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2009年4月 9日 (木)

差異の認識としての情報

交通信号は、「情報」の一種と言っていいだろう。
青ならば進め、赤ならば止まれ、である。
つまり、交通信号の色は、私たちに判断の根拠を与える情報である。
この場合、赤と青の区別がつくことが重要である。
赤と青が識別できなければ、交通信号は情報として機能しない。
つまり、赤と青の差異を認識することが情報であることの要件である。

しかし、赤と青ならば識別できても、例えば、サルの顔を見て、このサルはAでBではない、と識別できるだろうか?
少なくとも私には、サルはサルの顔であって、サルの個体識別は難しい。
しかし、京都大学の今西錦司博士をリーダーとする霊長類研究グループは、サルの個体識別をして、その社会構造や行動様式を研究した。
もちろん、私も、サルの研究のフィールドで一定期間過ごせば、サルの個体識別をできるようになるだろう。
差異を認識できるかどうかは、関心の大きさと馴染みの程度によるものと考えられる。

複数のものが、「同じ」ものであるか「違う」ものであるかは、必ずしも一義的には決まらない。
ある文書のコピーは、オリジナルの文書と「同じ」ものであるか、「違う」ものであるか?
物質として見れば、2枚の紙は別のものということができる。
しかし、そこに書かれている内容は、同じものである。

私のキーホルダーを見てみよう。
いくつかのキーが束になっている。
クルマのキー、自宅の玄関のキー、会社のキー、子どもの家のキー等である。
これらを私は“同じ”キーとして認識しているから、キーホルダーに束にしている。
しかし、私は、それらのキーがそれぞれ異なるものであることを知っていて、使い分けている。
つまり、クルマのキーで家の玄関は開けられないことを知っている。

つまり、キーホルダーに束ねるということは、個々のキーが、キーであってキー以外のもの(非キー)ではないという認識に基づいている。
キーという「同じものとしてまとめる」ことは、キー以外のものとは異なるものとして、その他のものと区別している、ということになる。
森羅万象の中で、キーという区分に相当するものだけを取り出して、キーホルダーに束ねているわけである。

差異を認識する上で重要なのは、言葉の働きである。
あるいは、言葉があるから差異を認識できる、とも言える。
だから、ボキャブラリーの多寡は、認識力に影響する。
例えば、私たちは、「7色の虹」というふうに言う。
虹は、空中の水滴に光が透過するときに屈折し、その屈折率が波長によって違うため、プリズムのような効果が生まれ、それが水滴の反対側で反射して、分光して見える。

私たちには、虹は、「赤・橙・黄・緑・青・藍・紫」の7色の帯に見える。
しかし、実際に、この7色に分かれているかといえば、そうではない。
光の波長は連続的に変化しているのであって(アナログ的)、デジタルに離散しているわけではない。
7色と認識するのは、赤~紫の言葉を知っているからである。

もしもっと細分して認識しようと思えば、区分できるはずである。
例えば、黄色と緑色の中間に、黄緑色を認識することは比較的容易だろう。
空中の虹については余り細かく区分できないだろうけれど、色見本をみれば、例えば黄色と黄緑色の間に黄黄緑色を、黄色と黄黄緑色の間に、黄黄黄緑色を認識することができるだろう。

色の名前は実に微妙な差異を表現している。
植物にちなんだ色として、柳葉色、松葉色、青竹色、木賊色などがあるが、私たちには識別が難しい。
しかし、染色家などは、これらの色を識別しているということである。
言葉と差異の認識(分節化)とは、一体的である。

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