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2009年6月10日 (水)

刑事責任能力の判断と裁判員裁判

足利事件では、DNA鑑定がクローズアップされた。
裁判員が参加する裁判では、精神障害に関する鑑定も論議を招きそうである。
刑法に関する学説はさまざまなようであるが、「責任なければ刑罰なし」という基本原則は共通である。
つまり、刑罰の対象とするためには、責任能力があることが前提となる。

責任能力とは、行為の違法性を認識し、それに従って自己の行為を制御する能力である。
ある種の精神障害の場合、上記の能力が欠如していると判断される。
被疑者にこのような精神障害があるのか否か、言い換えれば責任能力が備わっているか否かを判断するのが精神鑑定である。

この問題に関して、6月9日の静岡新聞に、関連記事が掲載されていた。
同記事によれば、最高裁は鑑定尊重を打ち出した昨年4月の判決で、無罪を示す鑑定結果を採用しない根拠が誤りだとして、東京高裁の控訴審判決を破棄した。
これに対し、5月の差し戻し控訴審判決で、東京高裁は、差し戻し前と同じ実刑を言い渡した。
つまり、精神鑑定結果をどの程度尊重するかについて、最高裁と東京高裁の判断が異なっているということになる。

東京高裁の裁判長の意見は次の通りである。

(最高裁判決は)一般論としては正鵠を射ているが、責任能力は秩序維持という観点から社会や一般人の納得性を考え、規範的にとらえるべきものである。

この判決を、精神科医の多くが評価しているという。
鑑定結果を軽視したかのような高裁判決を、精神科医はどうして評価するのか?
それは、自分たちの鑑定が判決に直結すると、「負担が重すぎる」と感じた精神科医が多かったためだという。

鑑定といっても、対象によって精度はさまざまであろう。
DNA鑑定のように、ある程度客観的なデータがある場合に比べ、精神鑑定の場合はより鑑定者の判断に依存する部分が多いと思われる。
その鑑定結果が、判決に直結的に影響するとすれば、精神科医の負担は確かに非常に重いものとなるだろう。
その意味で、東京高裁裁判長の判断は、妥当なものだと考える。

しかし、無罪と実刑判決とでは、余りにも大きな違いである。
裁判員は、精神鑑定結果をどう判断するだろうか?

上掲記事には、裁判員の模擬裁判の事例が紹介されている。
母を殺害したとして起訴された被告が、うつ病と診断された。
その責任能力をどう考えるか、という設定である。
つまり、うつ病がどの程度被告の行動に影響を及ぼしたか、を問題にしたケースである。

ところが、裁判員役となった市民は、鑑定結果を信用せず、「うつ病の人が人を殺せるだろうか」と自分の判断をベースに議論を始めてしまったという。
精神鑑定のような問題は、高度に専門的な判断を必要とする問題である。
しかし、誰もが、自分独自の判断を持ち得る問題でもある。
このような場合、素人は、往々にして自分が精神科医になってしまう可能性があるのではなかろうか。

あるいは、別の模擬裁判では、「責任能力がなければ、人を殺しても無罪になるというのは納得できない」と主張した裁判員役がいたという。
正直なところ、この人の意見も分らなくはない。
しかし、裁判はあくまで現行の刑法の規定を前提とせざるを得ないだろう。
責任能力の判断の問題は、量刑判断の基礎であるが、裁判員裁判で的確な判断が行われるのかどうか、はなはだ不安である。

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