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2009年6月 4日 (木)

天皇の金塊(4)トレジャーハンターとマルコス裁判

フィリピンのマルコス元大統領は、弁護士から大統領になった人物だが、大統領の座を「金の百合」資金で買い取ったのだという。
マルコスが大統領時代に、地中から回収して換金して懐に入れたカネは、1兆6300億米ドルにのぼると、高橋五郎『天皇の金塊』学習研究社(0805)に記されている。
実感の湧かない数字である。

そのように巨額の金塊の換金は容易ではない。
国際金融世界の監視対象になるからだ。
闇雲に市場に放出すると、金本位制の構造を揺るがしかねない。
高橋氏は、ロンドンで金やダイヤモンドの価格相場を決定するのは、オッペンハイマー一族やロスチャイルド家などの金融ファミリーで、一介の大統領にすぎないマルコスが自在に換金できる世界ではないという。
逆にいえば、これらのファミリーの支援があれば、巨大な量の換金が可能になるということである。

マルコスが、民間人が掘り起こした「金の百合」の一部を強奪したとして争われた民事訴訟は、ハワイ州の最高裁判所で最終結審した。
430億米ドルの賠償金支払い命令が結論だった。
その法廷証拠資料に次のような資料が含まれていた。
欧米の巨大銀行とマルコス(イメルダ夫人)との間で交わされた金塊交渉書簡/日米欧三極委員会のレターヘッドに書かれた金塊取引指示書/連邦準備銀行(FRB)やメンバー銀行発行の金塊預かり証券類/マネーロンダリングの実務記録のコピー/日本政府発行の銀行証券や信用手形類/金塊の船荷証券……

マルコス裁判の原告は、ロジャー・ロハスというフィリピンの山岳地帯バギオで錠前屋を営む“山師”である。
ロハスは、フィリピン各地の地下に眠る財宝類を狙うトレジャー・ハンターズ・クラブの会調職を務めていた。
ロハスは、3人の男から、「お宝情報」を入手し、その信憑性を信じていた。

1人は、オオクボと名乗る日本人で、山下大将の通訳を務めていた。
終戦間際にバギオ総合病院近くのトンネル内に、金銀のインゴットを入れた木箱を積み上げた体験があるという。
2人目は、元日本兵の父親が残した財宝地図を持っていた日比混血児のアルバートで、父の死後、地図を頼りに財宝の探索を始めたが発見できなかったという。
その地図は、鏡で逆に写して見るものだったのだ。
アルバート情報も、オオクボ情報と同じバギオ総合病院付近を示していた。
3人目は、ジョン・バリンジャーと名乗る元米兵で、ルソン島で戦闘を体験している。
バリンジャーも、バギオの病院近くに、日本兵が重そうな木箱を運び込んだのを目撃したという。
バリンジャーは、スービック湾で日本の偽装病院船から青銅の箱を積み降ろしているのを目撃し、その箱を載せたトラックを追跡して、山中の洞窟に隠すのを見たのだった。

バリンジャーは、退役後ニューメキシコでトレジャー・ハンティング愛好家向けのミニ機関紙を発刊しながら、自分も息子と一緒にアメリカ国内で宝探しを楽しんでいた。
時折ロハスと情報交換をしていた。
ロハスが絞り込んだ場所は、国有地だった。
ロハスは、回収した財宝の30%を受け取るという約束で、政府から採掘許可を得た。

ロハスの発掘申請を許可した判事が、マルコス元大統領の伯父にあたる人物だった。
ロハスの発掘申請情報が、マルコス一族の間に広まった。
ロハスは、政府が許可したエリアで、地下トンネルを発見し、その奥に純金の仏像や金の延べ棒を確認した。
トンネル内の仏像や重い木箱を持ち出すためには、鋼鉄製のチェーンブロックが必要で、それを購入するために、金の一部を換金した。
ロハスが換金した噂はたちまり周辺に広がった。
ロハスは、トンネルから仏像を引き上げることに成功したが、機関銃で武装した男たちが自宅に押しかけてきた。
フィリピン国家捜査局の刑事犯罪捜査班で、家宅捜査令状を持っていた。

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