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2009年6月 5日 (金)

天安門の“AFTER TWENTY YEARS”

たまたま関係しているプロジェクトの用件で北京に行く機会を得た。
折角だからと、6月3日に、天安門広場や故宮(紫禁城)の見学に誘ってもらった。
20年前、北京では民主化運動が盛り上がりを見せ、天安門広場が群衆で埋め尽くされる事態となった。
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写真は、http://www.afpbb.com/article/politics/2608634/4224372 

その大群衆を軍が戦車で蹂躙し、無差別に発砲して多数の死傷者が出た。
6月3日の夜中から、4日の未明にかけてのことである。
その状況が世界に発信され、東西冷戦の終結に大きな役割を果たしたとされる。
つまり、東欧の民主化を求める国民に対して、中国のようにはできないという判断が勝ったということである。
中国では、未だこの事件に公然と触れることはタブーになっているようである。

 

20周年を迎える日、天安門広場には、ピストルを帯びた軍人(右側)、公安警察(左側)の他に、多数の私服の警備員(警官の後ろの黒い日傘の2人)が配置され、いかにも、ものものしい雰囲気だった。
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広場に入るにも、X線による厳重な手荷物チェックを受けた。
私のパスポートとメモ帳の入っただけのウェスト・ポーチも開けて中をチェックする。
通路でバッグを広げさせられている人などもいた。
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それだけ当局がナーバスになっているということだろう。
しかし、国民を信頼し切れない政府が長続きするとも思えない。

O・ヘンリーの『20年後(AFTER TWENTY YEARS)』の中のフレーズである。
20年ぶりに再会した親友のボブとジミー。
ライトに照らされた相手の顔を見て、ボブは、相手が鷲鼻(Roman)だったジミーではなく、獅子鼻(pug)の男であることに気づく。

“Twenty years is a long time, but not long enough to change a man's nose from a Roman to a pug.”

天安門事件に引きつけていえば、以下のようなアナロジーになるだろうか。

20年間という時間は、個人史にとっては長い時間である。
しかし、国の形を変えるためには十分な長さではなかった。

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