公害と因果関係の推論/因果関係論(2)
加藤邦興さんは、『日本公害論』青木書店(7704)において、公害問題は生産関係に起因する問題、環境問題は生産力の一般的性格に起因するものである、としている。
2009年7月12日 (日):公害問題と環境問題
いささか難しい表現なので、私なりに言い換えれば、公害問題は加害者と被害者が明確に異なるが、環境問題は加害者と被害者が同一の場合がある、ということだろう。
公害の加害者は、罰に問われるべきであろう。
しかし、罰の基準をどう考えるべきか?
それは行為者の責任に帰すことができるものでなければならないだろう。
「責任なければ刑罰なし」という責任主義である。
責任の有無をどう捉えるかについてはさまざまなケース・論点が考えられるであろうが、重要な問題として、予見可能性の問題がある。
つまり、被害の発生が予見されたにもかかわらず、適切な対策を講じなかったばあいには、責任を問われると考えていいだろう。
例えば、JR西日本福知山線の事故の場合、当該箇所のカーブの程度からすれば、一定の速度以下に減速しなければ脱線する可能性があった。
とすれば、自動減速装置を設置するなどの安全対策を講じなければならなかった、というのが検察側の主張である。
これに対し、JR西日本の社長らは、事故が起きたのはいくつかの条件が複合した結果であって、それを事前に予見することは不可能だった。
したがって、罰に問われるものではない、と主張する。
水俣病のような公害問題についても、予見可能性の問題は重要な争点である。
予見可能であるとは、どういう場合か?
Aという状態であれば、Bという状態が発生するということが推測できれば、予見可能ということができる。
水俣病の場合には、排出されたメチル水銀が食物連鎖を通じて濃縮された、といわれる。
その食物連鎖の結果は、果たして予見可能だといえるのだろうか?
チッソの主張は、いまだどこにもそのような事例は報告されていない。
したがって、水俣病の発症は予見不能だった、というものである。
公害問題における因果関係の論議を要約すると、以下のようになろう。
公害裁判における因果関係論とは、被告工場の廃出物である原因物質(カドミウム・有機水銀・硫黄酸化物)と原告被害者の結果としての被害発生(イタイイタイ病・水俣病・慢性気管支炎)との“事実としての”因果関係をいう.この関係の解釈として被告側は,“自然的因果関係”を主張する.その内容は,廃出物質の到達経路と原因物質の特定と発症の機序(メカニズム)をいう.これに対して,原告側の解釈は“法的因果関係”という.
それは,民事訴訟では現実の損害の発生に対して賠償責任の帰属者を決定するための法的価値判断であり厳密な科学的な因果関係とは異なると主張する.
http://211.1.212.79/jalop/japanese/ronbun/2003/okubo.pdf
チッソの主張は、上記における“自然的因果関係”が確定していない、ということである。
確かに、厳密に因果関係のメカニズムが特定されていたかといえば、未知の要素があったことは事実であろうから、チッソに責任を負わせるのは過大な要求ということになりかねない。
「風が吹けば桶屋が儲かる」という言葉がある。
Wikipedia(09年7月4日最終更新)では、以下のような因果の連鎖として説明されている。
1.大風で土ぼこりが立つ
2.土ぼこりが目に入って、盲人が増える
3.盲人は三味線を買う(当時、三味線は盲人が弾いた)
4.三味線に使う猫皮が必要になり、ネコが殺される
5.ネコが減ればネスミが増える
6.ネズミは箱を囓る
7.箱の需要が増え箱屋が儲かる
「あり得なくはない因果関係」であるが、必ずしも必然の因果関係とは言えない。
このような因果関係の推論で、「風が吹いた」ことが桶屋が儲かったことの原因であることは、拡大解釈というものだろう。
しかし、現実に水俣では悲惨な被害が発生しているのであり、その原因がチッソ水俣工場の廃水にあることは、ほとんど疑い得ないところであった。
水俣病の発症過程をどのように必然性の論理として構築するか?
それが原告弁護団に課せられた課題であった。
このアポリアを突破する論理が「汚悪水論」だった。
水俣病については、水俣湾産の魚介類を食べた人が発病していること、その魚介類を汚染している原因はチッソ水俣工場排水しかありえないことは、自明ともいうべき事項であった。
しかし、これに関し、国は、魚介類については、湾内の魚介類が全て有毒化していると認める根拠がない、チッソ排水については、排水中に含まれている何が原因物質か、物質が特定されない限り原因とは認められない、として、チッソ排水と水俣病の因果関係を認めなかったのである。
http://www.h5.dion.ne.jp/~n-ariake/siryo/iken-10/manaki.htm
これに対し、汚悪水論は、以下のように論理構成したのであった。
総体としての排水が被害を発生させている事実が証明されれば、それで充分であり、さらに排水中の個々の原因物質まで特定する必要など全く存しないこと、従って加害行為は個々の原因物質を排出する行為ではなく、総体としての排水を排出する行為である。
事前防止が重要であるとの観点からすれば、汚悪水論は大きなマイルストーンだったということになるだろう。
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