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2009年3月24日 (火)

西松建設献金問題に関する検察の説明責任

西松建設献金問題で逮捕拘留されていた小沢民主党代表の公設秘書が起訴された。
秘書は、容疑を否認したままだという。
小野寺光一氏が3月24日発行のメルマガで書いているように、「「起訴」されたということは、一般大衆の中で「小沢事務所側は有罪」という心証が形成される」ことになるだろう。
政権交代という大きな政治的節目という状況の中で、検察の捜査はきわめて大きな政治的影響力を及ぼすことになる。
本件に関する検察捜査のあり方に関して鋭い問題提起をした(3月17日の項3月18日の項3月19日の項)郷原信郎氏が、続編を日経ビジネスオンライン3月24日号に寄稿している。

郷原氏は、現在の状況を次のように書いている。

総選挙を間近に控え、極めて重大な政治的影響が生じるこの時期に、まさか、逮捕事実のような比較的軽微な「形式犯」の事件だけで、次期総理の最有力候補とされていた野党第一党の党首の公設秘書を逮捕することはあり得ない、次に何か実質を伴った事件の着手を予定しているのだろうというのが、検察関係者の常識的な見方だった。
「逮捕事実のみで起訴」はほぼ確実
しかし、その後、新聞、テレビの「大本営発表」的な報道で伝えられる捜査状況からすると、他に実質的な事件の容疑が存在するとは思えない。態勢を増強して行われている捜査では、もっぱら東北地方の公共工事について調べているようだが、2005年の年末、大手ゼネコンの間で「談合訣別宣言」が行われて以降は、公共工事を巡る旧来の談合構造は解消されており、それ以降、ゼネコン間で談合が行われていることは考えにくい。それ以前の談合の事実は既に時効であることからすると、談合罪での摘発の可能性は限りなく小さい。
また、いわゆる「あっせん利得罪」は、「行政庁の処分に関し、請託を受けて、その権限に基づく影響力を行使して公務員にその職務上の行為をさせる」ことが要件であり、野党議員や秘書に関して成立することは極めて考えにくい。
このように考えると、少なくとも、現在、検察の捜査対象となっている大久保容疑者の容疑事実は逮捕事実の政治資金収支報告書の虚偽記載だけと考えるのが合理的であろう。

このような認識に基づいて、郷原氏は、今回の事件についての検察の説明責任について論じている。
郷原氏は、検察OBの堀田力氏の「検察に説明責任はない」という主張(朝日新聞3月20日掲載)を紹介している。
堀田氏はロッキード事件の検事として有名になり、その後TVなどにも出演することが多いので、影響力の大きなヤメ検といえよう。
堀田氏の論理は以下のようである。

政治資金規正法違反は、汚職と同様に、国民の望む政治の実現のために重要な役割を担う「規制」の違反だから、検察は必要に応じて逮捕を行い法廷で容疑の全容を明らかにするだけでよく、それ以外のことを説明する責任はない。

これに対し、郷原氏は、根本的に間違っていると批判している。
先ず、政治資金規正法違反を、汚職と同列に位置づけられるのが間違いである。
「汚職」は、「金銭等の授受によって公務員の職務をゆがめた」という評価を伴うものであり、汚職政治家を排除すべきであることについては、当初から国民のコンセンサスが得られている。
汚職政治家が多数いるのであれば、それを片っ端から摘発していくことが検察の使命と言い得るであろう。
そして、その摘発の是非を判断するのは裁判所である。

これに対して、政治資金規正法は、政治資金を「賄賂」のように、それ自体を「悪」として規制する法律ではない。
政治活動を、それがどのような政治資金によって行われているのかも含めて透明化して国民の監視と批判にさらし、それを主権者たる国民が判断する、という基本理念に基づく法律だ。
「規制」ではなく「規正」とされているのも、政治資金を透明化によって正しい方向に向けようとする考え方に基づいている。

郷原氏は、堀田氏の認識をこのように批判した上、政治資金規正法違反については、法律の内容についての指導・啓蒙、適法性についてのチェック、収支報告書の記載に誤りがあった場合の自主的な訂正、それに対するマスコミや国民の批判などの手段に委ねられるべきである、とする。
つまり、罰則の適用は、他の手段では法律の理念が達成できないような場合に限られるべきだ、という考え方である。

検察が説明責任を持たない、という考え方に関して、郷原氏は次のように言う。

政治資金規正法違反を贈収賄と同列にとらえ、政治資金規正法に違反して政治資金の透明性を害した行為があれば、検察は、いかなる行為を選択して摘発することも可能で、それについて説明責任を負わないという考え方は、同法の理念に反するばかりでなく、検察の権力を政治より圧倒的に優位に位置づけることになりかねない。健全な民主主義の基盤としての権力分立の仕組みをも否定するいわば「検主主義」の考え方と言うべきであろう。

検主主義の国家は、まさに暗黒国家だと言うべきであろう。

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