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2009年4月10日 (金)

「情報産業論」の先駆性

梅棹忠夫さんが、、『放送朝日』に、「放送人の誕生と成長」(09年4月7日の項)に続いて発表したのが、有名な「情報産業論」である(『梅棹忠夫著作集(第14巻)』中央公論社(9108)所収)。
上掲書の「解説」によれば、執筆が昭和37(1962)年晩秋、『放送朝日』への掲載が、昭和38(1963)年の1月号である。
その後、若干手を入れて、『中央公論』の同年3月号に転載された。
上掲書に収録されているのは、『中央公論』版が底本になっている。

「情報産業論」については、同趣旨の「精神産業時代への予察」が、『朝日新聞』の昭和38(1963)年1月1日に掲載され、さらに上掲書に、「情報産業論への補論」が収録されている。
この補論は、『朝日放送』への発表から二十数年後に、著者が論じたりなかったと思う部分を、具体的に論じた一種の注釈である。

「情報産業論」の論旨は、著者自身の要約(『メディアとしての博物館』(8711))によれば以下の通りである。

人類史において,文明の初期には,まず農業の時代があり,そこでは,食糧の生産が産業の主流をしめた。やがて工業の時代がおとずれ,物質とエネルギーの生産が産業の主流をしめるようになった。つぎに産業の主流をしめるようになるのが,情報産業である。経済的にも,情報の価値が,経済のもっともおおきい部分をしめるようになるであろう。

このような考え方は、現在では当たり前のように感じられる。
しかし、梅棹さんが「放送朝日」あるいは「中央公論」に掲載した昭和38(1963)年当時は、必ずしもそうではなかった。
梅棹忠夫著作集(第14巻)』に、「四半世紀のながれのなかで」と題する論文が収録されている。
「情報産業論」をめぐって書かれた紹介、批評、言及のたぐいの中から、梅棹さんがピックアップして紹介したものである。
その中に、「発表直後の反応」と題する項がある。

『放送朝日』のシリーズ「情報産業論」の展開のために」では、ほとんど毎号、わたしの論文「情報産業論」は話題になり、引用されている。
しかし、論文がすぐに『中央公論』に転載されたにもかかわらず、「情報産業論」は発表以来、かならずしもおおきな反響をよんだとはいいがたい。
その後、情報論ないしは情報化社会論はたいへんさかんになり、おびただしい論文が発表されている。そのうちのかなりのものに、わたしの「情報産業論」は、引用ないし紹介はされている。しかし、いずれもわたしの論文の部分的な批評あるいは紹介であって、全面的な論評や、反論のたぐいはほとんどあらわれなかった。

「情報産業論」という論文の意義を、的確に評価したものとして梅棹さん自身が紹介しているのが、白根禮吉『日本型情報化社会-未来シナリオを語る』財団法人電気通信協会(8607)である。

この論文(「情報産業論」)で基本的にいっておられることは、、その後のヨーロッパ、アメリカのさあざまな分野の著名な学者の未来論おほとんど変わりません。例えば、ダニエル・ベルの「脱工業化社会」(Post Industrial Society)という有名な未来論、あるいはイギリスのデニス・ガボール(ホログラフィーの発明でノーベル物理学賞を受賞)の「Matured Society」という未来論も大変有名です。更にごく最近のものでは、アルビン・トフラーが「第三の波」(The Third Wave)という未来論を発表して、日本でもたくさんの方が影響を受けていると思います。ですからこれらの未来論の基本的な考え方は、今から二十年前に梅棹先生が鋭く喝破されておられたわけです。先生は情報産業論おいう名前をつけておられますけれども、先生の専門からいって中味は明らかに情報化社会論、あるいは情報文明論といった内容であり、産業論という名前はややふさわしくないかもしれません。いずれにしても、この論文が私は世界で初めて、いわゆる今日いうところの情報化社会というものをきわめてはっきりと世界に先駆けて予測された論文だったと思います。つまり情報化社会という考え方は日本生まれの考え方であると、はっきり言えると思います。

「情報産業論」が初めて世に出たときには、先駆的過ぎて、世の中の方に受け入れる条件が整っていなかったということであろう。
その後、社会は梅棹さんの予見に沿う形で発展してきている。
いまや、「情報化社会」という言葉は、いささか手あかにまみれているような気もするくらいである。

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