天皇の金塊(5)…「金の百合」と国際金融相関図
どうも関心があちこちに移ってまとまりがないが、6月4日の項の続きである。
高橋五郎『天皇の金塊』学習研究社(0805)によれば、旧日本軍がフィリピン山中に隠した財宝を探り当てたロジャー・ロハスは、マルコス元大統領に、その財宝を奪われてしまう。
フィリピンの宗主国はスペインだったが、高橋氏の義父を自称するベラスコは、カトリックとスペイン語が支配する諸国を動き回った第二次大戦時のスパイだった。
マルコス元大統領に財宝を奪われたロハスは、1970年代末から80年代初頭にかけて、復活の日を待ち続けたが、その頃高橋氏は、マドリードのベラスコのアパートに入り浸っていた。
ベラスコは、日本が真珠湾を攻撃した2週間後から、日本政府の要請でスパイ活動に臨んだナチスの諜報機関員だった。
高橋氏が入り浸っていたマドリードのベラスコの家には、南米に逃亡したナチス・ドイツの高官のマルティン・ボルマンとアドルフ・アイヒマンが潜伏していた。
南米はベラスコのホーム・グラウンドだった。
カトリック教徒がスペイン語で暮らすアルゼンチンは、ベラスコが幅を利かした国で、ナチス亡命者が競って逃亡先に選んだ。
ボルマンとアイヒマンも、そのアルゼンチン・チャンネルで逃避したのだ。
アルゼンチンのファシスト独裁者ファン・ドミンゴ・ペロンは、ムッソリーニ崇拝者で、ベラスコのスパイ網に所属した1人だった。
ペロンは、ドイツの敗戦直前の1945年3月27日に連合国側に寝返った。
ベラスコがペロンに渡した秘密工作資金は、ナチスと日本政府が出所だった。
アルゼンチンは、ナチスが略奪した金塊財宝類や美術骨董品類の集荷先だった。
元ナチス党員が、旅客機、貨物船、潜水艦で運び込んだものである。
ベルリンから搬出した金塊財宝類をアルゼンチンで荷受管理したのがペロン夫妻だった。
ベラスコは、バチカンもホーム・グラウンドの1つだった。
上掲書によれば、バチカンとシチリア・マフィアは、正反対の行動を実践する組織だが、表裏一体の関係にある。
バチカンは、「物事には合法的に臨むべし、美徳を何よりも尊重すべし」を信念とし、シチリア・マフィアはその反対である。
表向きは、水と油であり、まじめで敬虔なカトリック信者にとっては、見たくも知りたくもないコインの裏面が、シチリア・マフィアだった。
社会にはダブル・スタンダードがある、というのがベラスコの説明である。
そのコインの表と裏を繋ぐのがマネーである。
イタリアの総統ムッソリーニの著書印税は、スイスのクレディスイス銀行のチューリッヒ支店に開設されたムッソリーニの個人口座に振り込まれている。
ヒトラーの印税も、スイスユニオン銀行のベルン支店に設けられたヒトラーの(代理人管理)の口座に支払われている。
昭和天皇は、真珠湾攻撃の直前に、バチカンの付属金融組合に4500万米ドルを寄贈して、終戦のための調停を依頼していた。
天皇の資金は、連合国が支配管理するスイスの銀行に振り込まれ、移動を繰り返していた。
つまり、資金の銀行移動は、戦争とは無関係だった。
地中に埋没されている「金の百合」も、銀行振り出しの小切手(預手)に換えて銀行実務の流通に乗れば、相当額の金額が流通する。
それが信用創造である。
上掲書には、国際金融の相関図が示されている。
何となく、高野孟『M資金-知られざる地下金融の世界』日本経済新聞社(8003)に示された「金融地下帝国」の関係図を思い出させる相関図である。
09年5月3日の項:金融地下帝国とM4の世界
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投資事業会社の名前は「JAM」という。
亀井によれば、この作品を書くための旅行は、彼の生涯の中でも最も思い出多い旅であった。
しかし、南部地方とは、江戸時代に南部氏の所領だった地域で、陸奥国に位置し、現在の青森県東部と岩手県中部・北部、秋田県の一部にまたがる地域だということである。
太宰と沼津の係わりはこれだけではなく、三津の安田屋旅館に滞在し、ここで代表作「斜陽」の1、2章を執筆した。
井伏と伊馬は、「これはすぐに公表せずに、十年もしたら公表すればいい」と助言したが、静子は幼子をかかえて生活に困り、昭和23年10月に、『斜陽日記』を出版する。
当初の予定では、大仏は紫香楽宮に作られ、すべてが完成した段階で、開眼供養が行われる予定だった。
最終段が鋳込まれるときには、本体は小高い山のなかに隠れていたことになる。この山を崩して大仏が姿をあらわしたとき、それは金色に輝いていたはずである。
盧舎那仏の完成までに、鋳造に2年、整形・補鋳に5年、メッキに5年、計12年以上の歳月を要した。
この彷徨にはどのような意味があったのだろうか?
これらの事業は莫大な出費を伴うものだったが、国家事業として実行された。
(地図は、
伊豆半島への入口であると同時に、東京への通勤・通学圏という性格も持っている。
『老(アルト)ハイデルベルヒ』という作品の一節である。
現在の温暖化ガスの排出量規制については、2012年まで有効な京都議定書が基本的な基準である。
中期目標は、長期目標への道標であると共に、ポスト京都議定書のフレームワークとしての意義を持つものであり、2020年頃をターゲットにするものである。
また特捜部は14日、証明書発行のための決裁文書を偽造した同容疑で逮捕していた元部下で障害保健福祉部企画課係長の上村勉容疑者(39)らも共犯容疑で再逮捕した。係長は「村木局長から証明書を早く発行するよう催促された」と供述しているといい、特捜部は局長を追及する。 
古墳時代初期の内でも比較的新しいものであり、箸墓に続いて造営された巨大な前方後円墳である。
橿考研によれば、丸太の本数は約150本で、被葬者を安置した石室の真上部分である。
20年前、北京では民主化運動が盛り上がりを見せ、天安門広場が群衆で埋め尽くされる事態となった。
写真は、
広場に入るにも、X線による厳重な手荷物チェックを受けた。
それだけ当局がナーバスになっているということだろう。

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