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2009年7月 1日 (水)

天皇の金塊(6)…「金の百合」とゴールド・カルテル

フィリピンのトレジャー・ハンターのロジャー・ロハスという男が、マルコス元大統領に対して、「金の百合」の一部を強奪したとして争われた民事訴訟は、ハワイ州の最高裁で結審し、430億米ドルの支払命令が下ったことについては既に触れた。
09年6月4日の項:天皇の金塊(4)トレジャーハンターとマルコス裁判
だが、ロハスはその最終結審日の直前に、何者かに毒を盛られて急死した。
ロハスの死体は、検死も解剖もされず、即材に焼却されてしまったが、病院の死因の欄に書かれていたのは、結核という文字で、ロハスの妻にはまったく心当たりのないものだった。

ホノルルの最高裁が確定した事実は以下のようなものだった。

旧日本軍の戦時略奪品は間違いなくフィリピンに隠されていた。ロジャー・ロハスはそれらの隠し場所を発見した。黄金ぶつぞうは金塊を鋳造して作られていた。
マルコスは本物の仏像と金塊財宝をロハスから盗んだ。マルコスは入手した仏像と金塊財宝を売却換金して数十億米ドルを手にした--。

マルコスは、ロハスが金塊を回収する以前から、「金の百合」の存在を知っていた。
マルコスに日本軍の財宝の存在を教えた“山師”は、アメリカ軍人の通称サンティと呼ばれる男だった。
サンティは、マッカーサー麾下の太平洋連合軍陸軍情報部G-2に所属するフィリピン系アメリカ人で、セルビノ・ガルシア・ディアス・サンタ・ロマーノという。
サンティは、1945年9月に投降した山下奉文将軍の専属運転手を務めていた小島香椎中佐の尋問担当官だった。
小島を拷問して、「金の百合」お隠し場所の一部を知り得たのだった。

サンティは、上官のランスディール中尉、マッカーサー将軍、OSS(後のCIA)のビル・ドオバン将軍、スチムソン陸軍長官、トルーマン大統領に、「金の百合」の発見とその規模を報告した。
米軍のクラーク基地とスービック基地は、非合法で金塊を海外に移転させる格好の基地だった。
サンティは、マルコスに代わって換金し、弁護士マルコスに大統領の座を買い取らせた。

サンティたちが回収した「金の百合」は、ゴールド・カルテルの手で世界市場を徘徊することになるが、金相場を崩さないように慎重に取引された。
サンティの上官のランスデールは変人として知られていたが、サンティが病死した後、サンティの銀行口座に残されていたカネを、自分の名義に変更した。
そのカネを使って、ワシントン政府、OSS、ペンタゴンの著名な上官の個人口座に入金した。
ランスデールは、中尉から陸軍大将へ破格の昇進を遂げ、トルーマン、アイゼンハワー、ケネディ、フォード、カーター、レーガン、ブッシュに至る歴代大統領に仕える地位に座り続けた。
高橋五郎『天皇の金塊』学習研究社(0805)の表現によれば、「金の百合」が、ワシントン政府高官の“へそくり”を支え続けた。

サンティとランスデールに「金の百合」の管理を命じたのは、OSSのウイーン支局長アレン・ダレス(初代CIA長官)、OSSの創設者ビル・ドノバン将軍、広島・長崎への原爆投下を指揮したヘンリー・スチムソン陸軍長官、トルーマン大統領らだった。
「金の百合」は、世界の金市場で通用する高純度の純金インゴットに改鋳された。
鋳造をやり直すことによって、金地金の本来の持ち主の痕跡は消え、戦後処理につきまとう返還訴訟や賠償請求を、記録不明を盾にして排除できる。
改鋳されたインゴットは、預託先のゴールド・カルテルの手で運用・売買された。

「金の百合」の運用益と売買利ザヤの大半は、ワシントン政府とOSS(CIA)の秘密の信託基金としてプールされた。
つまり、議会報告が不要で、使途も無制限で、会計監査も受けないカネである。
この基金の総額は、最低50兆米ドルを超えると想定される。
原爆の開発費は、22億米ドルで、第二次世界大戦で消費された通常兵器の総額に近いという。

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