東京湾金塊引揚げ事件をめぐる怪死者
GHQによる占領時代、東京湾の月島の近く、越中島で海底から引揚げられた金塊類は、アメリカに持ち去られた(09年1月17日の項)。
安田雅企『追跡・M資金―東京湾金塊引揚げ事件』三一書房(9507)によれば、この金塊類は、後藤幸正らの紹介・案内によるもので、1946年4月6日、GHQの調査担当将校ニールセン中尉などによって、引揚げられた
(1月16日の項)。
金塊類引揚げのニュースは、4月19日(金)の朝刊で報じられている。
引揚げから13日間もかかったのは、その間に、日米両政府や米軍などで、所有権等の問題について話し合いが行われていたためと推測される。
上掲書には、この金塊類に関係した少なからぬ人間が、不審な死を遂げていることが記されている。
後藤が月島に金塊類が沈められていることを知ったのは、宅見秀峰という鍼灸師からの情報によるものだった。
宅見の鍼灸の腕がよく、宅見の治療室は、エリート指導層、支配階級のサロンとして機能していた。
そこでの利権話の1つとして、金塊類のことが話題になった。
金塊類を実際に沈めたのは、旧日本軍の下級兵士30人ほどで、表に出てきたのは伊山定吉二等兵だけだった。
伊山はもともと大工だったが、終戦直後は木材やセメント等の資材もなく、注文もなかったので、失業状態となり、やむなく日本鋼管製鋼部に就職した。
そこで、溶鉱炉に勤務していた下村勘太と知り合い、下村に越中島で金塊類を沈めた話をした。
下村は、いわゆる遊び人だったが、この話を兄貴分の三上才次という男に報告した。
三上は酒と不節制がたたって、しばらくして死亡するが、体調不良の時に、宅見鍼灸師のところで治療を受けていた。
その際に、金塊類のことを宅見に漏らしたのだった。
下村が伊山に埋没箇所の地図を描かせると、三上が下村を説き伏せてその地図を入手し、宅見に5万円で売りつけた。
当時の物価は、米1升が53銭で、4~5人の家族が月額200~300円で暮らせた。
安田雅企氏は、上掲書において、今(1995年)の5千万円を超える金額と換算している。
後藤邸には、日夜高級将校が、美酒、肴、利権話を求めて集まっていた。
後藤は、戦闘用品だけでなく、食料や軍服も納入していたが、宅見から聞いた話を信憑性のあるものとして捉え、大金を投じると共に、最初の引揚げの際の潜水夫の日当、船頭やランチの借用代などを支払っていた。
政府も軍部も、東京湾から引揚げられた金塊類の存在を否定していたので、実際にカネを出した後藤に所有権が移るかと思われたが、下村勘太が、自分が伊山から聞いたのだから自分に権利がある、と言い出した。
宅見が三上に渡した5万円の大半を三上が独り占めしたことから、仲間割れが始まった。
後藤がニールセン中尉と会う時に、通訳をしたのが、榎三郎という小さな商事会社の経営者だった。
後藤は、カネが入ったら、日本縦貫道路を建設するという構想を持っていた。
物流に資することは当然だが、失業者が減ることによって、左翼勢力の退潮を期待したのだった。
ニールセン中尉に紹介した後藤幸正は、縁側で急死した。
後藤と同居していた娘のカズ子は、安田氏に次のように語っている。
榎さんは愛宕山にあったアメリカの検事局で厳しい尋問にあい、中野刑務所にも連れて行かれ拷問されました。父が怯えていたのは本当で、伊山定吉も中野刑務所でCIAだかの機関員に殴られて傷だらけで、ほかにも何人も脅かされたり拷問されたり、変死者もいるんです。いりいろあって首吊った人もいます。
父はもう年ですし、来るなら来い、受けてやると強気でしたけど、アメリカ兵が訪ねてきた時は注意してました。タバコやチョコレートを勧められても断っていましたね。
突然口から血を吐いて死んだのは事実です。アメリカの秘密機関員に毒を盛られたのではないかと、榎さんなんて葬式に駆けつけた時まっ青になっていましたけど、どうですかね。
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