M資金と児玉誉士夫と全日空・ロッキード事件
立石勝規『闇に消えたダイヤモンド―自民党と財界の腐蝕をつくった「児玉資金の謎」』講談社+α文庫(0901)は、1945年8月14日、つまり敗戦の前日の午後、ある新聞社の小型飛行機が、上海から島根空港に飛び立った、というところから始まっている。
飛行機をチャーターしたのは児玉機関で、飛行機には、旧海軍航空本部から軍需物資の調達を頼まれた児玉誉士夫が、戦乱の中国大陸で集めたダイヤモンドなどが、大量に積まれていた。
ダイヤモンド類は、島根から東京の銀座に運ばれ、児玉機関が東京本部として使っていたビルの地下室に収蔵される。
児玉は、終戦直後、皇室に献上するためダイヤモンド類をトラックで皇居に運んだが、当時の宮内相・石渡荘太郎から、皇室が進駐軍に怒られて迷惑するだろうから、持ち帰るように言われる。
ダイヤ類は、当時海軍航空本部が置かれていた慶應義塾大学(日吉)の地下室に運ばれたが、GHQから海軍航空本部に所有物資の提出命令があり、ダイヤ類はGHQに押収された。
GHQは、旧軍部が各地に隠匿していた供出ダイヤなどの貴金属類を摘発し、日銀本店の地下の金庫に保管したが、児玉のダイヤ類も同じように日銀地下金庫に保管された。
これらが、「M資金」伝説の1つの根拠になっている。
児玉誉士夫は、ロッキード事件で有名である。
有名な「M資金」事件として、全日空事件がある。
ロッキード社の旅客機・トライスターの導入に反対していた大庭哲夫社長が、M資金融資詐欺にひっかかり、融資申込みの「念書」を書いたことによって失脚した。
WIKIPEDIAの「ロッキード事件」の項を見てみよう(09年1月23日最終更新)。
このような状況(注:ロッキード、ボーイング、マグドネル・ダグラスの激しい販売競争)下、全日空においても高度経済成長に伴う旅客数増加に対応すべく、札幌で冬季オリンピックが行われる1972年を目途に「次期大型旅客機」として大型ワイドボディ機の導入を考えており、1969年に日本航空から派遣され社長へ就任した大庭哲夫を中心に選定作業が進められていた。候補となった3機のうち、L-1011 トライスターは上記のように(注:エンジンの開発を担当していたロールスロイス社の破綻など)エンジンの開発が遅れたために納入が1974年頃になってしまうことから選択肢から外れた。また、ボーイング747SRは全日空の企業規模(当時)からすると大きすぎると判断され、最終的にマクドネル・ダグラスDC-10が候補に残り、1970年5月に三井物産(日本における販売代理店)を通じ、3機を仮発注した。 しかし同月、発注を推進していた大庭社長が「M資金関連の詐欺事件に巻き込まれた」という趣旨の怪文書を流された挙句、株主総会の直前に不可解な形で社長の座を追われることとなり、元運輸次官の若狭得治が大庭の後釜に就いた。
高野孟『M資金-知られざる地下金融の世界』日本経済新聞社(8003)は、全日空M資金詐欺事件について、次のように書いている。
大庭社長のところには、社長に就任して日も浅い1969年6月から、約4ヵ月の間に、4回にわたって融資話が持ちかけられた、とされる。
大庭の特命で窓口を担当していたのは、長谷村資だった。
長谷村は、国会で以下のように証言している。
当初は、昭和石油の社長室にいた堀井雅彦氏と成田空港公団総裁だった成田努氏から、アラブ産油国の資金がスイス等の銀行に預けてあり、その資金を貸し付けたいという話があった。
堀井、成田の紹介で、河野雄次郎という人物が現れ、大庭と長谷村は、500億円の融資申込書と念書を渡した。
全日空には、資金責任者などが次々に現れたが、大蔵省の青山銀行局長なる人物が、長谷村にニセ者であることを見破られる。
2回目は、元代議士で内閣委員長を務めた鈴木明良が来て、3000億円の融資の話を持ち込んだ。
鈴木は、大石武一、原田憲両代議士の紹介状を持ってきた。
大庭は、紹介状と「大蔵省特殊資金運用委員会委員」という鈴木の名刺を見て信用してしまい、社判と署名入りの融資申込書と念書を渡してしまう。
長谷村は、疑問を感じ、指定銀行とされている興銀の正宗頭取に面会し、アドバイスを求める。
正宗頭取は、ある製鉄会社(注:合併前の富士製鉄)の話をし、融資の申し込みがあったが資金が興銀に積まれなかった経緯があったと説明し、書類の回収をするように助言した。
この書類のコピーの一部が児玉誉士夫に渡り、1970年5月の株主総会で、大庭哲夫社長は失脚する。
児玉は、傘下の総会屋を使って「大庭社長がM資金関連の詐欺事件に巻き込まれた」という内容の怪文書を流し、マクドネル・ダグラスDC-10の導入を進めていた大庭社長を追い落とし、若狭社長を後釜に据える工作を行った。
児玉は、日本におけるロッキード社の裏の代理人だった。
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