公害問題と環境問題
イタリアで開催された主要国首脳会議(ラクイラ・サミット)で、地球温暖化対策にかかわる首脳宣言が発表された。
宣言では、2050年までに、世界全体で、温室効果ガス排出を50%削減するという昨年の洞爺湖サミットでの合意を再確認し、先進国全体が80%以上削減する、という長期目標を明記した。
どういうことか?
産業革命による工業化以前の水準から、世界全体の平均気温の上昇が、2℃を超えないようにすべきだ、という認識である。
地球温暖化については論議が多いが、もし温暖化が確実に進行しているとすれば、それはまさに環境問題というべきだろう。
環境問題は、人間の活動量が増大すると共に発生してきた問題であるといえる。
ローマクラブによって発表された「成長の限界」や「宇宙船地球号」という言葉に代表される。
1970年前後から、広く関心を集めるようになった問題である。
水俣病や足尾鉱毒問題に代表されるような公害問題と環境問題は、どう区別されるべきだろうか?
人間の活動が、広範な災害をもたらすという面では共通性がある。
この両者を明確に区別して捉えることの重要性を教えてくれたのが、『日本公害論』青木書店(7704)に収録されている「公害論と技術論」と題する加藤邦興さんの論文だった。
上掲書の「あとがき」によれば、『現代と思想』という雑誌の1973年6月号に掲載されたものである。
加藤さんは次のように書いている。
公害を環境問題と言いかえ、社会と自然の関係であるかのように公害を議論するやり方は、政府と資本によって強力に推進されてきたところである。すでに庄司・宮本両氏いよる公害の定義が、「都市化工業化を一般的原因とする考え方を否定している」のであるが、この考え方は実にねばりづよく繰り返されている。わが国の行政上の公害対策の理論的中核となっている中央公害対策審議会は、1972年12月13日に「環境保全長期ビジョン中間報告」を発表したが、そこでは「最近の環境問題の激化は、経済活動の大規模化に伴って、環境の汚染が急速に進んだことが最も太きな原因」とされるにとどまらず、「国民が環境問題に深い関心を寄せるようになり、より豊かで、清浄な環境を望むようになったことも大きく影響している」とまで述べられている。すなわち、裏返せば、最近まで「より豊かで、清浄な環境を望」まなかった国民の側にも大きな責任があるというわけである。
いまの時点で、この中央公害対策審議会の中間報告の文章を読むと、加藤さんの説くように、国民に責任を転嫁したものと読める。
しかし、当時の住民運動の有名なスローガンとして、「スモッグの下のビフテキより青空の下の梅干しを」というものがあったことを思い出す。
このスローガンは、一昔前には、逆に「青空の下の梅干しよりもスモッグの下のビフテキ」を求めた国民感情があったことを下敷きにしている。
国民的な価値観は、時代と共に変化するのであるから、中公審の報告書も、まるっきり的外れということではなかったと思う。
「煤煙は繁栄の象徴だ」などと言えば、今ならとんでもない、と叱られるだろう。
しかし、実際に産業革命を達成した17年代後半には、ロンドンは「煙の都」と言われ、煤煙が繁栄・工業化のシンボルとして、イギリス国民はそれを誇りとしていたというし、京浜工業地帯などにおいても、煤煙が経済活動が活性であることの象徴とみられていたことは、私自身の記憶にある。
加藤さんは、1970年代のはじめ頃から、環境論が流行しはじめたことに関し、環境論の論議自体は必要であるが、公害論と環境論の区別を明確にしないまま環境論へ流れこむことはきわめて問題が多いとしなければならない、と指摘している。
加藤さんは、公害問題は生産関係に起因する問題、環境問題は生産力の一般的性格に起因するものである、としている。
そして、人間の労働過程は動物の本能的な自然的物質代謝過程と区別される社会的物質代謝過程であり、社会的人間の生産活動は、狭い意味での自然環境を破壊するものであるとし、人間も自然の一部であるから、人間による自然の破壊も、地球の全自然史的発展の一部である、とする。
そして、環境問題は、資本主義の生産様式のもとでは公害問題としてのみ現れるのであって、公害問題と区別される環境問題が資本主義の生産様式のもとでも存在しうるとするのは誤りである、としている。
果たして、今の時点で、加藤さんのこの指摘は有効であろうか?
私自身は、資本主義の生産様式の現代日本にも、公害問題と区別される環境問題は存在すると考えるし、一応、資本主義の生産様式ではないと考えられるロシアや中国や北朝鮮にも、公害問題と環境問題が存在しているのではないか、と考える。
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