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2009年2月20日 (金)

全日空M資金事件③…元代議士の暗躍

全日空を訪問した鈴木明良は、運輸大臣原田憲、自民党代議士大石武一の名刺を、大庭社長と長谷村顧問に示した。
どちらの名刺にも、「元自民党代議士、内閣委員長の鈴木明良氏を紹介します」と書かれていた。
そして、鈴木は、自分が大蔵省特殊資金運用委員会の仕事に従事しており、それは日本経済の発展に寄与する仕事であって、皆さんのお役に立ちたいとの一念で取り組んでいる、と話した。

そして、過去の融資話のおさらいをする。
アラブ産油国資金、マーカット資金、ユダヤ協会資金、東亜会(戦争賠償)資金の話である。
大庭と長谷村は、これらの資金に対して融資申込書を書いていたが、いずれも結果的に実現していなかった。
これらの経緯からして、さすがに大庭と長谷村は、最初は鈴木に対しても疑いの姿勢で接した。
ところが、鈴木は、今までの融資の話はすべて偽りであり、それはブローカーに実態を把握させないために、自分たちが仕組んだ目くらましだった、と説明する。

そして、鈴木の管理している資金は、米軍資金を中心に大蔵省が運用委託されたもので、ガリオア・エロア資金も含まれると説明した。
この資金に関しては、富士製鉄と全日空の2社に対して貸付を検討しており、富士製鉄については審議中であると話した。
鈴木の説明では、ガリオア・エロア資金は、アメリカ政府が日本の復興・救援資金として貸し付けたものだが、昭和37(1962)年の日米交渉で、1/4だけ返済すればいいことになった。
返済分を引いた残りが、鈴木の管理している資金の原資だというのである。
このような説明を受けて、大庭と長谷村は鈴木を信用し、依頼書と念書を書いたという次第だった。

富士製鉄の名前が出たので、長谷村は振込先とされた興銀に出向いて確認することにした。
長谷村は、首相秘書官時代の知り合いの興銀の秘書役・住吉弘人に連絡し、正宗頭取との会談を依頼した。
長谷村は、佐藤首相の遣いで、正宗には何回か会ったことがあった。
さっそく正宗頭取に鈴木明良との経緯を説明し、大蔵省の特殊資金運用委員会の口座が興銀にあるかどうか尋ねた。
正宗頭取は、「そんな口座はない」と直ちに否定した。

長谷村が、富士製鉄の件を尋ねると、正宗頭取は、それはインチキ話だという。
富士製鉄の場合は、申込書と念書の印鑑が実印と異なっていたが、ありもしない話をでっち上げられて、困っていると説明した。
そして、長谷村が、依頼書と念書を書いたことを知ると、直ちに取り返すようにアドバイスした。
長谷村が全日空に戻って鈴木明良の事務所に電話をしても、誰も出ない。

鈴木明良は、昭和40年代はじめの衆院選で再選を果たせず、四谷の事務所兼用のマンションに住んで、国会周辺をうろついて利権漁りをしていたが、相手にする者もなく生活に困窮していた。
そんな状況のところに、M資金の話が舞い込んで来たのだった。
身元不明の目つきの鋭い細身の30代半ばの男が四谷のマンションを尋ねてきて、報奨金300万円を約束し、手付金として100万円を渡した。
そして、佐藤政雄という男を、指南役としいて紹介した。

長谷村は根気良く鈴木に電話をかけ、ようやく8月末に連絡がついた。
しかし、鈴木の手を離れた大庭と長谷村の連名の念書があちこちに出回り始め、長谷村が暴力団風の男に、『早く手数料を払え」と凄まれるようなこともあった。

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