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2009年2月10日 (火)

岸信介と児玉誉士夫

「アメリカに渡った金塊類」(09年1月17日の項)の続き。
1946年4月6日、GHQの調査担当将校ニールセン中尉などによって、東京湾月島で、金塊類が引揚げられた。
後藤幸正らの紹介・案内によるものだった(1月16日の項)。
金塊類引揚げのニュースは、4月19日(金)の朝刊で報じられた。
引揚げから13日間もかかったのは、その間に、日米両政府や米軍などで、所有権等の問題について話し合いが行われていたためと推測される。
以下、安田雅企『追跡・M資金―東京湾金塊引揚げ事件』三一書房(9507)により、この金塊類をめぐる動きを追ってみよう。

後藤幸正は、1949年に亡くなるが、その頃から、この金塊類の返還運動に没頭したのが水谷明という政治家である。
水谷は、新日本党という政党の総裁だったが、27歳で東京市議会議員に立候補して以来、衆院4回、参院2回、宮城県知事1回の選挙に出馬し、すべて落選している。
政治的立場は、吉田茂の自由党に反対で、水谷内閣を作ると大言壮語していた。

この水谷のところに、1955年か56年のころ、岸信介の秘書が接触してきた。
岸は、戦前の商工省のエリート官僚で、満州国の産業部次長や総務庁次長に就任し、巨大な鉄鋼基地を目指す「満州国産業開発五ヵ年計画」を実行した人物である。
われわれの世代にとっては、「60年安保」の敵役としての記憶が強い(07年10月7日の項10月11日の項)。
A級戦犯容疑で、巣鴨拘置所に入れられていたが、東西冷戦によってアメリカの占領政策が、日本を民主化することよりも日本を反共のトリデにすることに重心が移動し、そのためには岸の力が必要であるとして、アメリカ政府が釈放したといわれている。

水谷には、「新日本党に資金が必要ならば協力する」といって、児玉誉士夫も接近してきた。
児玉は、東亜・太平洋戦争開始の直前に、海軍航空本部の依頼で上海に児玉機関を作り、戦略物資入手のために活動していた。
その功績に報いるため、海軍は敗戦後50万円の礼金のほかに、児玉機関に蓄えていた金・プラチナ・タングステン・ラジウムなどを児玉に与えた。
この資金が、鳩山一郎、河野一郎の自由党の創立資金になった。

自由党は、1955年に民主党と合併して自由民主党となり現在に至っている。
自民党の体質は、この自由党結党の際の資金に影響されてきた部分が少なくない。
児玉は、いわゆるフィクサー・黒幕として、政財界に見えざる影響力を発揮してきた。
ロッキード事件などは、たまたま本来は見えざるはずの影響力が表面に出てしまったということだろう。
立石勝規『闇に消えたダイヤモンド―自民党と財界の腐蝕をつくった「児玉資金の謎」』講談社+α文庫(0901)には、自民党が、「児玉が集めた『戦争の臭いをひきずるダイヤモンド』の中から生まれた」という文章がある。
児玉は、自民党と闇社会を結ぶ接点に位置していた。
児玉は、鳩山一郎に、日本自由党の結成資金を提供し、鳩山の政敵の吉田茂の失脚を画策した。

児玉は、敗戦直後に組閣した東久邇宮内閣に参与として迎えられている。
児玉を推薦したのは、重光葵外相だった。
児玉は、三木武吉、大野伴睦、河野一郎らの党人派と親しかったが、彼らが鬼籍に入り、池田勇人や佐藤栄作らの官僚派が勢力を増してくると、岸に接近していた。
児玉は、金塊返還運動に対しても、水谷に協力すると言ってきたが、水谷は児玉の体質を承知していて、断っている。
水谷は、結局、岸に対しても児玉に対しても、金塊類返還に協力しようという申し出に対し、NOという返事をした。
岸や児玉が動いても、金塊類が返還される保証は無かったが、彼らに委ねるのが最も現実的な可能性のある方法だった、と水谷は後になって後悔する。

鳩山一郎の孫が、民主党幹事長の鳩山由紀夫。代表の小沢一郎の父は、吉田茂の側近だった小沢佐重喜。麻生太郎首相は、吉田茂の孫であり、安倍晋三の母方の祖父が岸信介である。
日本の政界の世襲の構造である。
裏の社会でも、児玉に繋がる稲川会の石井進元会長らによって、さまざまな経済事件が繰り返し起きてきた。
児玉誉士夫は、戦後史のある側面を代表してきた存在といっていいだろう。

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