情報革命における不易と流行
松尾芭蕉の俳論の概念の1つに、「不易流行」という言葉がある。
以下のように説明されている。
「不易」は永遠に変わらない、伝統や芸術の精神。「流行」は新しみを求めて時代とともに変化するもの。相反するようにみえる流行と不易も、ともに風雅に根ざす根源は実は同じであるとする考え。
http://www.sanabo.com/words/archives/2000/08/post_403.html
この言葉の含意を深く追究していけば、かなり難しい議論になるのだろうけれど、時代と共に変化する要素と変化しない要素というように考えていいだろう。
現象と本質、表層と深層などという言葉も類似した意味だと思う。
「情報」というものが言語と密接に関係しており、言語の獲得こそが、人類と他の動物とを分ける最も基本的な要素だとすれば、「情報」をどう扱い、「情報」を扱う道具や装置をどう工夫してきたかが、人類史を根底で規定する要因だったということができるだろう。
そこには、時代と共に移り変わる流行の側面と、時代を超えて普遍的な不易の側面とがあるのではないだろうか。
20世紀から21世紀への変わり目の頃、インターネットの大衆的な普及に関連して、「IT革命」という言葉が喧伝された。
代表的な論議として、平成12年(2000年)11月、有識者からなるIT戦略会議が「IT基本戦略」を取りまとめことがあげられる。
「IT基本戦略」に基づいて、平成13(2001)年11月には、IT国家戦略として「e-Japan戦略」が策定され、日本は「5年以内(平成17年まで)に世界最先端のIT国家となることを目指す」とされた。
何だか遠い過去のような気もするし、only yesterdayという気もする。
その頃、「IT革命」という言葉と並行して、IT企業と称される会社が、東証マザーズなどの新興株式市場でもてはやされる現象が起きた。
新たに上場したIT企業の株価は、将来への期待値を含め、実力以上に高く評価された。
IT企業は、、それを武器に、M&A、株式交換などの「流行」の手法を用いて、さらに成長を志向した。
その代表格がライブドアである。今ではITバブルと総括され、一時の徒花とみなされている。
確かに、ITバブルは、株式市場における「流行」現象の1つだっただろう。
しかし、長期的な情報との係わりの歴史からすると、どう捉えられるだろうか?
2005年11月11日に多くの人に惜しまれつつ亡くなったP.F.ドラッカーは、「IT革命」について、次のように言っている(上田惇生訳『明日を支配するもの-21世紀のマネジメント革命』ダイヤモンド社(9903))。
IT(情報技術)の急速な発展は、人類史上4度目の情報革命である。
1度目は、メソポタミアで5000~6000年前に起こった文字の発明による変革。
2度目は、中国で紀元前1300年頃に起こった書物の発明による変革。
3度目は、西暦1450年から1455年にかけてのグーテンベルグによる活版印刷の発明とそれを時を同じくして発明された彫版による変革。
コンピュータがもたらしている社会的インパクトに対するドラッカーの見方は、以下のようなものである(上掲書)。
約半世紀前にコンピュータが登場したとき、多くの人は、その主要な市場を科学技術計算であると考えた。
企業経営に大きな影響を及ぼすことになると考えた人は、ごくわずかであった。
そのごくわすかの人の1人が、ドラッカーその人だった。
コンピュータの発明が、弾道の計算を実行するために行われたものであるから、科学技術計算が中心になると考えるのは、当然ともいえる。
そもそも、computeという語は、計算するという意味だし、日本語の電子計算機も、コンピュータを計算する機械であるという認識の表現といえるだろう。
しかし、私を含めて、一般的なパソコンユーザーが、パソコンを計算に利用するウェイトはどの程度のものか?
おそらくは、メールを含めた文書の作成や、インターネットを用いた情報の検索などの利用が圧倒的に多いだろう。
企業経営に大きな影響を及ぼすと考えた人の多くも、その影響を及ぼす分野について、想定を誤ったとドラッカーはいう。
企業経営において、経営戦略や意思決定、言い換えれば経営者の仕事を一新することになるだろうと予測した人が多かった。
しかし、現実には、現在の情報技術は、そのように用いられていない。
経営者の仕事を一新すると考えた例の代表が、MIS論議だろう。
1960年代の終わり頃から1970年代の初めにかけて、未来学ブームと軌を一にして、MIS(Management Information System:経営情報システム)によって、経営のあり方が大きく変わるであろうことが論じられた。
しかし、現実はどうか?
経営者に提供されるのは、データに過ぎず、新しい問題意識や新しい経営戦略を提供しているわけではない。
それは、経営者が必要とする情報が、現在の経営管理のしくみに組み込まれていないからである。
経営管理のしくみの中心に位置しているのは、会計情報である。
それは基本的には、コストに関する情報である。
しかし、ドラッカーは、事業を成功させるのは、コストの管理ではなく、価値の創造である、という。
旧来の会計システムに基づく企業のコンピュータシステムは、現場の仕事には大きな影響を与えてきた。
しかし、経営者の仕事にはほとんど影響をもたらしていない。
新しい情報革命に求められるのは、情報のコンセプトにかかわる革命である。
従来、「IT革命」において、ITのT(technology)が中心的な関心事だったが、真に重要なことは、ITのI(information)である。
「T」における流行現象に目を奪われるよりも、「I」における不易の要素を探究することが課題と言えるのではなかろうか。
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