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2009年4月19日 (日)

東京湾から引揚げた金塊と詐欺事件

M資金の原資になったとされる秘密資金は多々あった。
しかし、その多くは、存否が曖昧である。
その中で、日本の旧軍が、降伏直前に東京湾の越中島海底に隠匿していた金塊類は、現物が確認されているものである(09年1月16日の項)。
この金塊類については、その種類と量について、当初の関係者の発言と後になって政府等の答弁とが食い違うなどの疑問が残されているが、大量の貴金属類が引揚げられたことは間違いない。

この金塊類は、水谷明などにより熱心な返還運動が続けられたが、結局は返還されずじまいに終わった(09年1月16日の項2月10日の項2月15日の項2月23日の項2月24日の項)。
その過程で、運動資金が不足し、その資金確保のために、投資希望者に対する説得資料が作られた。
その資料が複写されて、詐欺師などに渡ることは不可避だった。
安田雅企『追跡・M資金―東京湾金塊引揚げ事件』三一書房(9507)には、次のような事例が紹介されている。

自称木曽の山林地主の掛巣という四十代の男が、返還同志会とそっくりの規約を作り、多くの人からカネを詐取したのだ。掛巣は出資金を集めるため、粗末なジャンパー、ヒザの出たズボンを売り物に東京のクラブ、料亭を舞台に精力的に会員を募り歩いた。衣服はボロでも時計、ライターは高価なものを持っているちうアンバランスを、売りものにしてだ。無教養を装っていたが、演技力には長けていたのだ。
……
自民党から次の参院選挙に出馬するとかゴルフ場、ホテル業に乗り出すと公言していたが、人目を引いたのが金遣いの荒さだった。半信半疑で寄って来る欲ボケに一件書類を見せて出資させ、長野県を中心に似百人以上の人たちから計十五億円を集め、長野県警に逮捕された。
材料は水谷が巨額のカネを使って集めた資料だった。まず掛巣は相手に世耕弘一が国会で池田勇人蔵相や大蔵省の伊原理財局長に質問した議事録を見せた。不審に思った者が国会図書館で調べたり知り合いの代議士にコピーしてもらって確かめると、本物だった。
……
掛巣が持っていた資料は、
①金塊引揚げ作業を現場で指揮したE.V.ニールセン中尉の手記と誓約書
②同作業にかかわった伊山定吉、下村勘太、後藤幸正、三上才次、榎三郎らの証言、及び彼らが水谷明に差し出した取得報奨金配分に関する委任状。水谷があとからかかわったのに正当な取得権利者となったことを証明する文書一式
③引揚げを行った米海軍掃海中隊の引揚げ作業現場のスナップ写真
④日銀地下室でのGI立ち合いのもと、引揚げインゴットを分析している写真
⑤水谷がアイゼンハワーやケネディ大統領に出した手紙。幣原首相、田中角栄蔵相、楢橋渡内閣書記官長ら政府首脳に出した多数の陳情書や請求書のコピー
⑥アイゼンハワー大統領秘書官ロバート.L.シュリィから「書面は確かに受け取った」というホワイトハウスの便せんを使った正式な返事--などであった。
主だったものだけでもこれだけの書類があれば、田舎の山林地主や地方政治家などを引きずり込むのは容易だった。
「こんなに資料があったのでは、誰でも騙される」と取調官が感心したほどだった。

掛巣の言い分は次のようだった。
自分は水谷主催の返還同志会の会員で金も出しており、水谷と同様にアメリカから必ず返還されると確信して募集した。
だから、自分が詐欺犯ならば、水谷やその周辺にいる者も詐欺犯でなければおかしい。

全日空事件では3000億円、東急の常務が巻き込まれた事件では、2兆円の融資という話だった。
これらの事件の騙しの小道具は、掛巣の用意していたほど豊富なものではなかった。
水谷自身は、掛巣との関係について、記憶はないと語っている。
しかし、水谷の周辺には詐欺師やブローカーがゴロゴロ出入りしていたので、水谷と掛巣も何らかの関係があったのかも知れない。

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