虚業の類型(1)経営者による権限の乱用
山崎和邦『詐欺師と虚業家の華麗な稼ぎ方 人はこうして騙される』中経出版(0511)に、「虚業」の類型が示されている。
第一は、経営者による権限の乱用である。
ガルブレイスの『権力の解剖』には、権力獲得の過程を、次のように整理している。
①個人的資質による
②財力による
③組織掌握による
そして、組織掌握による権力が、最終・最後のものである、という。
この組織掌握による権力者としての経営者が、私腹を肥やすために会社制度を操作する場合には、まともな企業も虚業化してしまう。
経営者への行き過ぎた権力集中と株主支配の後退が、経営者の恣意的な権力の行使を生み出す、という観点から、最近は、コーポレート・ガバナンスということが言われている。
権力の集中による恣意的な行動を防ぐためには、どうすべきか?
商法では、三権分立の考え方が基礎になっていた。
つまり、立法=株主総会、司法=監査役制度、行政=取締役会、という役割分担である。
しかし、現実はどうか?
一般に、監査役の選任は、社長によって行われる。
自分を選任した社長に対して、厳格な監査を行えるだろうか?
監査役の選出は株主総会で行われるが、その議長は社長が務めるのが普通である。
つまり、商法の建前と現実との間には、乖離がある。
この乖離をどう解消していくのか?
2006年5月から、会社法が施行されて、上記の問題の解消を図る動きとなっているが、現実はどうだろうか?
大会社に関しては、それなりに実効性があるのだろうが、中小零細企業に関しては、旧態依然のところが多いのではないかという気がする。
権力の乱用というほど大げさなことではなくても、経営者が公私混同しているような事例はザラにある。
私的な飲食費や旅行費用などを、会社の経費として処理するようなことである。
まあ、それがせめても役得というものなのかも知れないが……。
権力は腐敗する、ということがよく言われる。
山崎氏も、権力者はある一定期間を過ぎると、程度の差こそあれ、腐敗する、と指摘している。
最初は小出しにしていたものが、次第に常態化し、次第にエスカレートしていくのである。
権力者というのはそういうもので、説明能力も次第に身に付いていくことになるから始末が悪い。
私が身近に見聞する例でも、残念ながら同じようなことがある。
零細企業では、特に社長の権力は相対的に大きい。
不正が行われていても、見て見ぬフリをすることなどは当たり前である。
職を賭して諫言する勇気など、殆どあり得ないことと言えよう。
それでは具体的には、権力が腐敗する期間のメドはどの程度か?
山崎氏は、その人の資質や教養、少年時代の育ち方などによって異なるが、たいていの場合、任期が6年を超えると怪しくなるとしている。
その辺りを1つの目安として、出処進退を考えたらいいのではなかろうか。
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