ロッキード事件の幻影?
産経新聞特集部編『検察の疲労』角川書店(0006)に、「ロッキード事件の幻影」という章がある。
どういうことか?
上掲書執筆の時点で、既にロッキード事件から20年以上経過しているが、まだロッキード事件が検察に影響を与えており、その中には幻影に踊らされている部分がある、と検察幹部が語っていることが紹介されている。
幻影とは、例えば、「特捜部にある奇妙な気負い」である。
特捜検事の頭にはロッキード事件が常にあって、夢をもう一度と、ロッキード事件のような大型の疑獄事件を摘発しなければ、という幻影に脅かされたような過剰な使命感があるという。
そして、その過剰な使命感は、摘発の対象は、何が何でも大物政治家、マスコミに登場する有名政治家でなければならない、という方向に向かう。
上掲書には以下のように表現されている。
その結果どうなるか。
うまく狙いと捜査がかみ合えばいいが、過剰な幻影が現実との間にギャップを生むと、これに気づかないまま無理に捜査を押し通してしまうことになる。
例えば、ターゲットの大物政治家の容疑が、実際の捜査ではなかなか固まらないとする。
そこで勇気をもって撤退する、あるいは方向転換すればいいのに、「幻影」を追い求めてそのまま突っ走ってしまう。
それが強引な取り調べや違法を承知の捜索、調書の作成となって現れ、やがて公判で「無罪」となる。
ロッキード事件の幻影は、今も生きているのだろうか?
政権交代必至という状況の中での野党第一党の党首は、「マスコミに登場する有名政治家」の条件を満たすに十分であろう。
西松建設献金問題が、ロッキード事件の幻影の結果のように感じるのは、思い過ごしだろうか?
上掲書には、次のような記述もある。
また、マスコミ操縦術も巧みに駆使されるようになった。ロッキード事件を引き金に新聞、テレビ、週刊誌などの各メディアは、積極的に検察取材を展開するようになった。ロッキード事件以降、検察の動向が政界、財界に大きな影響力を与えるようになったためだが、スクープ競争のなかで、捜査情報の入手ばかりに目を奪われていくうちに、検察に対するチェック機能を失った。
そうしたマスコミ側の事情を知ってか、「検察側も捜査ネタを巧みにあやつり、マスコミを抱きかかえるようになった」(特捜部検事)という。検察幹部は「マスコミとの関係を良好にしておけば、不可侵な組織として際限なく権限を振るうことができるからだ」と明かす。
マスコミが大本営発表をそのまま垂れ流す状況下では、批判的な雰囲気は生まれにくい。
大日本帝国陸海軍が、不可侵な組織として際限なく権限を振るった歴史がある。
メディアの影響力は、情報技術の発展の結果として、きわめて大きなものになっている。
西松建設献金問題に関する検察とマスコミの関係については、既に何回か疑問を呈してきた。
マスコミを批判的に理解するカルチャーが生まれてくる可能性はあるのだろうか?
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