太宰治と三島・沼津
太宰治は、1909年6月19日、青森県北津軽郡金木村に生まれた。
つまり、今年の6月19日は、生誕100年にあたるわけで、ゆかりのある各地でさまざまなイベントが行われ、太宰ブームらしい。
太宰が山崎富栄と玉川上水で入水心中したのは、1948年6月13日のことだったが、遺体が発見されたのが奇しくも6月19日だった。
太宰を偲ぶ「桜桃忌」は死の翌年に第1回が行われ、今年は61回目になる。
もちろん、一部にはよく知られていることであるが、太宰は三島や沼津と縁の深い作家だった。
三島市内を流れる桜川という川があり、その川沿いに、三島にゆかりのある文学者の作品を碑にした「水辺の文学碑」というものがある。
三島市が、「水と緑と人が輝く夢あるまち・三島」を標榜していて、「グラウンドワーク三島」というNPO法人を中心とする市民グループの活動が、フジサンケイグループ主催の「地球環境大賞」の「環境地域貢献賞」を受賞したことについては既に触れた。
09年4月24日の項:水の都・三島と地球環境大賞
「水辺の文学碑」も、水と緑の活動の一環だろうが、その1つに、太宰の文学碑がある。 『老(アルト)ハイデルベルヒ』という作品の一節である。
確かに、この碑に記されているように、昔は街の中を水量豊かな水が流れていた。
富士山の地下水が、溶岩の下を伏流して三島で湧き出ているのである。
上流域での水の利用量が増えたこと等によって、湧出量が減ってしまったが、それでも昔の面影は残っている。
『老ハイデルベルヒ』の書き出し部分から引用する。
八年前のことでありました。当時、私は極めて懈惰な帝国大学生でありました。一夏を、東海道三島の宿で過したことがあります。
…
私は、三島に行って小説を書こうと思って居たのでした。三島には高部佐吉さんという、私より二つ年下の青年が酒屋を開いて居たのです。佐吉さんの兄さんは沼津で大きい造酒屋を営み、佐吉は其の家の末っ子で、私とふとした事から知合いになり、私も同様に末弟であるし、また同様に早くから父に死なれている身の上なので、佐吉さんとは、何かと話が合うのでした。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/238_20005.html
高部佐吉は、坂部武郎という実在の人物をモデルにしているとされる。
三島に滞在中、太宰は、この坂部武郎酒店に居候していた。
武郎に妹がいたので、遠慮して夜は近くの松根印刷所の2階に泊まるようにしていたらしい。
坂部酒店は既にないが、松根印刷所は、現在も昔のたたずまいを感じさせる姿で残っている。
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