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2009年6月 3日 (水)

天皇の金塊(3)金塊秘匿の地下サイト

ベンは、サン・フェルナンドの前線本部で、数多くの民間人が働いているのを見た。
民間人は、天然の洞窟や地面を掘削したトンネルを繋いで、地下構造物を拡大新設する作業を行っていたのだった。
その地下構造物は、略奪した金塊類を退蔵する施設だった。
ベンは、8号サイトの地下空間の規模は、大型のフットボール球場ほどだと聞いた。
8号サイトは、周辺の自然洞窟とトンネルで結ばれており、8号サイトの出入口を爆破してしまうと、ほかの空間も連鎖的に破壊できる構造になっていた。
シーグレーブ夫妻が、『黄金侍たち』に記していることは、山下財宝神話として伝えられていた話が、事実だったことを示したものだった。

満州事変以降、日本軍兵士たちは、アジア全域で乱暴狼藉を繰り返した。
シーグレーブ夫妻は、その強奪ぶりを、「まるで巨大な真空掃除機が通り過ぎたように」と表現している。
つまり、根こそぎ収奪したということである。
日本陸軍の高級官僚は、日本将兵と黒龍会、玄洋社などの配下の荒くれ者たち、さらには中国の地下組織の構成員たちを総動員して略奪行為を行った。
集められた金塊類は、商戦半島から船と飛行機で日本に運び込まれた。
戦利接収品と呼ばれたそれらの金塊類は、日本銀行の本店、地方支店や、横浜正金銀行、第一銀行、三和銀行、博物館などに保管された。

金塊の一部は、金銀貨幣やインゴットに鋳造され、流通させた。
それ以外の金塊類は、陸海軍の糧秣廠倉庫に保管された。
月島の糧秣廠倉庫に保管された金塊類がアメリカ兵に押収された件については、安田雅企『追跡・M資金―東京湾金塊引揚げ事件』三一書房(9507)に詳述されていることは既に記した通りである(09年4月30日の項他)。

高橋五郎氏は、『天皇の金塊』学習研究社(0805)の中で、日本海軍が地下壕に隠した物品を追跡した自分の体験を記している。
北海道の網走の地続きの美幌の丘陵地帯にある自衛隊の駐屯地は、かつての海軍航空隊基地の跡地である。
その地下に、巨大地下壕が存在するという情報があった。
高橋氏の目的は、その地下壕内のゼロ戦発見にあった。
防衛庁の協力を得て、高橋氏は、巨大地下壕の出入口を、地下4メートルの地中で突き止めることに成功した。
その出入口を発見するまでに、10年間を費やしたという。
つまり、それくらい日本の軍人たちは、隠し上手だったというわけである。

1943年頃には、フィリピンと日本を結ぶ航路は、連合軍の潜水艦に封鎖されるに至っており、海上輸送が困難になっていた。
そのため、アジア諸国から強奪してきた金塊類は、フィリピンの地下に退蔵することになった。
敗色が濃厚になると、日本軍は、フィリピン国内に175カ所のトンネルサイトを構築し、それらのサイトに分散退蔵して、終戦直前にすべてのサイトの出入口を爆破した。
トンネルサイトの所在を示す地図は、キムスこと竹田宮が潜水艦で日本に持ち帰った。
金塊類は、天皇家所有の財産という意味で、1937年に「金の百合」と名づけられた。
宮中の歌会始の御題が「ゆり」だったのだという。

シーグレーブ夫妻は、自分たちは、次のような秘密の情報をもとにしていると言っている。
第一は、裁判資料とマルコス元大統領がマラカニアン宮殿から持ち出し忘れた資料とを照合して浮かび上がった情報である。
第二は、「金の百合」を国家予算の裏資金として活用した日本の大蔵省(政治家田中角栄)発行の債券を巡って、シティバンクほかの銀行と争ったアメリカの元司法省次官で弁護士のノーバート・シュレイたちの法廷闘争資料である。
第三は、終戦直前にフィリピンで山下大将の運転手から「金の百合」の在処を知った元アメリカ陸軍情報部軍人のサンティなる人物とワシントン政府関係者との間で交わされた資料である。

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