富士山湧水の湧出モデル
御殿場から三島に至る愛鷹山と箱根山に挟まれた南北の谷間は、やや平坦な台地となっている。
この台地は、新富士旧期溶岩流の1つである三島溶岩流によって作られたもので、その上を黄瀬川が流れている。
三島溶岩は、山頂から約35kmも流下して三島に達したことになる。
この末端の小浜池や柿田川は、三島溶岩の間から湧水している。
これまでの研究によると、富士山の雪解け水と降雨は、すぐに地下にしみ込んで地下水となり、破砕された溶岩中に入り込んで、水の浸透しにくい古富士泥流層の上を地下川として流れ、末端で湧出するとされてきた。
柿田川は、国道1号線のすぐ南側が源流というまことに珍しい河川である。
狩野川に合流するまでのわずか1.2kmに過ぎないが、日量100万m3以上の豊富な湧水が流れている。
土隆一氏らが、近くの清水町運動公園でボーリング調査を行い、湧水のメカニズムがわかってきた。
地下の状況は、地表から深さ25mまでは、沖積砂礫層で、深さ20mのところに天城側火山カワゴ平の約3,000年前の噴火で飛来した軽石の層が挟まれている。
深さ25mから70mまで、10層の三島溶岩流があり、その下はまた砂礫層になっている。
これら溶岩層のクリンカー部分(注:クリンカーとは、火山用語で、溶岩の温度が低下するときに生ずる直径数cmの団塊状をした溶岩の破片のことで、玄武岩質から安山岩質溶岩の上表面と下底面に生じる)と下位の砂礫層からは、地表近くまでの水圧を持った地下水が湧き出している。
溶岩層の間の地下水は、富士山系の地下水と考えることができる。
湧水は、約3,000年前の軽石層を突き破って湧き出しているので、柿田川が現在のような河川として流れるようになったのは、およそ2,000年前頃からだろうと、土氏は推定している。
土氏は、柿田川の水は溶岩層の間の被圧地下水が主で、それは富士山系の地下水であるが、その他に表層砂礫層中の自由地下水、軽石層の下の被圧地下水、溶岩層の下の砂礫層の被圧地下水等が混じり合っており、これらには愛鷹山や箱根山からの地下水が流入・混入している可能性があるとしている。
今回の静岡県の環境衛生化学研究所環境科学部と静岡県水利用室による調査で、同位体の分析などから、柿田川湧水には、富士山系地下水のほか、愛鷹・箱根山系の水も3~5割混ざっているなども分かったことは既に記した。
09年7月27日:富士山湧水の由来
土氏は、地下水湧出のメカニズムを、次のように説明している。
湧水の主体はいくつも重なっている溶岩層間のクリンカー状に破砕された部分の被圧地下水であることがわかったが、玄武溶岩層の中心部はゆっくりと緻密に冷え固まって水も透さず、表層と下底はクリンカー状になり、高所へ行くほど溶岩層はより薄く、より傾き、クリンカー部分が多くなるという溶岩層の構造を考えて見ると、高所ほど降雨と雪解けミスは溶岩層間に入り易く、山麓では被圧水体として溶岩層間に蓄えられ、高さによる水圧で溶岩層末端から押し出されるように湧き出す
これを模式的に示したものが次図である。
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富士山は、飛行機などから眺めると、独立峰であることがよくわかる。
玄武岩質溶岩と火山灰などの火山砕屑物を繰り返し噴出し、それらが成層して、円錐型となった。
富士山への降水量は、年間で約22億m3と推定されている。
1958(昭和33)年に、東洋レーヨン株式会社(現東レ株式会社)が、JR三島駅の北側に立地して操業を開始した頃から三島市内の湧水が減りはじめた。
淡い黄色の花が、梅の花に似ている。
室町時代や江戸時代には、幕府や朝廷に献上されたというが、近年は収穫量が激減し、「幻のカワノリ」と言われるほどの貴重品になってしまった。
梅雨明けの前後には、集中豪雨が発生しやすい。
自公与党が相次ぐ地方選の敗北で厳しい情勢にあることは間違いないだろうが、一寸先は闇といわれる世界である。
上記の「違法性」と「責任」の問題は、客観と主観に対応していると言える。
この場合、因果関係が証明されるとは、病理学的に病原体がが発見されるとか、動物実験によりその病気を作る等のことである。
要するに、疾病等の異常現象が起こった場合において、気候、飲料水、習慣等の外部的事情を統計的に分析することで原因をつきとめる方法といえる。
つまり、違法であっても、予見不可能な事象であれば(図のbの部分)、責任は問われず、処罰すべきではない、という考え方である。
表層と低層ではかなり温度差がある、というのは世の常である。

その救済の枠組みは、図の通りである(静岡新聞7月8日夕刊)。
結果は、表(Wikipedia09年7月1日最終更新)のようだった。
2040年度の水道料金は、2004年度の平均2.7倍になるという試算もあるという。

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