« 太宰治と三島・沼津(2) | トップページ | 聖武天皇と鎮護国家の思想 »

2009年6月20日 (土)

太宰治と三島・沼津(3)

坂部酒店や松根印刷所の近くに、伊豆国分寺跡がある。
2 (地図は、http://www.tokyo-kurenaidan.com/dazai-mishima.htmから引用)
『ロマネスク』という作品にこの国分寺跡が登場する。

むかし東海道三島の宿に、鹿間屋逸平という男がいた。曾祖父の代より酒の醸造をもって業としていた。酒はその醸造主のひとがらを映すものと言われている。鹿間屋の酒はあくまでも澄み、しかもなかなかに辛口であった。

喧嘩は度胸である。次郎兵衛は度胸を酒でこしらえた。次郎兵衛の酒はいよいよ量がふえて、眼はだんだんと死魚の眼のように冷くかすみ、額には三本の油ぎった横皺が生じ、どうやらふてぶてしい面貌になってしまった。

つぎの一年は家の裏手にあたる国分寺跡の松林の中で修行をした。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/316_19983.html

聖武天皇は、天平12(741)年に、「国分寺造立の詔」を発し、全国に国分寺の創建を命じた。
聖武天皇は、奈良時代を代表する天皇だというように教わった記憶があるが、その実像は謎に包まれている部分が多い。
08年7月8日の項:聖武天皇をめぐる謎

伊豆国分寺も、その詔によって建立されたものだった。
22
現在は塔跡だけが残っている。
また、『ロマネスク』に書かれているような松林も見当たらない。
12_2
 
 

|

« 太宰治と三島・沼津(2) | トップページ | 聖武天皇と鎮護国家の思想 »

文化・芸術」カテゴリの記事

旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 太宰治と三島・沼津(3):

« 太宰治と三島・沼津(2) | トップページ | 聖武天皇と鎮護国家の思想 »