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2009年3月27日 (金)

ロッキード事件⑯…嘱託尋問調書の問題性

引き続き、木村喜助『田中角栄消された真実』弘文堂(0202)を中心として、嘱託尋問調書について考えてみよう。
東京地検の検事は、米国人であり米国に居住する被疑者のコーチャンやクラッターに対し、米国内で取り調べをすることができない。
そのために、東京地検は、東京地裁いコーチャンらの起訴前の証人尋問を請求し、東京地裁から嘱託して米国の裁判官に尋問してもらうという方法をとった。
しかし、わが国の刑事訴訟法には、外国の裁判所に嘱託して証人尋問をしてもらうという規定がない。
にも拘わらず、東京地裁は東京地検の請求を受けて、コーチャンらの証人尋問が実行された。

この嘱託尋問調書の問題の第一は、東京地検が、コーチャンらに刑事免責の約束をし、その代わりに黙秘権を行使させないという措置をとったことにある。
刑事免責とは、「起訴しない」という約束である。
例えば、麻薬の売人などに、「証言すれば処罰をしない」と裁判所が免責を与え、その代わりに黙秘権を取り上げ、主犯格の元締めなどを起訴し、有罪にする。

わが国の法制には、このような刑事免責の制度はない。
つまり、証人が供述を拒んだときに、刑事免責を与えて供述を強制することはできない。
最高裁判例では、検察官の不起訴(起訴猶予)の約束に基づく供述は、証拠能力がないとされている。
起訴猶予は、捜査終了後、罪が軽いとか、犯人が反省し弁償しているとか、訴追を必要としない情状がある時の検事の裁量権行使の規定で、米国における刑事免責とは質が異なる。

このような事情を承知していた米連邦地裁は、東京地検による不起訴の約束が、米法の刑事免責にあたるものであるかどうか、「深刻に懸念している」とした上で、日本の最高裁判所が明確な判断を下すまで、嘱託尋問調書を日本に伝達してはならない、と決定した。
最高裁はこれを受け、「本件各証人(コーチャン等)がその証言及びその結果入手されたあらゆる情報を理由として、公訴を提起されることはないことを宣明する」という宣明書を発行した。
こういう経緯を踏まえて、証人尋問が開始され、検察は嘱託尋問調書を入手できたのだった。

弁護側と検察側で、嘱託尋問調書の証拠能力に関して論争となった。
裁判所の判断は以下のようなものであった。

事件関係者のうち一部の者に対し、免責を付与して証言を強制することはわが国法制上これを予定した規定は見出し難いし、取引の観念、利益誘導等の見地から容認し難いと考える余地があり、従って現行法下、わが国の法廷で卒然として免責を与え証言させることは違法の疑いがある。しかし本件においては、これを処罰の断念とか、証言の取引ともいえない。(中略)証言調書をわが法制下で証拠として許容するにつき、障碍となるような不公平さや虚偽誘発状況はなく、違憲の疑いもない。

いささか分かりづらい文章であるが、要は、刑事免責という手法はわが国の法制の下では違法の疑いがあるが、本件に関しては違憲の疑いがない、ということである。
本件は、特別であるということになる。
法律の適用は、平等に普遍的になされるべきであることからすれば、異例の判断である。
最高裁が宣明書を出している事情を考慮すれば、下級審では尋問調書を斥けることはできなかったのではないか、というのが木村氏の見解である。

既に触れたように(09年3月15日の項)、平成7(1995)年2月22日、最高裁まで争われた「丸紅ルート」で、檜山広、榎本敏夫両被告の上告が棄却されたが、ここで嘱託尋問調書について、判断が覆った。
全裁判官一致で、刑訴法・憲法の趣旨に則り、刑事免責の約束をしたコーチャン等の嘱託尋問調書を、違法収集証拠と断定し、証拠能力がないからとして証拠排除(有罪の証拠としてはならない)としたのだった。

大野裁判官のが付した補足意見は次の通りである。

本件においては、証人尋問を嘱託した当初から被告人、弁護人の反対尋問の機会を一切否定する結果となることが予測されていたのであるから、そのような嘱託尋問手続によって得られた供述を事実認定の証拠とすることは、伝聞証拠禁止の例外規定に該当するか否か以前の問題であって、刑訴法一条の精神に反する。

ちなみに、刑訴法第1条は以下の通りである。

第1条 この法律は、刑事事件につき、公共の福祉の維持と個人の基本的人権の保障とを全うしつつ、事案の真相を明らかにし、刑罰法令を適正且つ迅速に適用実現することを目的とする。

冷静な判断が下されたものであるが、ロッキード事件の根本が、ロッキード社の不法献金でそれを根拠づけたのがコーチャンやクラッターの証言だったのだから、基本的な構図に問題があったと言わざるを得ない。
しかも、嘱託尋問調書が刑訴法の精神に反すると判断された時には、田中角栄は既に亡き人になっていたのである。

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