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2009年2月24日 (火)

詐欺師に転落した元国会議員

ロッキード事件のウラには、全日空M資金事件があった。
鈴木明良元代議士が、全日空の大庭哲夫社長にM資金の融資話を持ち込み、大庭社長がそれに乗って依頼書・念書等を書いて、それが総会屋等に出回ったことが、大庭社長を辞任に追い込んだ。
当時、全日空の社内では、ダグラス社のエアバス導入を目論む大庭派と、ロッキード社のトライスターを導入したい副社長若狭得治派の間で、激しいつば競り合いが繰り広げられていた。
このような状況の中で、資金面で優位に立ちたいと考えた大庭の焦りが、この3000億円の融資話に食指を動かさせることになり、墓穴を掘ったわけである。

大庭が失脚した背景に、ロッキード社の秘密エージェントだった児玉誉士夫の策謀があったとされる。
大庭が失脚して若狭が社長に就任し、ロッキードのトライスター導入ということになった。
その
過程で、児玉に巨額の報酬が払われていたことが後に明らかになる。
また、田中角栄元首相にもリベートの一部が渡されており、大規模な疑獄事件として報道された。(09年2月11日の項
http://www.jgs-kansai.com/tanabata/tanabata0710.html

この事件の発端を作ったともいえる鈴木明良元代議士は、安田雅企『追跡・M資金―東京湾金塊引揚げ事件』三一書房(9507)でも取り上げられている。
東京湾引揚げの金塊類の返還に注力していた水谷明の回りには、詐欺師たちがその嗅覚で近づいてきた。
鈴木は、水谷が親しくしていた弁護士の紹介で、水谷の前に現れた。
この弁護士は、京都が地盤の元代議士で、すべての選挙に落選した新日本党総裁の水谷は、国会議員にコンプレックスを持っていた、というのが、水谷を支援していた岡十四郎の見方である。

鈴木は、反軍演説で有名な斉藤隆夫の秘書をしていたと自己紹介し、水谷に金塊類の返還に投資したいと申し出る。
とりあえず5000万円くらい出すが、金塊が返還されたら利息を貰い、選挙資金に回すと説明した。
しかし、そのうち鈴木が振り出した小切手が不渡りになっているという噂が耳に入ってきた。
水谷が旧華族の人脈の何人かを、鈴木に頼まれて紹介すると、鈴木はとりあえずのお礼として、10万円の小切手を出した。
水谷がそれで支払いをしようとすると、やはり不渡りだった。
鈴木は、既に詐欺によって生計を維持しなければならないところまで凋落していたということになる。

鈴木は、昭和56(1981)年9月7日、東京・駒込署によって、詐欺容疑で東京地検に身柄送検されている。
駒込署の調べによると、鈴木は文京区の不動産業者を訪ね、社長不在で代わりに出た母親に、「代議士を15年やった者だが、不動産を売って欲しい」と頼んだ。
話をしているうちに、母親がすっかり信用したところに、電車の中でカバンを盗まれたといって、孫への土産代として5万円貸して欲しい、と頼み込んだ。
同情した母親が5万円を渡すと、さらに5万円を貸して欲しいといって、10万円を詐取したのだった。

鈴木は、敗戦後に茨城県から衆議院に立候補して連続3回当選していた。
しかし、日本進歩党、民主党、自由党と所属を変えた変わり身の早さが裏目に出て、4回目に落選した。
落選後は不動産、金融ブローカーに転進を図ったが、そううまくは行かない。
昭和47(1972)年12月には、大手不動産会社の額面10億円の手形を偽造するまでになっていた。

東京高裁は、昭和57(1982)年10月14日、鈴木明良に、懲役3年6ヵ月の実刑を課した一審判決を支持し、控訴を棄却した。
昭和53(1978)年12月から81年9月までの間に、寸借詐欺を18回行って、1290万円を詐取したのだった。
鈴木明良の名前は、1970年代国会議員経験者検挙録というサイトに2回登場している。
元国会議員が詐欺師に転落したわけであるが、鈴木の場合、詐欺師が国会議員になったと考える方が妥当なのかも知れない。

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コメント

政治家自体が国家権力を利用した詐欺師だと思います。

投稿: シン | 2014年2月27日 (木) 13時04分

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