「情報」の「情」的側面と「報」的側面
「情報」には、判断の材料として用いられるもの以外に、特に判断と結びつかないものもある。
例えば、ベストセラーの書物やヒット曲なども情報の一種であることは間違いない。
判断の材料としての情報は、他人が持っていないものを持つことが優位であるが、ベストセラーの書物やヒット曲などは、大勢の人が共有する情報である。
これらの情報は、判断の材料としての情報が、一般に保有する人が少ないほうが価値が高い(その極限は自分だけが知っている)のに対し、それとは逆に、保有する人が多い方が価値が高いとみることができる。
社会学者の高田公理さんは、この2種の情報を、「メッセージ型情報」と「マッサージ型情報」と呼んでいる。
「メッセージ型情報」は、「文明の装置・制度系に作用してその効率と機能を高める情報」である。
たとえば、コンピュータを導入して生産性を向上させたり、事務処理効率を上げたりする場合が典型である。
明確な意味を持ち、産業や社会の効率化の役に立つ。
これに対し、「マッサージ型情報」は、「人間の心とからだに働きかけ、快や不快をもたらす情報」である。
音楽や絵画や映画、ファッションや飲食物など、明確な意味は持たないながらも人びとを楽しませ、喜ばせ、珍しがらせ、そして面白がらせ、人間の心身にマッサージのような役割を果たす。
この情報の持つ2つの性格は、「情報」という言葉とうまく結びついている。
「情報」を「情」+「報」に分解して考えてみよう。
「情」という文字は、“事情”や“実情”などの語に用いられる。
これらの言葉は、ある事柄を周囲の状況や個人の主観を加味しながら伝達するときに用いられる。
これに対し、「報」は、“報道”や“報告”などの語に用いられる。
これらの言葉は、ある事柄を正確に客観として伝達する場合を表現するときに用いられる。
前者の場合は、曖昧さが許容されるが、後者の場合には曖昧さがない方が価値がある。
このように考えれば、「情」は、「マッサージ型情報」としての側面を示し、「報」は、「メッセージ型情報」の側面を示していると言えよう。
「情」あるいは「マッサージ型情報」は、それ自身が目的となるのに対し、「報」あるいは「メッセージ型情報」は、何かの目的のために使用される手段として位置づけることができる。
しかし、ある情報が、必ずどちらかに区分されるというわけではない。
例えば、ヒット曲を快く聴けばマッサージ型情報であるが、そこから大衆心理の動向を読み取るとすれば、メッセージ型情報である。
あるいは、ある書物が、Aさんにとっては娯楽の対象であるかも知れないし、Bさんにとっては学習の材料であるかも知れない。
あるいは、携帯メールなど絵文字が用いられている。
文字の一部を1文字で表現する絵(例えば自動車や電車などのアイコン、フォント)に割当て、表示できるようにしたものである。
自動車のアイコンが表示されれば、直ぐに自動車についての情報だということが了解できる。
同時に、文字だけだと硬い印象が和らぐという効果もあるだろう。
つまり、絵文字は、メッセージとマッサージの両方の機能を兼ねていると考えられる。
電話などの使い方についても、この両側面があるだろう。
例えば、私などは、用件を連絡するだけである。
つまり、「報」的であり、メッセージ型である。
妻や娘からは、愛想がない、と批判される。
これに対し、妻や娘などの電話はどうだろうか。
ほとんど意味のないことをダラダラしゃべっている。
不経済だと思うが、それは「情」的なものであり、マッサージ型情報ということになるのだろう。
梅棹忠夫さんが、放送という事業が、速報性において新聞に勝るものの、むしろ娯楽番組、教養番組などが圧倒的な分量を占めざるを得ない、と書いたのは、放送において、メッセージ性よりもマッサージ性が占めるウェイトが高いだろうということを指している(09年4月7日の項)。
現在のテレビ番組を見ていると、肯かざるを得ないだろう。
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