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2009年5月23日 (土)

実業の思想(2)鈴木正三と石田梅岩

三井高利は、実務の人だった。
三井高利の実務の理念的側面を示したのが、石田梅岩の石門心学であり、その先駆が江戸初期の鈴木正三だった。
鈴木正三は、以下のような人物である(Wikipedia/08年10月18日最終更新)。

鈴木 正三(すずき しょうさん、俗名の諱まさみつ、道号:石平老人、天正7年1月10日(1579年2月5日)-明暦元年6月25日(1655年7月28日))は、江戸時代初期の曹洞宗の僧侶・仮名草子作家で、元は徳川家に仕えた旗本である。法名に関しては、俗名の読み方を改めただけと言われているが、俗名は重三で正三は筆名であるなどの異説もある。
その武士時代から常に生死について考えてきた正三は、より在家の人々に近い立場で仏教を思索し、特定の宗派に拘らず、念仏などの教義も取り入れ、仁王・不動明王のような厳しく激しい精神で修行する「仁王不動禅」を推奨し、在家の人びとには『萬民徳用』を執筆して、「世法即仏法」を根拠とした「職分仏行説」と呼ばれる職業倫理を重視し、日々の職業生活の中での信仰実践を説いた。
また、正三は在家の教化のために、当時流行していた仮名草子を利用し、『因果物語』・『二人比丘尼』・『念仏草子』などを執筆して分かりやすく仏教を説き、井原西鶴らに影響を与えた。

鈴木正三は、仏教哲学に裏づけられた職業倫理を説いた。
江戸初期という時代において、商業利潤の正当性を論じ、商業の地位を評価した。
商業利潤が正当であるための要件として、以下をあげた。
①正直と共存共栄
②社会への貢献
③そのために目前の利益にとらわれず、長期的視点を重視すること

これらは、最近説かれることの多いCSR(企業の社会的責任)論とほとんど同じである。
正三の生きた時代は、商業について、モノを生産せず、造作もせず、ただ流通させるだけで利潤をあげる「賎業」という見方が強かった。
これに対し、正三は、あらゆる職業が世のためになっているのであるから、それ自身が仏行に等しく、職業に尊卑はない、と説いた。

正三は、世俗の職業に励むことが仏道に通ずる修行の道に適うものであるとし、出家をすすめず、在家を奨励した。
宗教を現世の職業倫理に転換した点において、マックス・ウェーバーの有名な。「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」と同じ発想であると、山崎和邦氏は、『詐欺師と虚業家の華麗な稼ぎ方 人はこうして騙される』中経出版(0511)において書いている。
そして、資本主義的禁欲とは、ある目的のためにあることを断念して、目的に向かってすべての整合性を図り、全力投入することである、としている。
それは「行う」ことに力点があるのであり、「断つ」ことに力点があるわけではない、ということである。

鈴木正三は、『万民徳用』という著書の中で、顧客との共存共栄、社会への貢献、長期的利益の重視という正しい道を踏まずに、「心悪しきときは賎業なり」と断じ、実業と虚業は業種や商品によって区別されるのではなく、「心悪しきとき」という条件の問題だとする。
山崎氏は、これを、実業に反するものを虚業とする、という考え方の最初の記述であろう、という。
鈴木正三は、時代のはるかに先を行っていたということになる。

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