例区で復活当選した。
今後の、幸福実現党との「共闘関係」の行方を見守りたい。
共闘を続けるのであれば、教義にも賛同しているのか否か。
共闘を解消するのであれば、余りにもご都合主義ではないか。

そのほか、印象に残るのは、薬害肝炎訴訟九州原告団代表の福田衣里子氏が、数々の失言(というよりもホンネが出たと考えるべきだろう)久間章生元防衛大臣を破ったことだろう。
今回の選挙を象徴するものだと思われる。
当然のことだとは思うが、朦朧とした状態で記者会見を行った中川昭一氏にも、厳しい審判が下った。

私は、公示日に、今回の総選挙に対する関心の所在について記した。
2009年8月19日 (水):衆院選の公示
静岡県の結果は次のようであった。

先ず、前回の郵政民営化総選挙以来の因縁の対決となった7区では、無所属の城内実氏が、自民党の片山さつき氏を圧倒して当選した。
民主党の斉木武志氏は、小選挙区では城内氏の後塵を拝したが、比例区で復活当選した。
片山さつき氏は、比例区でも復活できなかった。
その他の7選挙区は、すべて民主党が自民党に打ち勝った。
3区では、金融担当大臣、厚生労働大臣などを歴任した自民党の柳沢伯夫氏が、比例区での復活当選も果たせなかった。
5区の斉藤斗志二氏は、かつて大昭和製紙のお膝元であり、盤石の地盤とされた富士市でも、細野豪志氏に大差を付けられた。
6区の渡辺周氏は、5区の細野氏と共に、前回の民主党にとっての大逆風の時にも、小選挙区で自民党を制しており、今回は余裕の戦いだったといえよう。

静岡県の全選挙区に候補者を立てていた幸福実現党は、全員落選した。
法定得票数にも達しなかったのだから、結果的に泡沫に過ぎなかったと言っていいだろう。
彼らの「守護霊」」は、有効なアドバイスをしてくれなかったのだろうか。
こういう政党が、「霊言」を語るのだから、信者も目を覚ましたらいいのではないか。

私の周りでも、「今まではずっと自民党に投票していたが、今回は民主党に入れる」と言っていた人が何人かいた。
「民主党がダメだったら、また変えればいい」という気持ちのようである。
しかし、私は、自民党が奪権する日は、もう来ないのではないかと思う。
まさに、「風」よりも「地殻変動」というアナロジーが相応しい不可逆的な変動だと思う。

私は政権交代は必要だと考えていたから、今回の結果は基本的に是である。
しかし、当然のことながら、問題はこれからである。
政権交代して、果たして何がどう変化していくのか?
「勝ち過ぎ」の民主党が浮かれたり、少数派に対する配慮に欠けたりすれば、次に厳しい結果が待ち受けている。
「驕れるものは久しからず」「盛者必衰の理」は世の常である。
「勝った」民主党にとっても、これからの道のりが厳しいものであることは間違いないだろう。

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2009年8月30日 (日)

近江遷都へのとまどい感

近江の都に関しては、柿本人麻呂の次の歌が人口に膾炙している(日本古典文学大系、岩波書店(5705)。

   近江の荒れたる都を過ぐる時、柿本朝臣人麿の作る歌  (万葉集1-29)

玉襷 畝火の山の 橿原の 日知の御代ゆ 生れましし 神のことごと 樛の木の いやつぎつぎに 天の下 知らしめししを 天にみつ 大和を置きて あをによし 奈良山を越え いかさまに 思ほしめせか 天離る 夷にはあれど 石走る 淡海の国の 楽浪の 大津の宮に 天の下 知らしめしけむ 天皇の 神の尊の 大宮は 此処と聞けども 大殿は 此処と言へども 春草の 繁く生ひたる 霞立ち 春日の霧れる ももしきの 大宮処 見れば悲しも

つまり、人麻呂は、近江遷都の理由を推し量りかねている、と言っていいだろう。
「どうして、つぎつぎに都を置いていた大和をから離れたのだろうか?」
「どうして、天離る夷の近江に移ったのだろうか?」

人麻呂がこの歌を作ったのは、持統朝初期の688年のことだとされる。
http://www.tulips.tsukuba.ac.jp/limedio/dlam/M72/M724197/9.pdf
つまり、近江京に遷都した667年から、およそ20年後ということになる。
既にその時点で、「春草が繁く生えて」はっきりとは所在確認ができなかったということである。

近江遷都に対しては、額田王の次の歌も有名である。

   額田王の近江国に下りし時作る歌、井戸王のすなはちち和ふる歌  (万葉集1-17)

味酒 三輪の山 あをによし 奈良の山の 山の際に い隠るまで 道の隅 い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 情なく 雲の 隠さふべしや 
    
   
反 歌
三輪山を 然も隠すか 雲だにも 情あらなも 隠さふべしや  (万葉集1-18)

解説をみてみよう。

いままさに大和を離れる一行の目の前で、雲が三輪山をおおい隠した。三輪の神が怒っているのだ。そこで、額田王が「せめて雲だけでも思いやりがあってほしい、どうか三輪山を隠さないでおくれ」と歌うこととなる。
三輪山は古くから大和を代表する山として崇められてきた。この山の魂を鎮めることは、そのまま大和への惜別を告げることにつながったようだ。だからこそ額田王は一行の思いを代弁するように、いつまでも三輪山を見ていたいという思いを歌い上げたのだ。

http://www.katakago.info/library/kikaku/0004/0004-5.htm

この歌も、大和の地への愛惜を強く感じさせる。
つまり、「天離る夷」に対しては、不満だということだろう。
なぜ、近江への遷都を決めたのだろうか?

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2009年8月29日 (土)

白村江敗戦のもたらしたもの

古代の日本列島は、中国などの史書では、「倭」と呼ばれていた。
それでは、「日本」という国号は、いつ誕生したのだろうか?
諸説があるが、663年に白村江において、唐・新羅連合軍に大敗を喫して、まさに国難的状況を迎えたことが1つの大きな契機となったことは、おおむね間違いないことであろう。

『日本書紀』の記述をどこまで信用していいかは問題であるが、いわゆる大化改新(乙巳のクーデター)から壬申の乱を経て、文武朝に至る期間は、「日本国」の誕生との関連でさまざまな出来事が起き、多くの謎と論点を秘めている。
例えば、以下のような出来事であるが、これらがまことにめまぐるしく起きたことになる。
645年:乙巳のクーデター
663年:白村江の敗戦
664年:甲子の宣
667年:近江京遷都
670年:庚午年籍
672年:壬申の乱
694年:藤原京遷都
701年:大宝律令

この時期の諸相については、いままで関心の赴くままに、言い換えれば余り体系的ではない形で触れてきた。
2007年9月22日 (土):倭国のラストプリンセス?
2008年1月12日 (土):「白鳳」という時代
2008年2月20日 (水):白鳳年号について 
2008年3月13日 (木):天智天皇…④その時代(ⅲ)
2008年4月 5日 (土):大化改新…⑨白雉期の位置づけ
2008年5月16日 (金):「日本国」誕生
2008年6月10日 (火):「時の記念日」の夢幻と湧源

中でも、白村江の敗戦は、先の東亜・太平洋戦争の敗戦に比すべき、大きな試練だったと想定される。
その影響は多方面に渡っていたであろうが、未だ全貌が明確に捉えられているとはいえないのではなかろうか。
例えば、戦後、百済等から大量の帰化人が渡来してきたとされている。
そして、その帰化人が、「日本語」の読み書きに大きな影響を与えたとされる。
日本語は、もともと朝鮮語と近い言葉だったと思われる。
日本語と朝鮮語の「同じ」と「違う」については、最近、金容雲『日本語の正体―倭の大王は百済語で話す 』三五館(0908)という著書が刊行されているが、まだ読了していない。

以前、白村江敗戦の言語的影響を解析した藤井游惟氏の説を紹介したことがある。
2008年4月17日 (木):言語学から見た白村江敗戦の影響
2008年4月18日 (金)言語学から見た白村江敗戦の影響②

藤井氏は、7世紀末から8世紀前半の律令制草創期に編纂された『記紀万葉』の表記法から発見された「上代特殊仮名遣い」(08年2月8日の項08年2月9日の項)を分析すると、それが日本語以外の言語を母語とする「言語的外国人」が、日本語を聞き取り、表記したものと考えざるを得ない、としたのであった。
その言語的外国人とは、他でもない白村江敗戦によって、大量に亡命してきた百済帰化人の一世・二世・早期の三世の世代だった、ということである。
この藤井氏の所説は、まさに目から鱗が落ちるような感じを覚えるものであった。

ところで、白村江での敗戦後、西日本各地に朝鮮式(百済式)の山城が築かれたことが知られている。
筑紫、対馬、長門、讃岐、大和などの地であり、瀬戸内海を進軍する唐の水軍を想定したものと考えられている。
その築城の技術的指導は、やはり亡命百済人によると考えられているが、相当広範囲に労働力が調達されたであろうから、白村江敗戦による痛手もあって、人々の不満も大きなものとなっていたと思われる。
そういう中で、近江への遷都が行われたのであった。

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2009年8月28日 (金)

さまざまな「戦後」/「同じ」と「違う」(7)

東亜・太平洋戦争(注:戦争についても、ネーミングは重要なファクターだと考える。先の、敗戦に終わった戦争をどう呼ぶか? 「第二次世界大戦」は、必ずしも日本のポジションや帰結を示すのに適切だとは言えない。「太平洋戦争」は、米(英)との戦争だったというイメージは湧くが、中国をはじめとする東アジアでの戦争の側面を欠落させてしまう可能性がある。「大東亜戦争」は、大東亜共栄圏の確立という戦争目的との関連は明確であるか、目的自体が日本の戦争指導者の主観が強すぎて、客観性に欠ける。「15年戦争」は、戦争の性格がよく分らなくなる。「アジア・太平洋戦争」は、必ずしもアジア全域が戦場になったわけではない。というようなことを踏まえて、「東亜・太平洋戦争」が最も妥当ではないかと思う)に敗戦してから、既に60年以上の年月が経過している。
私が生きてきた時間は、ほぼその期間にオーバーラップしているのだが、現時点でも「戦後」という呼び方をすべきかどうか。

既に、昭和31(1956)年の「経済白書」で、有名な「もはや『戦後』ではない」という言葉が用いられている。
つまり、「戦後」は、昭和30(1955)年までに終わっている、という認識である。
それは、日本のGDP水準が、昭和30年に戦前水準を回復したからである。
これから先は、「戦後復興」ではない新たな段階に移行するという意味である。

一方、「戦後」政治の枠組みという意味で、「55年体制」という言葉が使われている。
Wikipedia(09年7月26日最終更新)では、次のように説明されている。

55年体制(ごじゅうごねんたいせい)とは、日本において自由民主党と日本社会党が二大政党として君臨し、政治を行っていた体制。1955にこの構図が成立したためこう呼ばれる。
初出は政治学者の升味準之輔が1964年に発表した論文「1955年の政治体制」(『思想』1964年4月号)である。
太平洋戦争後、無産政党(日本社会党や日本共産党等)が合法化される一方で、同時に保守政党が乱立する事態が発生した。1951年に日本社会党が、日本国との平和条約と日米安全保障条約(安保)に対する態度の違いから右派社会党・左派社会党に分裂していたが、保守政権による「逆コース」や改憲に対抗するために、「護憲と反安保」を掲げ、1955年に社会党再統一を果たした。この日本社会党の統一に危機感を覚えた財界からの要請で、当時あった日本民主党と自由党が保守合同して自由民主党が誕生し、保守政党が第一政党となった。そして、ここに「改憲・保守・安保護持」を掲げる自由民主党と「護憲・革新・反安保」を掲げる日本社会党の二大政党体制、55年体制が誕生した。
55年体制の定義は与党の自民党と野党の社会党という構図、自民党と社会党が対立している構図、自民党が第一党で社会党が第二党という構図など諸説あるが、一般的には第一与党の自民党と第一野党の社会党という構図が有力である。
1955年当時の国際情勢はアメリカ合衆国とソビエト連邦による冷戦体制だったので、55年体制も冷戦という国際社会に合わせた日本の政治構造(「国内冷戦」)であると指摘する意見がある。

小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性』新曜社(0210)では、1955年までの「戦後」を「第一の戦後」、1955年からの戦後を「第二の戦後」として区分している。
「第一の戦後」期の日本は、アジアの後進国であった。
「第二の戦後」期の日本は、西洋なみの先進国となった。

「第二の戦後」期は、高度成長を実現し、やがてオイルショックによって急速な減速を余儀なくされたが、産業界は軽薄短小にシフトして世界のトップランナーとなった。
変動相場制の中で円は強くなり、バブルの徒花が咲いたが、当然のことながらはじけて「失われた○○年」となる。
「第二の戦後」期をいつまでと考えるかは人によりそれぞれだろうが、1997年には、山一證券や北海道拓殖銀行などの老舗かつ巨大金融機関が破たんした。

翌1998年に吉川元忠『マネー敗戦』文春新書(9810)が出版される。
吉川氏の主張について、「世に倦む日々」という人気サイトでは、以下のように最高評価をしている。

戦前以来の高度で格調高い日本の経済学。この本は、1980年代前半から1990年代後半までの日本経済史でもある。プラザ合意から円高、バブルとバブル崩壊、日米構造協議、アジア通貨危機からBIS規制へと「マネー敗戦」の経過が書かれている。10年前の時点からその前の20年間を総括した経済理論であり、グローバルスタンダードが確立する入り口で筆が置かれていて、読み返して何とも感慨深いものがある。ワーキングプアや格差社会は出て来ない。10年前は無かったからだ。証券化商品や金融工学も出て来ない。中国の姿もない。ユーロは始まったばかり。

なお、戦後論として著名な著作に、加藤典洋『敗戦後論 (ちくま文庫) 』ちくま文庫(0512)がある。
また、室伏志畔『白村江の戦いと大東亜戦争―比較・敗戦後論 』同時代社(0107)は、古代と現代の敗戦の「同じ」と「違う」について論じている。
07年9月22日:倭国のラストプリンセス?

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2009年8月27日 (木)

熱と温度 その4.熱伝導率と熱拡散率(続)/「同じ」と「違う」(6)

熱伝導率は直観的に分かる概念であるが、熱拡散率は、いささか直観的には分かり難い概念である。
熱拡散率の単位は以下のようになる。

熱拡散率: a=λ/(c・ρ)

λ=〔J〕〔1/s〕〔1/m〕〔1/K〕
c=〔J〕〔1/kg〕〔1/K〕
ρ=〔kg〕〔1/m・m・m〕
だから、

a=〔J〕〔1/s〕〔1/m〕〔1/K〕/〔J〕〔1/K〕・〔kg〕〔1/m・m・m〕
 =〔m・m〕〔1/s〕

となる。
つまり、時間当たりの面積である。
熱量も温度も出てこないのが不思議な気がするが、温度が広がっていく面積の拡大速度ということだろうか。

次のような、穴の開いた筒に水を注ぐ場合のアナロジーで考えてみる。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa486715.html
Photo_4図は、円筒に水を注いでいることを示している。
外部から水量Qが加わると、水位はT1からT2に上昇する。
上昇する水位ΔTは、水量Qと底面積Sによって決まる。

ΔT=Q/S (S=Q/ΔT)

Photo_3この円筒の底面に穴が開いていると、水はそこから外に流出する。
この場合は、温度変化の様子は、底から流出する水量を勘案することが必要になるが、流出する水量の速度は、穴の面積に比例する。穴の面積をsとすれば、

q=k・s (kは比例定数)

水位の上昇度合は、外部から加えられる水量Q、外部に流出する水量q、および円筒の底面積Sによって定まる。

ΔT=Q/S-q/S=Q/S-k・s/S

つまり、穴が開いていない場合に比べて、k・s/Sだけ水位上昇が抑制されることになる。
その程度は、s/Sが大きいほど大きくなる。

水を熱に置き換えて考えてみる。
熱量が水量、温度が水位である。
底面の穴から熱が外部(熱浴)に流出する図とみなせる。
この穴の面積が熱伝導率である。

温度(=水位)は、底の穴の大きさ(熱伝導率)だけでは決まらない。
s/Sの値が問題になる。
これが熱拡散率に相当するものである。
つまり、熱拡散率は、底面積が小さく(比熱が小さく)、穴の面積が大きいほど、高い。
熱拡散率が高いということは、温度を上昇させないで、熱を外部に流出させることができることを意味している。

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2009年8月26日 (水)

熱と温度 その3.熱伝導率と熱拡散率/「同じ」と「違う」(5)

パソコンやプリンターなどの電子製品は、高機能化・小型化を図ろうとすると、そこから発生する熱をどう処理するかが大きな問題になってくる。
私が常時使っている2台のノートパソコンも、熱処理の性能が大きく異なっている。
古いPCは、長時間使用しているとかなりの高温になってくる。
そして、放熱のためのファンの音が、気になるくらい大きくなる。

新しいPCは、同じように長時間使用しても、ほとんど温度が変化しない。
おそらくは、放熱部材の技術進歩によるものだと思われる。
電子部品の故障の原因としては、振動や湿度、埃などもあるが、もっとも多いのが熱であり、50%以上になるといわれる。

熱は、故障の要因だけでなく、半導体の寿命にも影響してくる。
たとえば、低炭素社会実現のための次世代照明の主役として期待されているものにLED照明がある。
LEDは、従来、照度が照明用としては不足していたため、信号やバックライトなどの用途に限定されていた。
Photoそれが、次第に高い照度が得られるようになってきたことから、省エネ型の照明として大きな期待が寄せられるようになっている。http://denko.panasonic.biz/Ebox/everleds/led/principle/index.html

白熱電球に比べると、LED照明の消費電力は10~20%程度とされ、寿命は4万時間以上とされている。
4万時間といえば、24時間365日連続点灯しても、4年半以上ということになるから、メンテナンスフリーに近づけば、特に屋外の用途には大きな利点となる。

しかし、LEDの寿命は、温度によって大きく変化する。
LEDの明るさは、電流に比例するが、大電流化すると、発熱量が大きくなるため、適切な放熱対策を講じて、LED部分の温度を一定温度以下に保たないと寿命が短くなって、長寿命というLED照明のメリットが失われるこPhoto_2とになる。
つまり、明るさと寿命がトレードオフの関係にある、ということである。http://denko.panasonic.biz/Ebox/everleds/led/principle/index.html

したがって、明るさと寿命を両立させるためには、放熱効率を高めることが必須となる。
小電流の場合には問題にならなかった熱対策が、大電流化と共に大きなテーマになってきているのである。
LEDの温度を一定以下に抑えるためには、発生した熱を効率よく逃がしてやることが必要である。
熱の伝わりやすさを示す指標として、熱伝導率がある。

物質内に温度差があると温度の高い部分から低い部分へ熱が移動する。
この熱の移動の起こりやすさを示すのが、熱伝導率である。
熱伝導率(λ)は、単位長さ(厚み)あたり1(K)の温度差があるとき、単位時間に単位面積を移動する熱量(Q)であらわされる。
http://www.weblio.jp/content/%E7%86%B1%E4%BC%9D%E5%B0%8E%E7%8E%87

λ=Q/m・K

この熱伝導率の値が大きければ大きいほど、移動するする熱量が大きく、熱が伝わり易い、ということになる。

熱伝導率が高いことは、すぐれた放熱材料のための必要条件ではあるが、十分条件とはいえない。
なぜならば、放熱性とは、温度の変化をコントロールするものであるが、物質によって熱容量が異なり、温度変化は熱容量も勘案しないと、評価ができないからである。
8月14日:「同じ」と「違う」(1)熱と温度 その1.熱容量と比熱

熱伝導と熱容量を組み合わせれば、温度コントロールの指標とすることができる。
それが次式で表される熱拡散率である。

熱拡散率: a=λ/(c・ρ)
  ただし、 c:比熱、ρ:密度   c・ρ=熱容量  

最終的には、放熱部材としては、熱拡散率の高い材料が好適ということになる。

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2009年8月25日 (火)

ポピュリズムとトリックスター

「政策」と「政局」という言葉が、対で用いられる。
麻生首相も、「政局よりも政策」といって、解散総選挙を引き延ばし、結果として抜き差しならない政局を迎えることとなった。

「政局」というのは、政治のある局面ということだろう。
その典型が選挙である。
どちらを優先すべきか?
国民にとっては、言うまでもなく「政策」である。
選挙でどの候補者が当選し、どの候補者が落選しようとも、問題はどのような政治が実行されるかである。

しかし、政治家自身にとって、政局がより重要であることは論を待たない。
まさに「落選すれば、タダの人」であって、政治家としての価値が激減してしまう。
選挙はある意味で資金繰りのようなもので、その時々で待ったなしの課題である。

選挙が多数を争う以上、勝つか負けるかを中心に考えれば、そして、政治家にとってはそれがすべてに近いのだろうが、必然的に大衆の意向に沿おうということになる。
つまり、民主主義社会がポピュリズム化することは不可避だと思われる。
しかし、それにしても程度の問題ということがある。
人気が高いからといって、芸能人やスポーツ選手が当選したところで、大した政治的実績を残せないことは、多くの実例が示してきたところである。

最近は、こういう傾向はやや控え目になってきたのかと思われるが、それにしても大衆的な人気の高いとされる某知事や某大臣などを、現職を転換してでも総選挙の目玉にしようという動きがあった。
さすがに、批判の声も高くなって、また本人の意向などから、結果としては実現しなかったが、人気によりかかろうとする姿勢がミエミエだった。

マニフェストなども、どうも人気取りの方向に傾いていると言われている。
確かに大衆受けするか否かが判断基準になり、いわゆる「風」の向きを気にせざるを得ない。
「風」は一夜にして変わる可能性もあり、候補者としても苦労していることだろうと思う。
ここしばらくは、反与党の風が大勢を占めている。

先の都知事選では、与党のベテラン政治家を、野党の新人候補があっさりと破った。
この結果を、都知事が、「2週間前から(活動を)始めた民主党の候補が自民党のエース中のエースを破るのは異常。浮薄な選挙になった」と批判した。
http://blogs.yahoo.co.jp/nothigcat2000/archive/2009/7/14
同じ都民から選挙で選ばれた都知事が、「それを言ったらおしまい」ではなかろうか。

ポピュリズムとの関連で、トリックスターという文化人類学の用語が使用されることがある。
例えば、次のように説明されている。

いたずら者、ペテン師、…しかし、硬直化した価値観を壊して人々に笑いと創造をもたらす者。低俗なトリックスターは破壊のみをもたらし、高尚なトリックスターは破壊の後に新しい秩序をもたらす。
http://i-otter.hp.infoseek.co.jp/archetype/trickster.html

大衆は往々にして、アンチ権力的な気分を持っているから、トリックスターは大衆的な人気を獲得する場合がある。
郵政民営化総選挙の際の小泉純一郎元首相や、東国原宮崎県知事などがその例だとされる。
トリックスターの評価は、破壊するものと創造するものとの比較考量により定まるだろう。
私は、大川隆法・幸福の科学総裁や田母神俊雄元航空幕僚長なども、トリックスターの一種ではないかと思っていたが、どちらかと言えば、権力志向者であってトリックスターの範疇からは外れるのかも知れない。

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2009年8月24日 (月)

大川隆法と田母神俊雄/「同じ」と「違う」(4)

唐突な比較かも知れないが、「幸福の科学」の大川隆法総裁と、元航空幕僚長田母神俊雄氏から受ける印象が、かなり類似しているのではないかと感じた。
田母神俊雄氏の行動と主張に関して、疑義を提出したことがある。
09年1月10日:田母神第29代航空幕僚長とM資金問題
09年1月11日:田母神前幕僚長のアパ懸賞論文への応募
09年1月12日:田母神氏のアパ論文における主張…対華21箇条要求
09年1月13日:田母神氏のアパ論文における主張②…張作霖爆殺事件

幸福実現党(大川隆法総裁)の名前で出されている意見広告がある。
大川隆法総裁の講演から抜粋したものだと説明している。
まず、リード部分で次のようにいう。
いま、総選挙で問われているのは、政権選択ではなく、「国難にどう対処するか」ということだ、とする意見である。
私は、「国難にどう対処するか」に対する判断を投影する政権選択選挙だと考えるが、幸福実現党の意見広告の大見出しを抜き書きしてみよう。
【北朝鮮「拉致問題」】
【「憲法九条」は植民地思想】
【「靖国参拝」について】
【「国益」を論じるのは当然】
【「国防」に言論の自由を】

さて、「これが誇りある日本の教科書だ」という副題のついた田母神俊雄『田母神塾』双葉社(0903)を見てみよう。
田母神氏は、北朝鮮による拉致問題を解決するためには、「日本人拉致=北朝鮮による先制攻撃」と解釈し、北朝鮮に攻撃を仕掛けるべきだ、と説いている(p216)。
これは、自民党小池百合子氏と幸福実現党が共闘を宣言した同党の立候補予定者だった泉としひこ氏の合同街頭演説会で泉氏が演説していた「自衛隊のレンジャー部隊を送り込んで、金正日を生け捕りにする」ということと共通するだろう。

田母神氏は、憲法や教育基本法などを改正した占領期間中の法改正は国際法違反で、大日本帝国憲法時代に戻ることが好ましいとしている(p70)。
これも、「憲法九条の思想は植民地思想」で、九条の存在そのものが国家の主権を放棄する違憲の疑いのあるものである、とする幸福実現党の主張とほとんどオーバーラップしているといってよい。
両者ともに、占領期間は植民地の時代で、その期間に決めたことは無効だという主張である。

靖国神社への首相や大臣の参拝に関しても、両者の主張はほとんど同じとみていいだろう。
幸福実現党の主張は、田母神氏の著書を「教科書」にしているのではないか、と思うくらいである。
それも当然のことと考えるべきであろう。【「国防」に言論の自由を】の項で、次のように言っている。

昨年、新聞に航空幕僚長が更迭された記事が載っていましたが、自衛隊幹部が自由な意見を発表しただけで、すぐに更迭されるようでは、この国の安全が守れるかどうかは怪しいところがあります。

田母神氏が更迭されたのは、自由な意見を発表しただけだからではないだろう。
その意見が、内閣の公式見解と著しく乖離したものだったからである。
私は、田母神氏とほとんどの主張を同じくする幸福実現党は、やはり軍国化路線をめざしていると判断せざるを得ない。
それは自民党の一部のタカ派と共通するものであり、その1人として、小池百合子氏がいる、という構図であろう。

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2009年8月23日 (日)

「幸福の科学」のビジネスモデル

幸福実現党のPR動画に関連して、「神がかり」と「軍国化」の複合の危険性を指摘した。
8月21日:幸福実現党の軍国化路線

宗教法人だから「神がかり」は当然なのかも知れないが、それが現実政策として提示されると、黙視しているわけにはいかないだろう。
幸福の科学出版社から、「ザ・リバティ」という月刊誌が刊行されている。
宗教法人「幸福の科学」の機関誌もしくは広報誌である。
その0907月号に、『金正日・鳩山由紀夫守護霊の霊言』という記事が掲載されている。
同教団の大川隆法総裁の、『金正日守護霊の霊言』幸福の科学出版(0907)という書籍が刊行され、その一部を紹介したものだ。

内容は、金正日総書記と鳩山由紀夫民主党代表の守護霊へのインタビュー、ということである。
ちなみに、守護霊については、次のように説明されている。

守護霊とは、地上で生きている人間の人生をあの世から導いている霊のこと。すべての人に1人ずつおり、心理学上は「潜在意識(無意識)」の一部と位置づけられる。そのため、本人の表面意識も自覚していない「本音」が表れる。

また、霊言とは、霊的なメッセージのことである、という。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%CE%EE%B8%C0

先ず、金正日の守護霊の霊言である。
1.「核兵器、揃えました。すべての都市を攻撃できます。10分以内に日本人を滅ぼすことができます」
2.「民主党、共産党、社民党、まあ、これらはみんな、わしらの“部下”」
3.「日本人には奴隷的拘束を35年は受ける義務がある」

これらは大見出しともいうべき項目で、次に、ブレークダウンした以下のような項目が並ぶ。
■「中国は北朝鮮を強化して、アメリカの覇権を終わらせようとしているから、実は、隠れた、2回目の冷戦が、今、始っておるんだよ」
そして、「本文」でこれらの言葉が解説されている、というスタイルである。

鳩山由紀夫の守護霊の霊言は、次の通りである。
1.「私は撃ち込まれるまで信じませんね」
2.「日本も悪いことをいっぱいしてきましたからね。(北朝鮮に)許しを乞わなければいけません」
3.「弟のほうに、自民党を割るように指示はしてあります」

インタビューだということだから口語表現になっているのだろうが、なんとなくユーモラスな感じもするが、「本人も自覚していない『本音』」と言われると、反論のしようもない、ということになる。
この守護霊の霊言を紹介する、という形で大量の書物を刊行する、というのが大川隆法氏もしくは「幸福の科学」のビジネスモデル、といっていいだろう。
書物は大部数になれば、原価は紙代に近づいてくる。
超ベストセラーを手にした出版社がビルを新築した事例はいくらでもある。
「幸福の科学」で出している出版物の部数がどの程度かは不明だが、幸福実現党の資金源であると考えていいだろう。
しかし、出発点が、「守護霊=あの世から導いている霊」だというのは、やはりオカルトと位置づけるしかないのではなかろうか。

守護霊にインタビューすることができるのは、大川総裁だけなのだろうか?
あるいは、一定の霊的(?)なポジションを確保できれば、守護霊とコミュニケーションできるのだろうか?
また、守護霊はすべての人に1人ずついるということであるが、どの守護霊とも無差別にコミュニケーションできるのだろうか?

彼らの考えによれば、私にも守護霊がいて、私の意識しないところで私の思考をコントロールしている、ということになる。
つまり、主体性を持った個人というものは存在しないということになるのだろう。
余り真面目に考えるべき問題ではないとは思うが、それが一定の影響力を持っている(例えば、小池百合子氏との共闘)ところが危うい。
合理の目を失わず、批判すべきは批判したい。

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2009年8月22日 (土)

小池百合子氏と幸福実現党が共闘!

きっこのブログ」でも紹介されているが、自民党の小池百合子氏と幸福実現党が共闘すると宣言している。
http://www.youtube.com/watch?v=ZQF7Lyig1nA

小池百合子氏が立候補しているのは東京10区である。
前回の郵政民営化総選挙で、郵政民営化法案に反対票を投じた小林興起氏の対立候補として、兵庫6区から転戦した。
いわゆる郵政民営化反対勢力に対する「刺客」の代表格として位置づけられた。

小池氏の政界歴をみてみよう。
1992年7月の第16回参議院議員通常選挙で、日本新党から比例区に立候補して当選。
1993年7月の第40回衆議院議員総選挙で兵庫2区から立候補して当選。
その後、諸政党の合従連衡の中で、新進党に合流。
新進党分裂後は、自由党に参加し、自由党分裂に際しては保守党に参加。
2002年12月に保守党を離党して、自民党に入党した。

自民党では、小泉内閣で環境大臣、安倍内閣で防衛大臣などを歴任し、2008年の自民党総裁選では自ら立候補した。
自民党の中でも有力者の1人になっていると言っていいだろう。
しかし、上記の履歴の背景には、細川護煕、小沢一郎、二階俊博、小泉純一郎、安倍晋三、中川秀直など、時の権力者・実力者に寄り添う姿勢が顕著だったとも言われている。
「風見鶏」ならぬ「渡り鳥」という揶揄も聞こえるが、本人は風を受けて動く「風車のお百合」を自称しているという。
私には、ブレを測るための基軸がないように見受けられる。
つまり、ブレ以前のスタンスということだ。

今回の選挙では、同区に、民主党が新人の江端貴子氏を擁立した。
東京大学の准教授だったが、民主党の公募に応じて候補者になった。
今までの実績からすれば、知名度において優る小池氏が圧倒的に有利というところだろう。
しかし、折からの環境条件である。
しかも、無所属での出馬を予定していた小林興起氏が民主党の比例東京ブロックに公認され、江端氏の支援に転身した。

小林氏の民主支援声明に、小池陣営は、危機感を募らせて、幸福実現党から出馬を予定していた泉としひこ氏に選挙協力を打診したところ、泉氏が「小池さんと志は一緒」と回答して、あっさり不出馬を決めたという。
なんでもアリとは言うものの、「敵の敵は味方」という論理すら超えた、頼れるものは何でも頼るといった構図である。

泉としひこ氏の演説は以下により見ることができる。
http://www.youtube.com/watch?v=xB1qRJ49MfE
泉氏は、「北朝鮮に自衛隊のレンジャー部隊を送り込み、金正日を生け捕りにして、東京で裁判にかける」と表明している。
また、小池氏は、幸福実現党の比例東京ブロックから出馬する、発明王ことドクター中松の「ミサイルUターン技術=ミサイルをUターンさせ自爆させる発明」にも理解を示しているという。
どこまで本気で考えているのだろうかと思うが、自民党の総裁候補者だった(つまり総裁選の立候補に必要な推薦人を集めた)小池氏が、幸福実現党の立候補予定者だった泉氏と、固い握手をしていることは記憶に留めておきたい。
Photo_3

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2009年8月21日 (金)

幸福実現党の軍国化路線

知人に、「北朝鮮、核ミサイル発射!!」という動画を見せられてびっくりした。
都心のオフィスビルと思しき職場で、男性社員がTVを見ていると、番組の途中で緊急情報が飛び込んでくる。
Photo北朝鮮が、 核ミサイルの可能性が高いと推測される飛翔体を発射した、という情報である。
そして、飛翔体が発射されたとされる時刻の7分後、大阪で大きな爆発音がした、と報じられる。
そして、大阪についで、名古屋でも。
さらには、東京でも核ミサイルが爆発する。
オフィスビルの外には、キノコ雲が……。
東京の街は、灰燼に帰す。
http://www.youtube.com/watch_popup?v=k354akEKAZw#t=22

これが、実は幸福実現党のPR用動画なのだ。
北朝鮮からの核攻撃が迫っている、ということを訴求したものだ。
いくらPR用とはいえ、いささか非常識な作品ではなかろうか。

この後、幸福実現党が掲げる政策が提示されている。
1.憲法改正、国の防衛権を定める
2.「毅然たる国家」として、独自の防衛体制を築く
3.日米同盟の堅持、国益重視の外交
要するに、軍事力を強化せよ、という主張であり、軍国化を目指すということである。

「幸福の科学」の「高」次元の話と、幸福実現党のタカ派的政策とが、どういう論理的な繋がりがあるのか、よく分らないが、幸福実現党の公式サイトをみると、主要施策として、次の3つが掲げられている。
1.大減税による消費景気で、日本を元気にします。
 ・消費税、相続税、贈与税を全廃します。
 ・年率3%の経済成長を果たし株価を2万円台に乗せます。
2.北朝鮮のミサイルから、国民の安全を守ります。
 ・「毅然たる国家」として独自の防衛体制を築きます。
 ・憲法9条を改正し、国民の生命・安全・財産を守ります。
3.積極的人口増加策で、2030年にGDP世界一を実現します。
 ・3億人国家を目指します。
 ・少子化問題の原因となっている「住宅」「教育」「交通」のボトルネックを解消します。
 ・海外からの移民を積極的に受け入れます。

紹介を続けていると、幸福実現党のPR戦略に乗せられてしまう恐れがあるが、私は、この路線には強く異議を唱えるものである。
「神がかり」と「軍国主義」が複合するとどういう結果になるか。
私たちは、歴史の教訓を決して忘れてはならないだろう。

ところで、少子化問題がクリヤされたとしても、日本人の人口が、一朝一夕で急増するわけではない。
上記の3億人国家というのは、移民の積極的受け入れという主張と併せて考えると、過半が異民族で構成される国家、ということになる。
それが、幸福実現党の目指す国家像なのだろうか?

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2009年8月20日 (木)

「幸福の科学」の奇怪な世界観

静岡県の全小選挙区に候補者を立てているのは、政権を争う自民党と民主党に加え、新たに参入しようとしている幸福実現党の3党である。
幸福実現党は、宗教法人「幸福の科学」を母体とする政党である。
その「幸福の科学」は、どのような世界観に立脚しているのだろうか?

とりあえず、同教団のサイトを覗いてみた。
基本教義として、「四正道」というものが説かれている。
http://www.kofuku-no-kagaku.or.jp/about/osie/
以下の4つのことである。

1.愛の原理
「人を愛しなさい」という教え。
本当の愛は、見返りを求めず人に与えることで、「自分が何をしてもらえるか」ではなく、「自分が何をしてあげられるか」を考えること。
この「与える愛」こそが、幸福の出発点。

2.知の原理
仏法真理の知識を学び、仏の心を知るということ。
知識として学んだ真理を、家庭や職場で実践し、経験を通した「智慧」に変えていくことで、人生の悩みを解決し、本当の自由を手にすることができる。

3.発展の原理
発展とは、自分も他の人々も、ともに幸福になっていこうという気持ち。
仏法真理を学び、実践することによって自分が幸福になったら、それを自分一人だけの幸福で終わらせるのではなく、まわりの人々に広げていくこと。
多くの人々と喜びを共有することで、魂の幸福感はいっそう強くなる。

4.反省の原理
幸福な人生を送るためには、反省が必要。
人間が、さまざまな間違いを犯すことは避けられない。
仏法真理に照らして、日々、自分の心を点検し、「自分は間違っていた。今後は同じ間違いをするまい」と修正していけば、心が浄化されて人生が好転し、死後、天国に還ることができる。

まあ、これらは、当たり前というか、常識から逸脱するようなものではない。
しかし、このサイトだけでは、この教団の持つ世界観は余り良く分らない。
そこで、同教団の総裁である大川隆法氏の著作の中から、基本書とされる『新・太陽の法』幸福の科学出版(9406)を紐解いてみた。
目次には、「存在と時間」「有限と無限」など、哲学的な見出しがみえる。

「多次元の宇宙」という項目を見てみよう。
大川氏は、次のように説明している。
一次元の世界とは、点の連続からなる直線の世界である。
二次元の世界とは、縦と横がある面の世界である。
三次元の世界とは、縦、横、高さからなる形状の世界である。
四次元の世界とは、三次元の世界に時間の要素が加わった世界である。
時間の扱い方についてはいささか疑問があるが(例えば、四次元の世界の住人は、鎌倉時代の人間と昭和時代の人間が、同じ場所で握手できる、と説明している)、まあ、ここまでは一般的な説明と言っていいだろう。

不可解なのは、五次元より高次元の世界の説明である。
先ず、五次元の世界とは、「四次元+精神」だとする。
精神性に目覚め、物質的な肉体人間でないことが、五次元世界の住人の条件だという。
六次元は、「五次元+真理知識」の世界だという。
七次元は、「六次元+利他」である。
八次元は、「七次元+慈悲」である。
九次元は、「八次元+宇宙」である。
十次元は、「九次元+創造・進化」である。

十次元の三体の意識を「大日意識」「月意識」「地球意識」という。
「大日意識」は、地球生物の積極的な意思、陽性をつかさどり、「月意識」が消極的な面、優美な女性的な面をつかさどり、「地球意識」が、地球の生命体としての意識、地球上での天地創造をつかさどる、と説明する。
地球の45億年の歴史は、この3つの意識体の作用によって展開してきたということだ。

まあ、常識人であれば、これ以上のことに関しては、「もういいよ」ということになるだろう。
しかし、地球系は十次元までだが、太陽系としては十一次元世界があり、銀河系として十二次元があり、最終的には大宇宙の根本仏(神)は、二十次元以上の存在だと説くのである。
こういう思考から出発している政党が、現実政策を説き、それが何がしかの支持を得るとしたら、脅威である。
何を行おうとしているのだろうか?

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2009年8月19日 (水)

衆院選の公示

8月30日を投票日とする第45回衆院選が、18日公示された。
7月21日に解散されてから、既に1カ月近く過ぎているから、すっかり間延びした感じである。
それが、逆風といわれている与党陣営の狙いでもあったのだろうが、現時点の風向きをみると、その狙いが成功しているとはいえないようだ。
政権交代が実現するのかどうか、多くのメディアは、それを既定の事実の如く報じているが、選挙のベテランは、「まだ何が起きるか分からない」という。

私自身は、政権交代は必要だと考えている。
もちろん、交代してどうなるか、が重要な課題ではあるのだが、もし、自公政権が継続する状況を考えるとすると、この国は、選挙によっては変わらないのだ、という思いを多くの人が感じることになるだろう。

自民党の中では、既に、政権交代を前提として、「政権奪回プログラム」がささやかれているという。
早期の政権奪回を可能とするためには、衆院で何議席を獲得する必要があるか?
政権奪回のためには、誰を総裁にするべきか?
要するに、「いかに負けるか」という「負けっぷり」に賭けようという動きである。
「負け犬」の行動ということになるだろうか。

静岡県には8つの選挙区があって、28人が立候補を届け出ている。
注目したい点はいくつかある。
7区では、郵政民営化に反対の信念を貫いて、事実上自民党を除籍された城内実氏と、最も有名・有力な刺客とされた片山さつき氏が激突する構図が再現する。
城内氏は、4年間、地道に地元で活動を続けてきた。
片山氏は、財務省主計局で初めての女性主計官という華麗な経歴をもとに、弁舌鮮やかな論士としてTVなどのマスコミでも活躍してきた。
郵政民営化の評価を含め、全国的な注目区といってもいいだろう。

ところが、そこに民主党公認候補として、元NHKアナウンサーという斉木武志氏が割って入った。
斉木氏は、政権交代の風に乗って、好位置に付けているという下馬評である。
さらに、幸福実現党県副代表の竹内隆文氏が加わっている。
静岡7区の結果は、今後の動向を占う1つの指標となるだろう。

5区では、山本某嬢とのスキャンダルを報じられた細野豪志氏と、自民党の斉藤斗志二氏が再戦する。
細野氏は、郵政民営化選挙という民主党にとっての大逆風下でも、斉藤氏を制した実績を有する。
斉藤氏は、かつては静岡県政の有力門閥だった大昭和製紙の斉藤一族の1人である。
大昭和製紙そのものが、既に日本製紙と経営統合して、単独企業として存在していない。
栄枯盛衰は世のならいで、本来ならば、細野氏が圧倒的に有利な情勢のはずであるが、スキャンダルによる減票がどの程度になるのか?
そして、ここでも幸福実現党の県副代表という堀慎太郎氏が立候補している。

驚くべきこと(ではないのかも知れないが)に、幸福実現党は、8選挙区の全選挙区に候補者を擁立している。
全選挙区に候補者を立てているのは、自民党、民主党、幸福実現党の3党だけである。
公明党、社民党、国民新党、改革クラブ、新党日本、新党大地は、静岡県内の小選挙区候補者はいない。
共産党が2、みんなの党が1、無所属が上記の城内氏の1人である。
幸福実現党のデビュー戦略が、どのような結果を見せるのか。

この幸福実現党の候補者の肩書きをみると、全員が、幸福実現党の役員(県代表もしくは副代表)であり、かつ幸福の科学(施設)職員である。
つまり、幸福の科学の専従の活動家ということなのだろう。
しかも、ほとんどの人が、いわゆる有名大学の学部もしくは院という学歴である。
おそるべき(あるいは不気味なほどのというべきか)組織力・資金力である。

幸福実現党から、小選挙区で当選する候補者はいないだろうが、比例区への貢献度がどの程度になるのか?
これも1つの注目点だと思われる。
いずれにせよ、歴史的な総選挙と位置づけられることになるのではなかろうか。

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2009年8月18日 (火)

ギラン・バレー症候群と砒素中毒の鑑別診断/「同じ」と「違う」(3)

女優の大原麗子さんが亡くなった。
自宅寝室で亡くなっていたのを、6日に、弟の政光さんが警察官とともに発見した。
死因は、解剖の結果、不整脈による内出血と診断された。
晩年はそううつ病やギラン・バレー症候群との闘病生活だったが、復帰を目指し、月1回の通院や、筋トレなどリハビリも行っていたという。

大原さんといえば、サントリーのCMで多くのファンを魅了した。
サントリーによれば、CMは、昭和55(1980)年の「レッド 雷篇」から平成2(1990)年の「オールド ニューヨーク篇」まで、27シリーズ約80作品が放送された。
ほとんどが、市川崑監督が手掛けたものである。

日本酒の愛好家をウイスキーの世界に取り込むため、和の世界でウイスキーをアピールしようということで起用された。
もっとも、当時の大原さんは、和のイメージではなかったらしい。
それが、和服を着て、男の帰宅を待つ女を見事に演じることによって、大原さん自身が「和」を代表するキャラクターになった。

大原さんが亡くなられた報道記事の中で、ギラン・バレー症候群という言葉が使われていた。
以下のような病気である(Wikipedia/09年8月10日最終更新)。

ギラン・バレー症候群( - しょうこうぐん、Guillain-Barré syndrome)とは、急性・多発性の根神経炎の一つで、主に筋肉を動かす運動神経が障害され、四肢に力が入らなくなる病気である。重症の場合、中枢神経障害性の呼吸不全を来し、この場合には一時的に気管切開や人工呼吸器を要するが、予後はそれほど悪くない。日本では特定疾患に認定された指定難病である。

まあ、一般によく知られている病気とは言えないだろう。
しかし、私には、和歌山カレー殺人事件を、当時は珍しかったインターネットを駆使して追求した三好万季『四人はなぜ死んだのか』文春文庫(0106)で言及されていた記憶があった。

三好さんは、前段階に起きている急性砒素中毒事件を、きちんと鑑別診断していれば、和歌山カレー殺人事件は起きなかった可能性がある、と指摘している。
どういうことか?

「毒婦」にしてみれば、致死量におよぶ「重(亜砒酸)」を盛っても、「ギラン・バレー症候群(GBS=多発性根神経症)」などという聞いたこともない病名が付くのだから、腹の中では呵呵大笑していたに違いない。
実はGBSは、少なくとも砒素中毒ではないと鑑別されなければ、付けられない病名なのである。
「重」を盛っても、絶対にばれない!」
経験の積み重ねに裏打ちされ、学習されたこの確信がある限り、これほど快感を伴うスリル満点のゲームがやめられる訳がない。おまけに保険会社が、大型賞金まで付けてくれるのである。

ただし、ギラン・バレー症候群と砒素中毒の鑑別診断については、Amazonの書評で、以下のように批判されていることを付言しておく。

カレー事件以前の砒素中毒で、医師たちがギランバレー症候群と誤診したことも著者は批判しているが、砒素中毒よりもギランバレーの方がずっと確率が高いのだから、症状が部分的に重なっていれば、そう診断されても仕方がない。

私には、ギラン・バレー症候群と砒素中毒の鑑別の困難さは分からない。
しかし、結果的に砒素中毒だった事件を、最初は食中毒と誤診断し、次に青酸中毒と誤診断したことも事実である。
この事件では、遺族らが、初期治療を行った和歌山日赤病院を相手取って、急性砒素中毒の初期治療に不備があった、などとして損害賠償請求を行った。
一審では遺族らの主張が一部認められたが、二審では病院側の勝訴になった。
いずれにしても、症状から原因を判断する上で、何が「同じ」で、何が「違う」か、を判断することが決定的に重要であるといえよう。

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2009年8月17日 (月)

温度と熱 その2.水の特異性/「同じ」と「違う」(2)

水の比熱は、鉄の比熱の約10倍である。
8月14日:「同じ」と「違う」(1)熱と温度-その1.熱容量と比熱
つまり、水は鉄よりも10倍温度変化し難い。
同じ熱を加えても、水は鉄に比べて、温度が変わりにくいということである。

地球の温暖化ということが言われている。
地球の温度は太陽からの熱によって支えられている。
太陽からの放射エネルギーは、1時間分で、原油換算約100億トンに相当するといわれている(佐伯平二/おおの麻里『「2℃の違い」を知る絵本 』青春出版社(0806))。
熱の伝わり方には、伝導、泰龍、放射の3種類があるが、熱を伝える媒体のない太陽から地球へは、放射によって熱が届けられる。

地球は「水の惑星」とも呼ばれている。
太陽系の中では、この惑星にのみ13.5億立方kmの水が地表の面積の71%を覆っている。
その結果として、地球全体としての温度は、太陽からの熱を受けても、変化し難い。

物質としての水は、実に不思議な性質を持っている。
それは以下のような性質である。
http://www.eco-g.co.jp/mizu.html

水は長い時間をかけると全ての物質を溶かしてしまう、最強の溶剤である。
水は岩石中の成分をいわば強引に水の中に溶け込ませてしまう働きをする。
太古、原始の海は淡水だった。降り続く雨が大気中の塩素と陸地のナトリウムを溶かして運び込み、いつしか塩分の濃い海としていったのだ。
王水以外どんな酸にも溶けないという安定物質「金」すらも溶かして、海中には世界中の人たちが大金持ちになれるほどの金が溶け込んでいる。
コップに水を注いだ瞬間から、コップは水に溶け始まり、天文学的時間をかけて溶かしてしまうと言うのだ。
自然の温度の元で、固体、液体、気体の3態をとる唯一の物質。
地球上の水は固体(氷)で1.7%、液体で98.3%、気体で0.001%存在する。
地上の最低気温-60℃から最高気温+60℃でこのように3態をとる物質は他に無い。
固体の方が液体より比重が軽い希少な物質。
物質は一般的に固体になるほど密度が高まると言う規則性がある。
ところが水は4℃まで密度が大きくなっていったかと思うと、反転して密度が小さくなり氷になると8%も密度が小さくなる希少な物質だ。
あらゆる物質の中で最大の比熱を持つ。
地上に満ち溢れた水が、最も大きな比熱を持ち、他の液体に比べ異常なほど大きな気化熱を奪う。その事が生物の温度調節にも有効なら、気候を安定する上でもこの上ない物質だというのも不思議な話だ。
蛇足だが、水より比熱の大きな物質が一つだけある。
1気圧のもとでは-78℃から-33℃の間で存在する液体アンモニアが1.1の比熱を持つ。
もっとも、宇宙では水より一般的な物質だが、地球上では常温では存在し難いから考えなくていいだろう。
液体中最大級の表面張力を持つ
分子の結合力の大きな液体ほど表面張力が大きくなる。
水は水銀を除いて常温で最も大きな表面張力を持つ。
水滴が球状なのも、毛細管現象が起きるのもこの表面張力のせいで、水がこれほどの表面張力を持っていなかったら、世界はずい分変わっていたろう。

この水が大量に存在することが、地球に生命が誕生したキー・ファクターであることは間違いない。
そして、人間の胎児は90%、幼児は70~80%、成人は60%が水で構成されている。
そしてなんと、脳の90%も水だという。
http://www.eco-g.co.jp/mizu.html
つまり、ヒトの一生は、組成的に水を失っていく過程だということになる。
「水の惑星」は、ある種の奇跡ではないかと思えてくる。

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2009年8月16日 (日)

敗戦責任の所在

昨日、江藤淳氏の「有条件降伏論」との絡みで、昭和天皇の「終戦遅延責任」について触れた。
今日(8月16日)の産経新聞のオピニオン欄は、昭和51(1876)年10月1日掲載の会田雄次「忘れられた『敗戦責任』」と題する論考の再掲である。

会田さんは、次のように論じている。
ルバング島から帰還した小野田寛郎さんは、新聞やラジオを通じて、驚くほど具体的な情報を得ていた。
小野田さんの帰還前後の状況を振り返ってみよう。
Wikipedia(09年7月24日最終更新)では、次のように解説している。

小野田 寛郎(おのだ ひろお、1922年3月19日 - )は、日本の陸軍軍人。階級は陸軍少尉で情報将校だった。陸軍中野学校二俣分校卒。太平洋戦争終結から29年目にしてフィリピンルバング島から帰国を果たす。
……
1944年12月、遊撃戦の指導の任を与えられ、横山静雄中将から「玉砕は一切まかりならぬ。3年でも、5年でも頑張れ。必ず迎えに行く。それまで兵隊が1人でも残っている間は、ヤシの実を齧ってでもその兵隊を使って頑張ってくれ。いいか、重ねて言うが、玉砕は絶対に許さん。わかったな」と命令を受けた。
……
また、後述する捜索隊が残した日本の新聞や雑誌で、当時の日本の情勢についても、かなりの情報を得ていた。捜索隊はおそらく現在の日本の情勢を知らずに小野田が、戦闘を継続していると信じて、あえて新聞や雑誌を残していったのだが、皇太子成婚の様子を伝える新聞のカラー写真や、東京オリンピック等の記事によって、小野田は日本が繁栄している事を実感し、それがためにかえって日本が敗戦したなどとは全く信じられなかったという。士官教育を受けた小野田はその日本はアメリカの傀儡政権であり、満州に亡命政権が在ると考えた。また小野田は投降を呼びかけられていても、二俣分校での教育を思い出し、終戦を欺瞞であり、敵対放送に過ぎないと思っていた。

戦争終結から29年目といえば、1974年である。昭和でいえば49年ということになる。
戦後復興から高度成長を経て、既にオイルショックの洗礼も受けた後の時代である。
小野田さんが、かつての上司である谷口義美元少佐から文語文による山下奉文大将名の「尚武集団作戦命令」と口達による「参謀部別班命令」による任務解除・帰国命令を受けて帰国したとき、正直に言えば、とてつもない時代錯誤の芝居を見ているような、それはルバング島から帰ってくるための演出ではないか、というような気がした記憶がある。

しかし、その後の小野田さんの生き方を、あまり詳しくは知らないものの、折に触れての報道に接して、決して演出ではなかったのだなあ、と思うようになった。
しかし、戦争終結から29年というのは、余りに長い時間だったのではなかろうか。

会田さんの論に戻る。
会田さんは、小野田さんが、ゲリラ戦を継続する確信を裏付けたものが、日本の天皇の位置だったことを指摘している。
歴史的にみれば、敗戦国の元首は厳しく断罪され、戦争指導者たちは、責任を追及される。

しかし、日本の状況はどうか?
今上陛下(執筆当時は昭和天皇)は、王政廃止どころか、以前と変わらぬ国民の尊崇を受けている。
救出隊の呼びかけは、謀略宣伝に違いない。

無条件降伏か、有条件降伏か、という論議を、当時の実際の状況との関連性で考えれば、「国体の護持という条件」が容れられるか否か、と極論してもいいように思える。
「国体の護持」というのは、私たちの世代には分かり難いコンセプトになってしまっているが、森喜朗元首相の言葉を借りれば、「万世一系の天皇を中心とする神の国」ということだろう。

天皇制という用語は、コミンテルンの「32年テーゼ」によるものという批判があるようだから使わないとしても、天皇を中心として国家を運営していこう、という程度の緩い理解ならば、多くの人も反対しないだろう。
そこで、会田さんは、無条件降伏などの場合においては、敗戦国の元首は大変なことになるのが通例であるにもかかわらず、日本が例外だということは、日本の「国体」が余程特殊、言い換えれば「無比」なものであって、他国民には容易に理解されないものだということになる、としている。
いまふうに言えば、グローバル・スタンダードから、大きく外れているということだろう。

会田さんは、だからといって、天皇退位論を主張するつもりはない、としている。
私は、敗戦の詔勅を出した段階で考慮しても良かったのではないか、とは思うが、既に過去のことだから、いまさら云々する気はない。
明仁天皇と美智子皇后は、日本の平和への希求を、身を以ってまさに象徴しておられるとも思う。
しかし、天皇制度を、将来に向かってどう考えるかについては、オープンに議論すべきテーマだろう。
皇位継承に関する問題も、当面沈静化しているにしても、いずれ正面から取り組まなければならないはずである。

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2009年8月15日 (土)

無条件降伏か、有条件降伏か?

麻生首相は、今日(8月15日)は靖国神社参拝をしないようである。

生太郎首相は10日、終戦記念日(15日)の靖国神社参拝について、「国家のために尊い命をささげた人たちを、政争の具とか、選挙の騒ぎとか、新聞のねたにするのは間違ってると思っています」と述べ、参拝しない意向を示唆した。首相官邸で記者団に答えた。
首相は靖国神社について、「最も、政治とかそういったマスコミの騒ぎから遠くに置かれてしかるべきものですよ。もっと静かに祈る場所だ」とも語った。

http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090811ddm005010054000c.html

この言は、いい、と思う。
背後にある政治的意図は分らないが、「国家のために尊い命をささげた人について、静かに祈るべきだ」というのはその通りではなかろうか。
靖国問題は複雑な要素が絡んでいるから単純な評価はできない。
賛否両論が鋭く対立する問題に対する処し方としては、大人の態度ということのように思える。
いささか遅すぎたきらいがあるが、麻生首相の発言の中で、何だか初めて評価できるような気がした。

これと正反対だったのが、小泉元首相である。
2001年の自民党総裁選で掲げた「8月15日に靖国参拝」は、首相を退任する直前の2006年に初めて実行された。
退任したのが9月26日だから、まあ品のない言い方をすれば「最後っ屁」のような参拝だった。
政局的な演出の視点を最重視していた人だったから、靖国参拝について、そういうことだったのだろう。

ところで、私たちの世代は、「日本はポツダム宣言を受諾して、無条件降伏をした」というように教えられてきたし、そう理解してきた。
そのことに異議を唱えたのが、江藤淳氏だった。
ポツダム宣言とは、1945年7月26日に発せられた米・英・支3国の共同宣言で、以下のような内容である。
http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j06.html

一、吾等合衆国大統領、中華民国政府主席及「グレート・ブリテン」国総理大臣ハ吾等ノ数億ノ国民ヲ代表シ協議ノ上日本国ニ対シ今次ノ戦争ヲ終結スルノ機会ヲ与フルコトニ意見一致セリ
……

五、吾等ノ条件ハ左ノ如シ
吾等ハ右条件ヨリ離脱スルコトナカルヘシ右ニ代ル条件存在セス吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ス
……

八、「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ
九、日本国軍隊ハ完全ニ武装ヲ解除セラレタル後各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルヘシ
……

十三、吾等ハ日本国政府カ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス右以外ノ日本国ノ選択ハ迅速且完全ナル壊滅アルノミトス

今日の産経新聞に、昭和53(1978)年8月10日に掲載された江藤氏の「日本は無条件降伏していない」という論が再掲されている。
もちろん、産経新聞は、江藤氏の説を「是」とする立場から再掲しているものである。

確かに、上記の抜粋からも理解できるように、文意としては、無条件降伏したのは、日本国軍隊であって、日本国ではない。
また、「吾等ノ条件ハ左ノ如シ」としているのだから、有条件である、という理屈である。

しかし、表面的な文意は、「左ノ如キ」条件を受容した有条件降伏だったとしても、実態はどうだったのだろうか?
直ぐに、「右ニ代ル条件存在セス吾等ハ遅延ヲ認ムルヲ得ス」とあることから、それは、選択肢のない「条件」だったということになる。
江藤氏の所説は、同じ文芸評論家の本多秋五氏などとの間に「無条件降伏論争」と呼ばれる論争を起こした。
それは、文芸評論家の間で行われたことからも窺えるように、「戦後文学」と呼ばれるものの評価を軸にしたものだったが、さすがに本多秋五という人は見るところを見ている。

本多氏は、次のように書いている。

モハメッド・アリののような大男と、江藤淳または本多秋五のような非力な男とが殴り合って、こちらが力尽きて半死半生になったとき、勝ち誇った大男がこちらを壁際にきゅっと押しつけておいて、一片の紙切れを差し出し、<さあ、これにサインするかどうか。サインすればよし。しないなら攻撃を続行するぞ>という。大男が差し出した紙切れには「条件」が書きこまれている。
……
全「条件」についてひとことも文句をいわせない。受諾は完全に「無条件」でなければならないとされる。これが日本が直面した「ポツダム宣言」受諾劇であった。

(著者代表・松本健一『論争の同時代史』新泉社(8610) 所収)

私は、靖国参拝は個人の自由な意思によって行われるべきものであると考える。
また、遊就館などの施設は、一度は訪れてみるべきだとも思う。
しかし、時の首相が、あえて敗戦の日に参拝して、アジア諸国からの反発を招くこともないのではなかろうか。
米英に対しては侵略の意図はなかったと言えるだろうが、アジア諸国に対しては、やはり侵略行為だったと考える。

私は、国家のために尊い命をささげた人たちを静かに追悼する気持ちがあるならば、戦没画学生の作品を展示している上田市の「無言館」を訪れることをお薦めしたい。
そして、これらの画学生たちの戦没の年月日を見ていただきたいと考える。

実に多くの人が、既に敗戦の形勢を覆すことが不可能になった昭和20(1945)年になってからの戦没である。
あえていえば、犬死ともいうべき戦死である。
実態として、天皇の聖断がなければ、終戦を迎えることができなかったのだと思う。
とすれば、開戦に関する責任問題は別としても、終戦が遅延した結果として、犠牲者の数が増えてしまったことについて、昭和天皇の責任は免れないのではなかろうか。

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2009年8月14日 (金)

熱と温度 その1.熱容量と比熱/「同じ」と「違う」(1)

日常的には、体温が平熱よりも高い時に、「熱がある」などというように、熱と温度とは無意識的に混用されている場合がある。
しかし、熱と温度は、密接な関連性はあるが、概念的にはまったく別のものである。
熱は、量的な概念であり、足し算することができるが、温度は状態を示す指標であり、足し算することはできない。

物質は、原子・分子から構成されている。
Photo_2 ある物質が原子・分子から構成されている状態を、模式的に図のように表現したとする。
物質が全体として動いていなくても、物質の内部では原子・分子が動き回っている。
物質に熱を加えると温度が上がる。
温度が上がるということは、原子・分子の運動が激しくなるということである。
http://www4.osk.3web.ne.jp/~moroko/physics(mecha)/heat/heat.html

つまり、熱は、原子・分子の運動に影響を与え、それが温度を上げたり下げたりすることになる。
つまり、熱はエネルギーの一種であるが、温度を上げるために、どの程度のエネルギーが必要かは、物質によって異なる。

物質の温度を1℃上げるのに必要なエネルギーを考えてみよう。
ある物質の温度を1℃上げるのに必要な熱エネルギーを熱容量という。
ある物体に熱量Qを加えたとき温度がΔT変化したとすると,この物体の熱容量Cは
C=Q/ΔT  
で表される。単位はJ/Kである。
熱容量の大きな物質は、温度変化し難く、熱容量の小さい物質は、温度変化し易い。
また、同じ物質ならば、質量が2倍になれば、熱容量も2倍になる。

そこで、単位質量あたりの熱容量を比べて見れば、その物質の熱的な性質を表現できる。
物質1gを1℃変えるのに必要なエネルギーを比熱という。
比熱が大きいほど温度変化しにくい。
言い換えれば、熱容量は、比熱と質量の積ということになる。
Cを熱容量、mを質量、cを比熱とすれば、次の式となる。
C=mc

身近な物質の比熱は表のようである。
Photo_4http://www.max.hi-ho.ne.jp/lylle/netsu3.html

物を燃焼させると発熱する。
熱現象は、燃焼との関係で、古代より関心を持たれてきた。
アリストテレス以来、「火」は世界を構成する元素の1つとして考えられてきた。
その後、可融性、揮発性、可燃性という物質の持つ3つの性格に対応した3原質説が考えられた。
それぞれの性質を担う実体が存在すると考えられたのである。

燃焼については、物体から可燃性原質が逃げ出す現象と考えられた。
その延長線上に生まれたのが、フロジストン説である。
フロジストンとは、可燃物に含まれる物質で、これが物体から遊離するのが燃焼であるとされた。
フロジストン説は、燃焼に関係する現象の多くをうまく説明することができ、広く受け入れられるところとなった。
そして、熱は、このフロジストンと関係しているとみなされた。
つまり、熱は一種の物質であると考えられていた。

ラボアジェらによって、1777-8年に、燃焼が急激な酸化であるという今日的な燃焼理論が打ち立てられた。
その後、気体の熱的な性質について検討が深められ、熱がエネルギーであることが理解されるようになった。

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2009年8月13日 (木)

2℃の「違い」の影響

異常気象の原因の1つとされるENSOとは、エルニーニョと南方振動の2つの現象(El Nino Southern Oscillation)を総称したものである。
エルニーニョについては、次のように説明されている。
http://kobam.hp.infoseek.co.jp/meteor/enso.html

熱帯太平洋での海面水温をみると、西部では年中29℃を越えるのに対し、東部では深海からの湧昇やフンボルト寒流によって25℃以下になっている。海面水温は、季節変化をしており、7月には南東貿易風の2_2北上によってペルー沖では風が強まり、寒流や湧昇も強まって海面水温は低下し、逆に12月には風、寒流ともに弱まり、北から暖流が流れ込んで海面水温は高くなる。この暖流のことを、地元の漁師がクリスマスにちなんでエルニーニョと呼んだ。
20世紀になって、南アメリカ沿岸近くの海面水温の上昇は、赤道沿いに東太平洋に広く広がっていることがわかった。この季節的な温度上昇は、数年程度の間隔で、平年より2~3℃高くなることがある。図1は1997~1998年の海面水温の平年偏差を示しており、このときは海面水温の上昇が5℃近くになった。図2の実線は赤道東部太平洋での海面水温の偏差の時系列を示しており、海面水温の上昇がいくつかの年に見られる。そして、暖水は長期間(1年程度)維持され、世界的な異常気象をもたらすこともわかってきた。

つまり、平均より2~3℃高い、ということが大きな要因ということである。
2~3℃の差異というのは、大きいような小さいような、という感じではなかろうか?
地球温暖化ということがいわれているが、過去100年間での平均気温の上昇は、0.74℃だといわれる。
IPCC(気候変動に関する政府間パネル)では、2100年における世界の平均気温は、最悪のシナリオで4℃、最良のシナリオでも1.8℃上昇すると予測している。

佐伯平二/おおの麻里『「2℃の違い」を知る絵本 』青春出版社(0806)という絵本がある。
2℃温度が上昇すると、どんなことが起こるか?
われわれは、氷河が溶けて海面が上昇する……、というようなことを考える。
しかし、それだけではない。
上掲書で解説されている温暖化の影響を眺めてみよう。

1.体温への影響
動物には、周囲の温度の変化に左右されないで一定の体温を維持する恒温動物(哺乳類、鳥類)と、周囲の温度変化の影響を受けて体温が変化する変温動物(爬虫類、両生類、魚類など)がある。
もちろん、人間は恒温動物である。
恒温を維持できるのは、体温が高くなると汗をかいて熱を放出し、低くなると体を震わせて筋肉を動かし、熱をつくる。
体温調節中枢で血液の温度をモニタリングし、人間の場合、おおよそ36.5~37.0℃の範囲で一定に保たれることになる。
もし、大気中の温度(気温)が体温より高くなると、汗をかき、その汗が蒸発するときの気化熱で体温を下げる。
しかし、大気中の水分が多くなり、湿度が75%以上になると、汗が蒸発できなくなって、体内に熱がこもり体温が上昇してしまう。
熱中症と呼ばれるものであり、気温が平均体温より+2℃になると、熱中症のリスクが一気に高まる。

2.水温の影響
風呂の温度が体温より1~2℃低めの34~36℃の場合、熱くも冷たくもなくエネルギー消費が最少となる。
不感温浴という。
体温+2℃くらいまでの37~39℃は微温浴で、副交感神経の働きが高まり、心身ともにリラックスできる。
40~41℃になると、熱めのお湯になる。高温浴である。
恒温動物の人間でさえ、このように敏感に感じるが、多くの魚は、0.05℃程度の微妙な水温の変化を感知できるといわれる。
つまり、魚にとっての1℃は、人間の10℃に相当するということになる。
魚が水温に敏感なのは、水と空気の熱伝導率の違いの影響があるらしい。
空気が0.0241W/m・℃であるのに対し、水は0.561W/m・℃であるため、水は空気より23倍熱が伝わり易いということになる。
温度を1℃上げるために必要な熱量(熱容量)は、水が空気の3500倍である。
つまり、水が熱を吸収し易いということになる

3.紅葉の見ごろへの影響
紅葉の見ごろについては、以下のような式で予測が行われている。

Y=係数①×T-係数②

Yは紅葉の見ごろの予想日で10月1日からの通算日数。Tは9月の平均気温。係数①が4.62、係数②が47.69である。
この式で、9月の平均気温Tが2℃違うと、見ごろの予想日が10日ほどずれることになる。

2℃の違いは、身近なところにも大きな影響を及ぼすということである。
温暖化の傾向については慎重に見極める必要があると思うが、個人的には、やはりLOHASな生活を志向し、省資源・省エネルギーを心がけたいと思う。

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2009年8月12日 (水)

違法な薬物使用と「甘えの構造」

このところ、のりピーこと、酒井法子容疑者の薬物疑惑がマスメディアを席巻している。
私はアイドル事情に詳しい方ではないので、酒井法子という名前は聞いたことがあるが、具体的な作品との関連性や、どういう個性の持ち主か、というようなことは、最近の報道で知るばかりである。
もともと清純派ということのようであるが、ここのところの報道の限りでは、清純派というイメージは湧いてこない。

任意同行を求められて、子供を知人に預けているからと、同行を拒否。
その後行方をくらまし、薬物反応が消えた頃に弁護士に付き添われて出頭。
足には、入れ墨をしていたというし、異常にテンションが高くなることなどもあったという。

夫は、自称プロサーファーと報じられている。
「自称プロ○○」というところが何だか哀しい。
要するに、他人からはプロとして認められていないということだろう。
自称するだけなら、私でも、○○のプロと言えないことはない。

酒井容疑者だけではない。
押尾某というタレントの薬物疑惑も報じられている。
タレントという職業は、意識的にハイテンションの状態を維持しなければならない、という事情もあるのだろうが、彼らに対して社会が甘すぎるのではないかと思う。

先ごろ(7月5日)亡くなった土居健郎さんの『「甘え」の構造 [増補普及版]』弘文堂(0705)は、初版が1971年に刊行され、ベストセラーになった。
土居さんは、「甘え」とは、周りの人に好かれて依存できるようにしたいという感情だと定義し、この行動を親に要求する子供にたとえた。
土居さんの説くように、日本人特有の感情かどうかは分からないが、自律できていないことの表れと言っていいだろう。
違法な薬物使用がタレントに顕著なのは、メディアへの露出の多い人に対して、日本の社会が甘いということでもあるのではないか。
タレントだからとか、初犯だからというような情状によって、刑が軽くなるとしたら、ますます「甘え」がはびこるのではないか?

私を含めて、私の周りの反応は、最初は酒井容疑者に対して同情的だった。
ダメ男と結婚したばかりに……。
しかし、酒井容疑者自身に薬物吸引の証拠があることが報じられた頃から、雰囲気が変わってきた。
それでも、「自分の妻もやっていました」などと供述するような男など、許せないという声が強かった。

しかし、任意同行拒否が、かなり計算されたものだったように受け止められることが分かり、酒井容疑者自身に対する失望感というのか、裏切られ感というのか、反感が強くなってきたのではなかろうか。
それでも、酒井容疑者が出頭し、身柄を拘束された報じられた澁谷署には、ファンからの電話が相次いだという。
「のりピーを励ましたいので、取り次いで……」
ファンとは有り難いものだとも思うが、そんなことできるわけもない。
そもそも「のりピー」などと呼ぶこと自体が、甘やかしと言うべきだろう。
おバカなタレントには、十分に反省する機会を与えた方がいいのではないか。
ただ、子供がかわいそうだとは思う。

私は好奇心が強い方だとは思うが、さすがに麻薬や覚醒剤は使用する気にならない。
アルコール中毒も似たようなものだという人もいるが、まあ、法律上の境は明確である。
それにしても、「妻もやっていました」と簡単に供述してしまう男もどうかと思うが、「夫と一緒になって犯罪行為を行ってしまう」女もどうかと思う。
何で止めようとしなかったのか。
夫唱婦随という言葉があるが、別のことで実践してもらいたいものである。

子供を預けていた知人は、「夫の高相容疑者と極めて親しい人物」とも言われる。
つまり、夫の愛人ということだと報じられてもいる。
真偽のほどは定かではないが、それを承知で子供を預けたとしたら、その神経がそもそも常識的ではない。
なまじ昔の清純派のイメージにとらわれず、常軌を逸している事実に目を向けるべきだと思う。

薬物使用が、個人レベルの話であれば、まあバカなことをして、というような話で済む。
しかし、これが国家間のことになれば、また事情は異なってくる。
歴史上著名な出来事として阿片戦争がある。
Wikipedia(09年7月30日最終更新)を見てみよう。

阿片戦争(あへんせんそう、英:First Opium War, First Anglo-Chinese War)は清とイギリスとの間で1840から2年間にわたって行われた戦争である。名前の通り、アヘンの密輸が原因となった戦争である。
当時のイギリスでは喫茶の風習が上流階級の間で広がり、茶、陶磁器、絹を大量に清から輸入していた。一方イギリスから清へ輸出されるものは時計や望遠鏡のような富裕層向けの物品はあったものの、大量に輸出可能な製品が存在しなかったうえ、イギリスの大幅な輸入超過であった。イギリスはアメリカ独立戦争の戦費調達や産業革命による資本蓄積のため、銀の国外流出を抑制する政策をとった。そのためイギリスは植民地のインドで栽培したアヘンを清に密輸出する事で超過分を相殺し、三角貿易を整えることとなった。
清では、既に1976年(嘉慶元年元年)にアヘンの輸入を禁止していた。禁止令は19世紀に入ってからも何度となく発せられたが、アヘンの密輸入は止まず、清国内にアヘン吸引の悪弊が広まっていき、健康を害する者が多くなり、風紀も退廃していった。また、アヘンの輸入代金を銀で決済したことから、アヘンの輸入量増加により貿易収支が逆転、清国内の銀保有量が激減し銀の高騰を招いた。当時の清は銀本位制であり、銀貨と銅銭が併用され、その交換比率は相場と連動し、銀貨1両に対して銅銭1000文程度であったものが、銀の高騰により銀貨1両に対して銅銭2000文という比率になった。この頃の清では、税金を銀貨で納付するよう規定していたことから、日常生活で銅銭を使用し、税金の納付において銅銭を銀貨に交換していた農民は納める税金が2倍になった計算である。さらに銀が不足し値が上がる事は物価が下がる事と同義であり、清の基本的な税制である地丁銀制が事実上崩壊し、経済にも深刻な影響を及ぼした。

要するに、イギリス帝国主義の非道である。
もちろん、その当時の世界情勢を考慮することも必要だろうが、強国の論理というのは、勝手さ加減において、現在も似たようなものかも知れない。
アヘンは、もちろん鎮痛などの効用もあって、古代のエジプトなどでも使用されていたという。
カール・マルクスは、『ヘーゲル法哲学批判序説』の中で、次のように書いている。

宗教は逆境に悩める者の嘆息であり、また、それが魂なき状態の心情であると等しく、無情の世界の感情である。つまり、それは民衆のアヘンである。

要するに、アヘンは(宗教と同じように)現実から逃避するための手段、ということだろう。

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2009年8月11日 (火)

駿河湾を震源とする地震が発生

今朝(8月11日)の5時過ぎ、静岡県を強い地震が襲った。
0908112静岡県は、かねてから東海地震の可能性が指摘されており、「あるいは?」と思った人も多いのではなかろうか。

現時点での報道では、今回の地震は、駿河湾内を震源とするもので、従来言われてきた東海地震とはメカニズムを異にするものであって、関連性はない、ということのようである(地震を報ずる静岡新聞8月11日夕刊。崩落現場は、東名高速自動車道・牧之原サービスエリア付近)。

我が家では、食器棚から茶碗や皿などが落ちて割れる程度で済み、幸いにして大きな被害は受けなかった。
しかし、震度5弱程度と想定される揺れはかなり強烈で、東海地震がこれ以上の強度のものだとすると、とても対応できないだろうと思われた。
言われている東海地震とは、駿河湾内に位置する駿河トラフで周期的に発生するとされる海溝型地震のことで、マグニチュード8級と想定されている。
今回の地震は、マグニチュード6.5と発表されている。
東海地震のマグニチュード8級というのが現実にいくつとして発生するかはわからない。
しかし、マグニチュードは対数だというから、仮に2桁違うとすれば、100倍くらいの破壊力ということになる。
といっても想像できるものではないのだが。

折から台風9号の影響で強い雨が降り続いていて、各地で水の被害が発生している。
地震と豪雨が複合すると、当然土砂災害が起きやすい条件となる。
今のところ、けが人が相当数出ているという報道はあるが、死者の発生は報じられていない。
現在の予知技術の水準では、地震発生の直前での予知はできないとされる。
しかし、東海地震については、前兆(地震前の異常な現象)を検知できる可能性があるとされている。

前兆が検知された場合、気象庁から、次のような三種類の情報が発表されることになっている。

「東海地震観測情報」・・・観測された現象が東海地震の前兆現象であると直ちに判断できない場合や、前兆現象とは関係がないとわかった場合。
「東海地震注意情報」・・・観測された現象が前兆現象である可能性が高まった場合。
「東海地震予知情報」・・・東海地震の発生のおそれがあると判断した場合。

http://www.seisvol.kishou.go.jp/eq/tokai/hellojma_index.html

東海道域は、日本の経済的・社会的活動の集中する地域である。
交通路としても重要な役割を果たしており、東海地震の被害は想像を絶するものとなるだろう。
小松左京『日本沈没』の世界が現実化するわけである。

今回の場合、東海地震の前兆ではない、という判断に基づき、東海地震との関連性を調査する目的で、「東海地震観測情報」が発表された。
観測情報の場合には、特段の防災対応は取られない。
しかし、実際に「東海地震予知情報」などが発令されたらどういうことになるだろうか?
パニックに陥らないとも限らないが、なるべく正確な情報を、なるべく早い時期に知らせて欲しいと思う。

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2009年8月10日 (月)

非核三原則と「是」というネーミング

非核三原則というものがある。
「核兵器を持たず、作らず、持ち込まさず」という三つの原則である。
第三項については、「持ち込まさず」か「持ち込ませず」かという議論があるようであるが、ノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作元首相の提唱による、とされている。

この三原則は、広島、長崎に原爆投下をされた日本の国是ともいわれる。
しかし、「持ち込まさず」か「持ち込ませず」」かは別として、「持ち込む」ことについての「密約」が存在していたことが、ほぼ明らかになっている。
「密約」というものの存在を公的に認めるべきか否かは難しい問題であるが、私は、密約があったことを認めた上で、現時点でどうすべきかを議論すべきだと考える。

民主党の鳩山由紀夫代表が、9日に長崎市内のホテルで被爆者団体と懇談し、非核三原則について、「唯一の被爆国として守っていくことが重要で、その一つに法制化という考え方もある。しっかり検討したい」と述べたという。
国是を改めて法制化すべきかどうかについても議論があるだろう。
国是ならば、そう簡単に改廃できない。
しかし、法制は、時の多数派の如何によって改廃可能である。
私は、改廃可能だからこそ、法制化すべきではないのか、と思う。
平成という時代に、非核三原則が法制化されたとすれば、後の時代にそれがアナクロニズムだと否定されたとしても、平成を特徴づける一つの出来事だったとされるならば、それはそれで意義のあることではなかろうか。

ところで、国是というのは何やら懐かしいような感覚のする言葉である。
Wikipedia(07年11月3日最終更新)では、以下のように説明されている。

国是(こくぜ)とは、その国の大部分の政策の方向性を決定付ける、国民の支持を得た方針のことであり、基本的には長期的に維持される。憲法と違い、内政・外交その他諸々の分野全てを網羅するものでは無く、内政のみ、もしくは外交のみに作用するということも決して珍しいことではない。そもそも法律として明文化されるとは限らない。よって法的拘束力が無い場合が珍しくない。大抵は「○○主義」などというように簡潔な表現で呼称できる。

言い換えれば、その国がどういう性格を持っているかを示す言葉だということだろう。
明治維新の初期には、「開国和親」が国是とされた。
軍政時代の韓国では、反共が国是とされた。

私は、非核三原則が国是であるとすることについては、是とするものである。
言い換えれば、「持ち込み」が行われているとするならば、それは「非」とすべきことと考える。

それはそれとして、グンゼ株式会社という会社がある。
明治29(1896)年創業の、紛れもない老舗企業である。
下着メーカーとして著名である。
京都府綾部市に本社がある。

2年ほど前、機会があって会社見学で訪問する機会があった。
本社と丹後半島の宮津工場である。
日本で、縫製まで行っていることを初めて知った。
同社のHPでは以下のように説明されている。

当社は1896年(明治29年)、何鹿郡(いかるがぐん)(現・京都府綾部市)の地場産業であった蚕糸業の振興を目的に創業者・波多野鶴吉が設立しました。社名もこの趣旨を反映させて"郡"の方針を意味する「郡是」と定めました。地域社会はもちろん、会社をめぐるすべての関係者との共存共栄を目指す会社として、郡是製糸株式会社(現・グンゼ株式会社)はスタートしました。私たちは、「人間尊重」、「優良品の提供」、「共存共栄」という創業の精神を経糸に、「社是」の実践を通じて社会からの期待に誠意をもって柔軟に応えることを緯糸に社会に貢献してまいります。

グンゼという社名が、郡是に由来することも、このとき初めて知った。
CSR(Corporate Social Responsibility:企業の社会的責任)を宣言するネーミングだったのではないだろうか。

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2009年8月 9日 (日)

「みんなの党」のネーミング・ストラテジー

渡辺喜美元行政改革担当相を代表とする新党が結成された。
「みんなの党」という名前である。
このネーミングは、かなり巧妙なものだと言えるだろう。

そもそもネーミングは、名付ける人のさまざまな思いが込められている。
生まれた子供の名前をどうするか?
多くの親は、生まれる前から、男だったらA、女だったらBなどと思いを巡らすのではなかろうか。
あるいは、尊敬するCに名づけてもらおう、などと。

子供の名前の傾向も、世相と共に変化していく。
驚かされたのは、子どもに「悪魔」という名前を付けた親が登場した事件である。
以下のような概要の事件である。
http://wpedia.goo.ne.jp/wiki/%E6%82%AA%E9%AD%94%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E5%91%BD%E5%90%8D%E9%A8%92%E5%8B%95

1993年8月11日、東京都昭島市の役所に「悪魔」と命名した男児の出生届が出された。「悪」も「魔」も常用漢字の範囲であることから受付されたが、市が法務省民事局に本件の受理の可否に付き照会したところ、子供の福祉を害する可能性があるとして、親権の濫用を理由に不受理となったものである。
届出者は、男児が悪魔との名前に反応していることを理由に、他の漢字を用いて再度「あくま」の名で届け出ようとしたが、市役所は不受理とし、届出者は類似した音の別の名を届け出た。
本件は、当初届け出ようとした名前の特異性から話題になり、マスメディアにより大きく報道された。また届出者である両親は(といっても父親だけがアピールしていて、母は意見をいわず追従する形だった。)、マスメディアに出演して正当性をアピールしていた。

この父親の意図は何だったのだろうか?
単に目立つことが目的だったとしたら、親のエゴと言うしかないだろう。
子供の将来のことを考えたら、とても考え付くものではない。
法務省の解釈のように、親権の濫用ということだろう。

もっとも、「悪」という字あるいは言葉は、必ずしもマイナス・イメージだけとはいえない。
Wikipedia((09年6月23日最終更新)では、次のように解説している。

(あく)とは、文化や宗教によって定義が異なるものの、概ね人道に外れた行いや、それに関連する有害なものを指す概念である。平安末期から現れた「悪党」に見られるように、「悪」という言葉は剽悍さや力強さを表す言葉としても使われ、否定的な意味しかないわけではない。例えば、源義朝の長男・義平はその勇猛さから「悪源太」と称されている。
悪は善と対比される概念である。
元々は「悪源太義平」にみられる「突出した」の意をもつ。突出して平均から外れた人間は、広範囲かつ支配的な統治、あるいは徴兵した軍隊における連携的な行動の妨げになり、これゆえ古代中国における「悪」概念は、「命令・規則・誠治に従わないもの」に対する価値評価となった。一方「善」概念は、「皇帝の命令・政治的規則に従うもの」に対する価値評価である。

ところで、「みんなの党」というネーミングである。
岩永嘉弘『すべてはネーミング 』光文社新書(0202)に、次のような言葉がある。
岩永さんは、大学卒業後、創刊間もなかった女性週刊誌『女性自身』の編集部の嘱託として、職業生活を始める。

この『女性自身』という誌名が当時としては画期的で、入社以前から感心していた覚えがあります。英語でいえば(by)herselfってことです。なんて意志的な新感覚を、雑誌名らしく四字熟語風に伝えているか。
今でも変わらないライバル誌の名前はいかにもそれらしく『週刊女性』に『女性セブン』(7がウィークリーを意味します)、今はなき『ヤングレディ』……。

「みんなの党」」の場合、ライバル(?)政党名は、自由民主党、民主党、公明党、日本共産党、社会民主党、国民新党、改革クラブ、沖縄社会大衆党、新党日本である。
見て分かるように、漢字表記が圧倒的である。
何らかの理念を表現しようとする政党名の場合、漢字の持つ意味の広がり、情報伝達力が重視された結果だろう。

そういう中で、ひらがなをメインにした「みんなの党」は、差別性を意図したものであろう。
しかも、「みんな」という言葉は、選挙や政治のスローガン・標語などに多用されている。
例えば、滋賀県選管では、「きみの夢 みんなの未来 かなえる選挙」という標語を用いることになっていた。
鳥取県選管でも、「その一票がみんなの笑顔をつくりだす」という標語を既に使用していた。
これらの標語は、差し替えられるという。
とりあえず、「みんなの党」のネーミング・ストラテジーは成功したと言えよう。

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2009年8月 8日 (土)

「同じ」と「違い」の分かる男

全くの私事ということになるが、8月8日は、私の誕生日、ということになっている。
「ということになっている」というのは、別に疑問を抱いているという意味ではない。
ただ、自分の自覚的認識がない、ということで、これは、まあ誰でも同じことだろう。
特に具合が悪い箇所もなく、誕生日を迎えることができたわけで、有り難いことだと思う。

いまさら新たな覚悟、という年齢でもないが、やはり節目ということが意識される。
私という人間は、他の誰とも置き換えられない。
そういう観点から考えると、最近頻発する「被害者は、誰でも良かった……」などという通り魔的な事件などは、根本的に許せないと思う。
私たちは、それぞれが異なっているのであって、決して無差別な存在ではない。
それは固有名詞を持った、個別の存在である。
09年8月3日:固有名詞としての富士山と普通名詞としての富士山

その個別性の違いを認識できるかどうか?
私たちは、興味・関心のあることについては、「違いが分かる」。
クルマの車種など、新たに購入を検討していたり、購入した直後などに敏感になることは、多くの人が経験することだろう。
サル山のサルを見ても、普通は余り識別がつかない。
しかし、今西錦司さんに率いられた京都大学の霊長類研究グループは、サルの個体識別を行い、それによって、サルの群れの社会学的研究が可能になった。

インスタント・コーヒーのCMで、「違いの分かる男の○○」というものがあった。
ネスカフェのゴールド・ブレンドという銘柄で、従来のインスタント・コーヒーとは一線を画したものである、という差別化を訴求したものだった。
映画監督の松山善三さん、作曲家の黛敏郎さん、作家の遠藤周作さんなどが起用されて、確かに違いが分かりそうな人たちであることがミソだった。
しかし、本当に違いが分かるならば、インスタントで良しとするかどうか、などということは余計なことだろう。

「違いが分かる」ということは、認識するということそのものだと思う。
どの属性に注目するかによって、「違い」は違ってくる。
彼のクルマは、5人が定員のハイブリッド車である。
私の乗っているクルマは、5人が定員のガソリン車である。

彼のクルマと私のクルマは、クルマという括りで考えれば「同じ」である。
それは、自転車とは「違う」し、電車とも「違う」
また、5人が定員ということでも「同じ」であって、8人定員のクルマとは「違う」。
しかし、ハイブリッド車とガソリン車という点においては「違う」。
当たり前のことであるが、「同じ」とみるか、「違う」とみるかは、ものの見方・考え方次第ということである。

だから、AとBという2つの事象について、それを「同じ」とみる見方もあれば、「違う」とみる見方もあり得るということである。
自民党と公明党は、明らかに異なる理念の政党である。
しかし、連立を組んで政権を担っている限り、与党という括りでは「同じ」政党ということになる。

創造性開発の基本的な技法に、シネクティクスという方法論がある。
基本的な考えは、「異なった関連なさそうな要素を結びつける」というところにある。
アナロジー(類比・類推)をベースに発想するということで、多くの創造性開発技法の基礎となる考え方といっていい。

シネクティクスでは、新しいものを生み出すには、次の2つの思考が重要である、とされる。
①異質馴化(making the strange familiar)
②馴質異化(making the familiar strange)
異質馴化とは,自分には全く未知のもの(領域)のことをヒントに自分の問題解決を着想することであり、馴質異化とは,既知のものを,新しい視点から見ることで新しい着想をえることである、といわれる。

つまり、自分がいま解決しようとしている問題について、その領域の中でだけ考えていても行き詰ってしまい、解決策が見いだせないということがある。
その解決策が、別のジャンルの事象を参照することによってヒントが得られるということがある。
例えば、貨幣の流通の問題を、電気の伝導の問題とのアナロジーで考えたら、解決のヒントが得られた、などということである。
つまり、モデル化ということである。

重要なことは、「同じ」とみる見方と「違う」とみる見方を柔軟に行き来することである。
「同じ」としか見えない、あるいは「違う」としか見えないというのは、固定観念に縛られているということである。
固定観念を切るというのは難しい課題であるが、柔らかいアタマというのは、異質馴化、馴質異化に秀でているということだろう。
そういうわけで、「同じ」と「違い」の分かる男になりたいと思うのである。

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2009年8月 7日 (金)

異常と正常の区分

異常の反対語は正常だろう。
異常と正常はどう区分されるだろうか?
たとえば、精神状態に関し、正常か異常かと問われることがある。
この場合は、正常とは圧倒的な多数派であり、異常は極端な少数派ということだろう。
そこには、分布的な意味はあるが、価値的な基準があるとは思えない。
にもかかわらず、一般的には、正常は好ましく、異常は好ましくない、とされている。

また、健康診断の測定値などに関しても、正常と異常の区分が行われている。
血圧、血糖値などについて、正常とされる範囲が決まっていて、それを外れると、異常とされて、再検査を求められる。
血圧の場合、正常範囲は、収縮期血圧で130mmHg未満、拡張期血圧で85mmHg未満とされている。
私は、血圧の薬を常用しているが、それでも130mmHg以下になることは殆どない。
つまり、血圧に関しては、正常者ではない、ということになる。

最近は、特にメタボリック・シンドロームとの関係で、測定値が重要な意味を持つようになってきた。
血圧なども、昔は<年齢+90>程度であれば可とされていたように思う。
正常値の範囲が狭くなってきたことは、それだけ早期治療を可能にする、ということだろうが、つい製薬業界等が何らかの影響力を行使しているのではないか、などと勘繰ってしまう。

ところで、異常か正常かの判断は、対象が多数あることが前提である。
たとえば、世の中に1つしかないものについては、異常も正常もないだろう。
統計的な取り扱いでは、異常値はどう判断されているであろうか?
多数のデータの中で、1つだけ他のデータとかけ離れている値を、外れ値という。

このデータを異常値として棄却するべきかどうか?
データをサンプリングしたときに、測定ミスをしたかもしれないし、数値をうつし間違っていたかもしれない。
1つだけかけ離れた値といえども「異常」であるかどうかは一概には決められない。
かけ離れた値が発生した原因は何か?

外れ値は、データの標準偏差(SD/σ)の2倍、ないし3倍を超える値を指すことが多い。
従来、品質管理においては、3σを超える外れ値について管理することが多かった。
3σを超える外れ値の出現確率は、3/1000程度である。
これに対して、品質のばらつきが、正規分布の中心から上下限の範囲を6σの範囲に納めるように管理する6σの品質管理がある。
6σは、100万個に3~4個ということであり、従来の品質管理水準に比べると、1000倍の精度ということになる。

外れ値を異常値として棄却するかどうかを検定する方法として、グラブス・スミルノフ棄却検定というものがある。
以下のような手順の検定である。
http://www.tamagaki.com/math/Statistics608.html

1.仮説
帰無仮説:”他のデータとかけ離れた値は異常値ではない。”
対立仮説:”他のデータとかけ離れた値は異常値である。”
2.有意水準αを決め、スミルノフ棄却検定表よりデータ数 n のときの値 k を得る。
3.検定統計量Tを求める。
3T>k で帰無仮説を棄却し、対立仮説を採用する。
つまり、有意水準αで、かけ離れた値は異常値とみなして棄却される。

異常値を含んだデータについて回帰分析等を行うと誤った判断に陥る危険性があるが、外れ値は往々にして何らかの異変を発見する手がかりになるものである。
特に医療データの場合は、異変の早期発見・早期治療に結び付く可能性が大きい。

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2009年8月 6日 (木)

新興重化学工業発展の時代背景

1914年6月28日、オーストリア=ハンガリー帝国皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の世継、フランツ・フェルディナント大公が、ボスニアの首都、サラエヴォでセルビア人民族主義者により暗殺された。
オーストリアは、7月28日にセルビアに宣戦布告し、第二次世界大戦が始まった。

この大戦は、わが国の産業構造に大きな変化をもたらした。
以下、宮本又郎他『日本経営史 新版―江戸時代から21世紀へ』有斐閣(9809)により、その様子をみてみよう。

大戦の発生により、欧米諸国の戦時重要の拡大とアジア市場からの外国企業の撤退が日本製品の輸出を伸長させた。
1914~18年の間に、輸出額は3倍に増加し、輸出超過額も激増した。
輸出の激増により海運業が活況を呈し、多くの「船成金」が誕生した。
世界的に船舶需給が逼迫したため、運賃・傭船料も暴騰し、海上保険料などを加えた貿易外収支も大幅な受取超過になった。
これらの結果、日本はそれまでの債務国から債権国に転じた。

海運の活況は造船業の発展をもたらしたが、それは造船材料を供給する鉄鋼業の発展に結びついた。
外国工業製品の輸入途絶と国産品に対する内需拡大によって、欧米製品の流入によって圧倒されていた新興重化学工業に成長と自立の機会を提供した。
市場機会の拡大と莫大な戦時利潤の獲得によって、産業界では企業勃興熱が出現した。
膨張が著しかったのは鉱工業部門で、大戦によって発展の機会をつかんだ化学、機械、電気、金属などの分野において、企業が増・新設された。
鉱工業の発展により、わが国は、農業国から工業国へ移行したのである。

しかし、第一次世界大戦ブームは、1920年3月に発生した恐慌によって終止符を打った。
20年代を通じ、日本経済は相次ぐ恐慌に見舞われ、大戦ブーム時の「成金」型の企業家の大半が破綻した。
弱小企業の倒産・減資と大企業による合併・合同が進行し、資本と生産の集中が進んだ。
多くの分野でカルテルが形成され、三井、三菱、住友、安田の4大財閥による産業支配が進行した。

しかし、厳しい状況ではあったが、20年代を通じて、わが国の実質経済成長率は3.1%の伸びを示し、工業生産は年率5.0%で成長した。
この成長を可能にしたのは、都市化の進展と電力業の発展である。
日露戦争後から人口の都市への集中現象が始まっていたが、第一次大戦中にそれがさらに進行し、大戦後には加速した。
それは、都市関連産業(電力、鉄道、ガス、土木建築など)に対する投資を促進した。
都市関連産業の進展は、大戦後不振に陥った造船業に代わって、鉄鋼業の生産拡大を支え、第3次産業を中心とする都市型産業の発展を導くこととなった。

大戦中から戦後にかけて、都市部の電力需要の拡大を見越して、信濃川、梓川などの中部山岳地域で大規模場電源開発が行われた。
1914年には長距離高圧送電が開始されていたが、大型水力発電所の建設によって、都市部への豊富な電力供給が可能になった。
大型水力発電所と長距離高圧送電設備は、それ自体が巨額の設備投資を必要とすると共に、関連する電気機械、電線ケーブルなどの需要増大をもたらした。

電力各社が競って電源開発を行ったことにより、過剰電力が発生し、電気料金が低下した。
そのため、産業動力の電力への移行が進み、電気機械産業がさらに発展していく要因となった。
過剰電力の発生は、電力多消費型産業(硫安、レーヨン、電気精錬など)の勃興をもたらした。
電気機械と電力多消費産業を柱として、新興重化学が発展した。

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2009年8月 5日 (水)

今年の夏は、やはり異常気象か?

今年の夏は、記録的な集中豪雨により大きな被害が発生したり、梅雨明けが異常に遅れたりした。
異常な事態のように感じるが、しかし異常なのは毎年のことのような気もする。
つまり、異常の常態化である。

産経新聞(8月3日)によれば、今年の7月は、全国的な梅雨明けの遅れや九州・山口等でも豪雨があり、北日本では日照不足などもあって、各地で天候不順が相次いだ。
その原因をさぐるため、気象庁は急遽、3日に「異常気象分析検討会」を開催して大規模な大気の流れを解析することを決めた、という。
東海地方だけでなく、九州北部、中国、近畿、北陸、東北の各地方がまだ梅雨明けしていない。
統計が始まった昭和26年以降、近畿で最も梅雨明けが遅かった平成15年の8月1日の記録を更新した。
長引く梅雨は全国で日照時間を短くし、北日本の日本海側では7月の日照時間が平年の54%と、やはり統計を始めた昭和21年以降最短だという。

ところで、このような気象の異変は、異常と呼ぶべきであろうか。
異常気象の定義は、Wikipediaによれば以下の通りである。

気象庁では、「過去30年の気候に対して著しい偏りを示した天候」を異常気象と定義している。
世界気象機関では、「平均気温や降水量が平年より著しく偏り、その偏差が25年以上に1回しか起こらない程度の大きさの現象」を異常気象と定義している。
エルニーニョ現象や、これに南方振動を含めたENSO(注:El Nino Southern Oscillation(エルニーニョ・南方振動)の略で、赤道太平洋の現象であるエルニーニョとそれに密接に関係する大気現象である南方振動の2つの現象を総称した呼び名-http://kobam.hp.infoseek.co.jp/meteor/enso.html)は、異常気象の原因となるとされているが、エルニーニョ現象は数年の周期で起こるものであり、「エルニーニョ現象=異常気象」ではない。
また、気象庁の異常気象レポートでは、「過去に経験した現象から大きく外れた現象で、人が一生の間にまれにしか経験しない(過去数十年に1回程度の頻度で発生した)現象」ともしている。

つまり、25~30年に1回程度の頻度でしか起こらない気象を異常気象としているようである。
産経新聞記事では、今年の夏の「異常気象」について、以下のように説明している。

気象庁は、7月は気圧の谷が頻繁に南下し、梅雨前線の北上を阻止した。
また、太平洋高気圧が7月下旬に弱まったことから、梅雨前線を押し上げられなかった上、梅雨前線に向けて南から暖かく湿った空気が大量に流れ込む事態を許した。
このため前線南側で大気が不安定になり、集中豪雨をもたらした。(図は、産経新聞8月3日)

2_2気象庁は「(6月に発生した)エルニーニョが、今回も太平洋高気圧に影響を与えた可能性がある」と推測している。
また、ジェット気流(亜熱帯ジェット)が7月は例年より強かった上、南よりに流れた。度重なる気圧の谷の南下は亜熱帯ジェットが影響したとみられるが、これもエルニーニョとの関連が指摘されている。
ただ、気象庁はエルニーニョが天候不順の主原因とする見方には否定的で、検討会の会長でもある東京大学気候システム研究センターの木本昌秀教授(気象学)も、「程度の差こそあれ、梅雨の末期はしばしば前線が活発化する。異常気象とまではいえないのでは」との見方を示している。

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2009年8月 4日 (火)

裁判員制度と刑法総論

今年5月にスタートした裁判員制度が、いよいよ本番となった。
東京地裁で、8月3日からスタートした隣人女性を殺害したとされる事件の公判である。
2 主なスケジュールは、表のようで、6日には評議に入るとされる(産経新聞8月2日)。

すでに証拠と争点を整理して審理計画を立てる「公判前手続き」のなかで、被告と弁護側は起訴された内容を認め、おもに情状面を強調する方針が固まっているという。
このため、公判の焦点は、量刑の判断になる見込みである。

裁判員制度について、多くのメリットがあることは承知している。
私の知人の、法曹職業人ではないが法律に詳しい人も、「問題はあるにしても、基本的にはいいことだ」と評価している。
私自身は良く分からない、というのが正直なところである。
私自身が裁判員になる可能性は、現実的にはゼロに等しいだろう。
疑問点については、候補者になった段階で、考えればいい、などとも思っている。

私は法律学を体系的に学んだ経験がないので理解が間違っているかも知れないが、刑法学には、「刑法総論」と「刑法各論」とがある。
実際の裁判で争われるのは、具体的・個別的な事案であるから、いわば「刑法各論」に相当すると考えていいだろう。
それでは、「刑法総論」は、実際の裁判には無関係ということになるのだろうか?

例えば、前田雅英『刑法総論講義 』東京大学出版会(第2版/9402)を見てみよう。
以下のような構成になっている。
-----------------------
第1編 刑法の基礎理論
 第1章 刑法および刑法学
 第2章 刑法理論の対立
 第3章 現代の刑法理論-本書の立場
第2編 犯罪論
 第1章 犯罪論と罪刑法定主義
 第2章 客観的構成要件
 第3章 正当化事由
 第4章 責任
 第5章 共犯
 第6章 罪数論
-----------------------
つまり、犯罪とは何か、それに対する処罰はどうあるべきか、を一般論として論議したものといえるだろう。
言い換えれば、「刑法各論」にとっての基礎論である。
もちろん、個別の罪刑について論じた『刑法各論講義』と対になっている。
私の体験では、基礎論に関する認識を欠いた具体論は、的ハズレに陥る危険性がある。
総論は、各論を導くガイドラインとも言えるだろう。

裁判の実際の局面を考えてみよう。
私のように、ごく一般的な市民の場合を想定する。
裁判員制度の趣旨が、一般的な市民の参画を前提としていると考えられるから、私は十分に有資格者だと思う。

私は、言ってみれば、「刑法総論」に関する知見なしに、具体的な事案に直面することになる。
そして、裁判の場で、いわば究極的な「各論」の判断を求められることになる。
ガイドラインとしての「総論」なしに、具体的な「各論」に直面することになる。
それでいいのだろうか?
裁判員になる人の意識はさまざまであろう。
あるいは、さまざまな意識があるから、裁判員制度の意味があると言えるのかもしれない。
しかし、私は、「刑法総論」に関する認識を欠いたままの裁判員が、具体的事案の量刑判断に参加することに、やはり危うさがあるのではないかと思う。

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2009年8月 3日 (月)

固有名詞としての富士山と普通名詞としての富士山

富士山は、固有名詞である。
固有名詞は、1つしかないものの「名前」であり、例えば、以下のように説明される。
http://web.sfc.keio.ac.jp/~mrt/humanity/humanity5_5_17_06.doc

「富士山」といえば1つしか存在しないが、「山」は無数にある。

つまり、1つしか存在しないものの名前が固有名詞、無数にある(あり得る)ものの名前が普通名詞である。

ところで、「山」とは何か?
辞書(大辞林第二版)を引くと、次のような説明が出ている。

(1)周りの土地より著しく高くなった所。古くから信仰の対象となり、俗世間を離れた清浄の地とされた。

富士山は、まさに上記の意味での「山」の典型ということになるだろう。
そして、面白いことに、名詞の「山」には、上記の(1)に加えて、次のような多様な意味がある。

(2)鉱山。
(3)(1)の形をしたもの。
 (ア)庭園などに小高く土を盛って作ったもの。築山。
 (イ)物をうず高く積み上げたもの。
 (ウ)数量がきわめて多いこと。
(4)物の一部で、高くなっている所。
(5)進行するに従って次第に高まり、やがて徐々におさまる物事の全体を(1)に見立てていう。
 (ア)最も重要なところ。絶頂。クライマックス。
 (イ)成否を決定するような緊迫した場面。
(6)〔(2)の鉱脈を探し当てるのは、きわめて確率の低い賭けであることから〕万一の僥倖に賭けること。
(7)犯罪事件。警察や新聞記者などが用いる。
(8)山登り。
(9)「山鉾」に同じ・
(10)(園城寺を寺というのに対して)比叡山。延暦寺。
(11)高く、ゆるぎないもの。よりどころとすべきもの。
(12)〔多く(1)にあったことから〕墓。山陵。
(13)詐欺。また、もくろみ。
(14)動植物の名の上に付けて、同類のうちで野生のもの、あるいは山地に産するものであることを表す。

これらは(1)を原義として、何らかの連想作用によって、意味が広がっていったものと考えられる。
このような「山」という言葉の意味の広がりは、まことに興味深いテーマであるが、ここでは、「富士山が普通名詞としても用いられていることを指摘しておこう。
つまり、全国には「無数の」とは言えないまでも、「多数の」富士山があるからである。

いわゆる「郷土富士」と呼ばれる「山」がある。
例えば、以下のような「富士」は、比較的広く知られているものであろう。
「蝦夷富士(羊蹄山)」「津軽富士(岩木山)」「出羽富士(鳥海山)」「会津富士(磐梯山)」「伯耆富士(大山)」「薩摩富士(開聞岳)」
旧日本領だった台湾には、「台湾富士(玉山)」があるし、アメリカにも「タコマ富士」などがある。
これらは、その姿が「富士山」に似ているなどの特性を持ち、多くはその地の代表的な山でもある。

また「東富士」「北の富士」「千代の富士」などのように、力士のしこ名としても「富士」は用いられている。
また、女優として一世を風靡した「山本富士子」さんもいる。
いずれも、「日本一」の象徴としての「富士」に相応しいと言っていいだろう。
固有名詞としての「富士山」が普通名詞化したり、普通名詞の「山」が多様な意味で用いられたりするのは、ヒトの認知の仕組みという面で興味深いものがある。

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2009年8月 2日 (日)

『富士の自然・信仰・文学に学ぶ』

裾野市、御殿場市、静岡市などで、小・中学校の教諭・教頭・校長等を歴任した渡邉宏行さんが、今年の2月に、『富士の自然・信仰・文学に学ぶ』という著書を自費出版された。
渡邉さんは、富士山の麓の裾野市で生まれ育ち、小学生の頃から富士山に興味を持ったという。
地元の研究者らの話を聞いたり、さまざまな文献を読むだけでなく、実際に登山して見識を深めた。
「富士山学」の1つの事例ということができるだろう。
以下、目次の概要を示す。
-----------------
Ⅰ 富士山の魅力

Ⅱ 富士山の自然
 1.富士山の生いたち
 2.富士山の植物について
 3.富士山麓の動物たち
 4.富士山頂の気象

Ⅲ 富士山への祈り
 1.富士山信仰の祈り
 2.富士山登山道の盛衰
 3.富士山中の特別な歩道
 4.浅間神社の成立
 5.山麓の主な浅間神社
 6.神社の諸様式と鳥居

Ⅳ 富士山の文学を辿る
 1.古典文学に見られる富士山
 2.中世文学に見られる富士山
 3.近世の漢詩・俳諧・和歌にみる富士山
 4.明治・太陽の文学にみる富士山
 5.昭和の文学にみる富士山

Ⅴ 富士山に学ぶ
-----------------

上記のような盛り沢山の内容を、A5版・108pに収めているので、個々の項目については、もう少し掘り下げてもらいたい部分がある。
浅間神社に関する項については、以下のように整理されている。
古代の日本人は、山麓に豊かな水を育み、時として激しく火を噴き上げる山に霊威を莞爾、自然を畏敬する固有の宗教を生み出した。
その1つに、富士山を神体とする浅間信仰がある。

大陸からの仏教、道教、儒教などが入ってくると、山岳信仰はそれらの様式を取り入れながら、修験道を生み出した。
富士山、立山、白山が三大霊山とされる。
富士山の修験道は、富士山全体が道場だったが、やがて一般庶民も登拝するようになる。
江戸時代になると、富士山の祭神は、火を鎮める神として木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)が祀られるようになった。
江戸時代中期には、関東を中心として富士山への参詣同行者で組織する「富士講」が隆盛を極め、全国各地から登拝者が集まった。

浅間神社は、センゲンジンジャと音読みする場合と、アサマジンジャと訓読みする場合がある。
アサマというのは、マレー語で「アサ:煙」「マ:母」ということで、「煙の母=火山」となる。
全国には約1,300社の浅間神社がある。
静岡県が150社、山梨県が66社であるが、意外なことに、千葉県が257社、埼玉県が129社あるという。
富士講の講社がこれらの地域に多かったことの反映だという。
富士宮市にある富士山本宮浅間大社は、駿河国の一宮だった。

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2009年8月 1日 (土)

富士山学の可能性

富士山に降った雨や雪が、山麓の水とどのような関係にあるかを追求するのが、いわば「富士山の水文学」ということになる。
それは、もちろん自然科学としての一分野である。
土隆一『富士山の地下水・湧水』では、富士山の地下水、湧水の特徴を以下のように総括している。
1)水量が豊富なこと
2)水温は12~15℃と平均気温よりやや低いほぼ一定な低温であること
3)よく濾過されあためか鉱物資源がほどよく溶け込んで美味しいこと

そして、長年月の間溶岩層間に蓄えられ、高さによる水圧で湧き出す被圧地下水であることから、何年間もの降水量の平均的な水圧で押し出されることになるので、少雨が2~3年続いても減少しないし、大雨の年が続いてもそれほど変化しない。
つまり、水害などは滅多に起こらない。

小浜池や柿田川の湧水量の減少は、黄瀬川・大場川流域水循環システム対策協議会の報告書を見ても、流域の地下水利量と湧水量を加えたものは毎年ほぼ一定であること、年末・年始に湧水量が一時的に上昇することなどから、地下水利用量の増加によることは明らかである、としている。
同じ溶岩流の中であれば、上流側と下流側は互いに水圧でつながっているので、どちらで取水しても圧力が減る点では同じである。
湧水・地下水の利用に際しては、こういう事情を勘案して、より一層上下流で協力し合うことが必要である、というのが土論文の〆の言葉である。

このように、富士山の地下水・湧水は、流域の人間にとっての大きな恵みである。
しかし、もちろん富士山と人間との係わりは、水に限られるものではない。
山梨県に都留市という地方都市がある。
人口が約3万5千人ほどの、標高約500mの山あいの小都市である。
この小都市にある都留文科大学は、1953(昭和28)年に設立された教員養成大学として知られる。
文学部だけの単科大学であるが、市の人口の約10%近くの約3200人の学生が在籍している。

この都留文科大学で、昨年から「富士山学」という講義が行われている。
講座開設を伝える新聞記事である。

富士山の自然、文化を講義だけでなく、ごみ拾い体験などを通じて総合的に学ぶ履修科目を山梨県都留市の市立都留文科大が4月から導入する。
世界文化遺産登録を目指す富士山の自然再生に貢献できる人材育成を目指すと同時に、「富士山学」として定着させるのが狙いだ。
同大は文学部のみの単科大学で、富士山学は4月9日に始まる社会学科新2年生向けの専門科目「環境教育・教育創造」として導入される。
専任教授には、富士山の環境保全活動に23年間携わってきたNPO法人「富士山エコネット」(山梨県富士河口湖町)の渡辺豊博事務局長(57)を迎える。動植物や地質などの自然や温暖化に伴う変化などの環境問題だけでなく、富士山信仰など歴史文化を学ぶ90分講義を15回行う。また、ごみ拾い体験のエコツアーのほか、森づくりなどの実践者から環境再生手法を聞き、富士山再生の手立てを考える。
渡辺事務局長は「日本の環境問題が集約されている富士山での実践活動を通して、『富士山学』という新しい学問を確立させたい」と意欲を見せている。 (2008年3月31日  読売新聞)

上記記事中の渡辺豊博氏は、地球環境大賞を受賞した三島市のNPO法人の事務局長も務めている。
09年4月24日:水の都・三島と地球環境大賞
また、エジプト学で知られる吉村作治さんが学長を務めるサイバー大学でも、「自然環境を守る」という講義を開講している。
サイバー大学での学生へのメッセージの一部を引用する。

多様な知識の習得は、社会や環境の複雑性と重層性、困難性を学ぶことができます。新たな情報の集積は、社会を広角的・包括的に考え、改革していくための基盤になるものです。今まで何気なく見ていた、いろいろな物事の根底に隠されている真実や不思議、因果関係などが、今までよりはすっきりと理解できるようになります。私からの情報提供の原資は、現場から発信されたものであり、現実的な課題です。富士山の環境問題、地域でのまちづくり、合意形成にしろ、現実的な社会問題を投影したものであり、臨場感の高いものだと考えています。

観念論ではなく、フィールドに出て、行動しながら考えよ、ということだろう。
同感である。

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