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2009年6月19日 (金)

太宰治と三島・沼津(2)

『老ハイデルベルヒ』の続きである。

佐吉さんは家中の愛を独占して居るくせに、それでも何かと不平が多い様で、家を飛出し、東京の私の下宿へ、にこにこ笑ってやって来た事もありました。

三島の町はずれに小ぢんまりした家を持ち、兄さんの家の酒樽を店に並べ、酒の小売を始めたのです。二十歳の妹さんと二人で住んで居ました。私は、其の家へ行くつもりであったのです。
佐吉さんから、手紙で様子を聞いているだけで、まだ其の家を見た事も無かったので、行ってみて具合が悪いようだったらすぐ帰ろう、具合がいいようだったら一夏置いて貰って、小説を一篇書こう、そう思って居たのでありましたが、

三島駅に降りて改札口を出ると、構内はがらんとして誰も居りませぬ。ああ、やはり駄目だ。私は泣きべそかきました。駅は田畑の真中に在って、三島の町の灯さえ見えず、どちらを見廻しても真暗闇、稲田を撫でる風の音がさやさや聞え、蛙の声も胸にしみて、私は全く途方にくれました。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/238_20005.html

年譜によると、太宰が旧制の弘前高校から東京帝国大学文学部に入学したのは1930年である。
昭和15(1940)年発表とすると、「8年前」というのは1932年になる。
「天下の険」とうたわれた箱根山を掘削して丹那トンネルが開通したのは1934年12月のことで、それまでは国府津と沼津を結ぶ現在の御殿場線が東海道本線だった。

つまり、この作品で「三島駅」と書かれているのは、現在の御殿場線の下土狩駅である。
ちなみに、御殿場線はかつては複線だったが、戦争中にレールを供出されてしまい、単線になったまま現在に至っている。
下土狩駅は、駿東郡長泉町にある。

平成の大合併によって、郡部のかなりの部分が市に統合されてしまった。
静岡県内には、既に村は1つもない。
だから、今や行政の人の言い方は、市町村(シチョウソン)ではなく、市町(シマチ)である。
平成の大合併によって、由緒ある名前が消えてしまった。
もちろん、地名には多くの情報が含まれており、単なるノスタルジーということだけではない。

伊豆半島でも、修善寺町・中伊豆町・天城湯ヶ島町・土肥町が合併して「伊豆市」に、韮山町・伊豆長岡町・大仁町が合併して、「伊豆の国市」になった。
これによって、修善寺や韮山など、歴史的なイメージを喚起する力を帯びた地名が、消えてしまったのは残念である。
伊豆市が先行して誕生してしまったので、後発は伊豆の国市としたわけだろうが、伊豆市と伊豆の国市が併存しているのも如何だろうかという気がする。

『老ハイデルベルヒ』の頃の三島駅(下土狩駅)も、今では駅前が再開発されて大型商業施設等も出店している。
しかし、1932年頃は、駅が田畑の中に真中にあったという記述の通りだっただろう。
現在の三島駅は、東海道新幹線、東海道線、伊豆箱根鉄道の3路線が通っている。
Photo_2 伊豆半島への入口であると同時に、東京への通勤・通学圏という性格も持っている。
三島駅舎は、緩やかな曲線を描く、美しい切妻タイプの大屋根が特徴的。
神保忠良により設計されたこの駅舎は、富士山と三嶋大社の社の姿がデザインに採り入れられているという。
名駅舎コレクションというサイトに取り上げられている。
http://www.toretabi.jp/facilities/vol04/01.html

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