ロッキード事件②…東京国税局の児玉誉士夫に関する「Aファイル」
立石勝規『闇に消えたダイヤモンド―自民党と財界の腐蝕をつくった「児玉資金の謎」』講談社+α文庫(0901)によれば、毎日新聞の国税庁記者クラブの田中正延は、東京国税局長の磯辺律男と面会し、児玉の所得の申告額を尋ねた。
磯辺は、後に国税庁長官を経て、博報堂の社長に迎えられている。
東大法学部を出て大蔵省に入り、国税庁への出向期間が長かった。
国税庁では、マルサの元締めの査察部査察課長、大企業の税務調査を担当する調査部と査察部を束ねる調査査察部長等を歴任し、国税庁のトップに就任した。
磯辺は、政治家が登場する脱税事件を多く手がけてきた。
池田勇人と佐藤栄作が激突した1964年の自民党総裁選で、池田派の資金作りに関係した吹原産業・森脇文庫事件(1965年)、国会のマッチポンプとして名を馳せた田中彰治事件(1966年)、中曽根康弘の有力スポンサーだった殖産住宅会長・東郷民安脱税事件(1973年)などで、いすれも児玉が登場していた。
事件の入り口が児玉の脱税摘発と判断した記者たちは、磯辺に資料の提出を迫った。
もちろん、守秘義務があるので、簡単に資料を出すわけにはいかない。
しかし、磯辺は、しゃべれないにしても嘘はつかないことにしていた。
磯辺は記者たちに、「細かな資料は持ち合わせていません」と答えた。
田中正延は、この時の様子を「『ない』とも『出せない』とも言わないのである」と書いている。
地検特捜部と国税庁査察部は、ともに児玉を狙っていた。
査察部は、強制調査権を持っていた。家宅捜索までに、1~2年の内偵が極秘に行われることも多い。。
しかし、査察部には逮捕権がないので、調査を終えると東京地検特捜部に告発する。もなく、査察部単独で立ち向かうには、相手が大物過ぎると思われた。
査察課長や調査査察部長を歴任していた磯辺は、東京国税局査察部の「Aファイル」の中に、児玉の資料があることを知っていた。
「Aファイル」には、児玉が北海道拓殖銀行の東京・築地支店に無記名の口座を持ち、4億円を預金していることを示す資料が含まれていた。
児玉の無記名口座を確認すると、磯辺は国税庁長官から児玉の税務調査に入ることの了解を得るとともに、東京地検特捜部長に、児玉の無記名口座の存在と、内偵に入ることを伝えた。
査察部と特捜部が、児玉の自宅と拓銀築地支店を脱税(所得税法違反)の疑いで家宅捜索したのは、2月24日のことで、アメリカから第1報が届いてから、僅か19日後のことだった。
児玉の無記名口座から、2億円が引き出されていた。
査察部が追跡すると、児玉は、2億円で日本不動産銀行(後の日本債券信用銀行、現在はあおぞら銀行)の割引金融債の「ワリフドウ」を購入していた。
割引金融債は、無記名でも購入が可能で、脱税の温床になっていた。
また、マネーロンダリング(資金洗浄)に利用されることも多い。
無記名の割引金融債でカネの流れを消し、その後現金化して、スイスの銀行の口座等に送金するという手口である。
児玉の「Aファイル」には、ロッキード社のコンサルタント料以外の資料も含まれていた。
児玉が脱税に問われたのは、1972年~1975年の4年間の所得である。
所得は、事業所得と雑所得に分かれている。
事業所得の17億円が、ロッキード社からのコンサルタント料であり、雑所得の8億7000万円が株買い占めや企業の内紛を解決した謝礼としての「調停料」だった。
調停料は、河本敏夫(元通産相)のジャパンライン株買い占め事件(1972~73年)、東郷民安殖産住宅会長追放事件(1973年)、昭和石油の内紛(1973年)、横井英樹の台糖株買い占め事件(1974年)などを解決して得た報酬であった。
児玉は、この報酬を申告していなかったが、東京国税局は秘かにキャッチして「Aファイル」に残していた。
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