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2009年2月

2009年2月28日 (土)

ロッキード事件③…児玉が秘匿していたダイヤモンド

東京国税局査察部の「Aファイル」にある児玉誉士夫の資料には、ロッキード事件以外の記録も収められていた。
立石勝規『闇に消えたダイヤモンド―自民党と財界の腐蝕をつくった「児玉資金の謎」』講談社+α文庫(0901)は、膨大なロッキード事件・児玉ルートの公判記録を解読して、児玉の戦後史における役割を追跡している。
ジャパンライン株買い占めをめぐる調停に対する謝礼に関する公判記録の中に、児玉がこの調停で、現金2億100万円と東山魁夷の日本画「緑汀」(1600万円相当)と黄金の茶釜(400万円相当)を、ジャパンラインから受け取っていた。

ジャパンライン株買い占め事件について、Wikipediaの三光汽船の項目(09年1月26日最終更新)から概要を抜粋する。
1970年(昭和45年)9月末、ジャパンラインの大株主に和光証券(374万株)、三重証券(150万株)が名を現した。半年後の1971年(昭和46年)3月末には和光証券名義の株数は926万株と3倍になり、同社の第7位の株主に躍り出た。
さらに半年後の1971年(昭和46年)9月末には、和光証券名義の株式が1,320万株へと増えたのをはじめ、一吉証券160万株、平岡証券120万株など、証券会社名義の株式数が同社の発行株数の4.7%に当たる1,670万株に達した。
これらの証券会社の名義を使って株を買っていたのは、同業の三光汽船だった。

1971年(昭和46年)12月になると、三光汽船はすでに7,000万株(19.7%)を取得したことを通告し、ジャパンラインに業務提携を迫った。
三光汽船はその後も同社株を買い集め、1972年(昭和47年)9月末には関係会社の東光商船名義で3,500万株、瑞東海運名義で約2,000万株なども含め、発行株数の41%に当たる1億4,600万株を取得した(買収資金には、度重なる第三者割当増資による資金が充てられたとみられる)。

三光汽船が迫った業務提携はジャパンラインのメインバンクである日本興業銀行の反対で遅々として進まなかった。
当初、三光汽船との提携に熱心だったジャパンラインの岡田修一社長が急死するというアクシデントも加わり、強引な三光汽船のやり方にジャパンライン側が反発し、世間の批判が高まる中で両社はついに1973年(昭和48年)4月24日に和解した。
この和解により、三光汽船が1株300円前後で買い集めた株を、ジャパンライン側に1株380円で引き取らせたため、三光汽船は約100億円の売却益を得ることとなった。

合意した和解内容は、以下の通りである。
 ・三光汽船が保有する1億4,500万株のうち、1,000万株を残してジャパンライン側に売り戻す。
 ・ジャパンライン側の買い取り価格は1株380円とする。
 ・両社は業務提携を進める

この和解に児玉誉士夫が関与したというわけである。
児玉は、調停の決着に協力してくれた野村證券の瀬川美能留会長とそごうの水島廣雄社長に対して、ダイヤモンドで謝礼した。
瀬川には5カラット(検察評価額2000万円)、水島には20カラット(同1億円)の指輪だった。
検察側資料には、「児玉が戦時中に取得していた」という記載がある。
ちなみに、著者の立石氏は、東京都心でカレーライスが300円、ラーメンが250円の時代だったとしている。
現在の物価に換算すれば、おおよそ3倍程度ということになるだろう。

児玉は、野村證券に深く食い込んでいて、毎年500万円の謝礼を受け取っていたという。
端的にいえば、癒着していたということだ。
野村グループによる石井進・元稲川会会長への株買い占めのための巨額資金の提供や総会屋・小池隆一への利益供与事件の上流に、児玉と野村證券との癒着があった、と立石氏は書いている。

瀬川も水島も、このダイヤモンドの取得を所得として申告していなかった。
もともと表沙汰にできない性格のものだったから当然である。
査察部はダイヤモンドを押収し、瀬川と水島に課税した。
瀬川は納税したが、水島はカネがないと応じなかった。
水島のダイヤモンドは、東京地裁で競売にかけられ落札された。

落札したのは、ある宝石商だった。
落札価格は2000万円だった。
この落札を仲介したのは、東京国税局の磯辺律男自身だった。
水島へのダイヤモンドは、児玉が奥さんへのプレゼントとして無理矢理渡したものだった。
児玉に突き返すわけにもいかず、水島が知り合いの弁護士を通じて磯辺に相談し、磯辺は相手が児玉で返却できなかった事情を勘案して物納を認めた。
宝石商に2000万円で落札することを依頼したのも磯辺だった。

落札額の2000万円が、水島の所得に認定された。
当時の所得税の最高税率は70%で1400万円、これに2年あまりの延滞税と過少申告加算税と住民税を加算すると、ちょうど2000万円程度になる計算だった。
水島は、日本興業銀行出身で、「そごう」の社長を1962年から32年間にわたって務め、その後会長に就任している。
拡大路線の結果として、2000年に「そごう」は破綻した。

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2009年2月27日 (金)

ロッキード事件②…東京国税局の児玉誉士夫に関する「Aファイル」

立石勝規『闇に消えたダイヤモンド―自民党と財界の腐蝕をつくった「児玉資金の謎」』講談社+α文庫(0901)によれば、毎日新聞の国税庁記者クラブの田中正延は、東京国税局長の磯辺律男と面会し、児玉の所得の申告額を尋ねた。
磯辺は、後に国税庁長官を経て、博報堂の社長に迎えられている。
東大法学部を出て大蔵省に入り、国税庁への出向期間が長かった。
国税庁では、マルサの元締めの査察部査察課長、大企業の税務調査を担当する調査部と査察部を束ねる調査査察部長等を歴任し、国税庁のトップに就任した。

磯辺は、政治家が登場する脱税事件を多く手がけてきた。
池田勇人と佐藤栄作が激突した1964年の自民党総裁選で、池田派の資金作りに関係した吹原産業・森脇文庫事件(1965年)、国会のマッチポンプとして名を馳せた田中彰治事件(1966年)、中曽根康弘の有力スポンサーだった殖産住宅会長・東郷民安脱税事件(1973年)などで、いすれも児玉が登場していた。

事件の入り口が児玉の脱税摘発と判断した記者たちは、磯辺に資料の提出を迫った。
もちろん、守秘義務があるので、簡単に資料を出すわけにはいかない。
しかし、磯辺は、しゃべれないにしても嘘はつかないことにしていた。
磯辺は記者たちに、「細かな資料は持ち合わせていません」と答えた。
田中正延は、この時の様子を「『ない』とも『出せない』とも言わないのである」と書いている。

地検特捜部と国税庁査察部は、ともに児玉を狙っていた。
査察部は、強制調査権を持っていた。家宅捜索までに、1~2年の内偵が極秘に行われることも多い。。
しかし、査察部には逮捕権がないので、調査を終えると東京地検特捜部に告発する。もなく、査察部単独で立ち向かうには、相手が大物過ぎると思われた。
査察課長や調査査察部長を歴任していた磯辺は、東京国税局査察部の「Aファイル」の中に、児玉の資料があることを知っていた。

「Aファイル」には、児玉が北海道拓殖銀行の東京・築地支店に無記名の口座を持ち、4億円を預金していることを示す資料が含まれていた。
児玉の無記名口座を確認すると、磯辺は国税庁長官から児玉の税務調査に入ることの了解を得るとともに、東京地検特捜部長に、児玉の無記名口座の存在と、内偵に入ることを伝えた。
査察部と特捜部が、児玉の自宅と拓銀築地支店を脱税(所得税法違反)の疑いで家宅捜索したのは、2月24日のことで、アメリカから第1報が届いてから、僅か19日後のことだった。

児玉の無記名口座から、2億円が引き出されていた。
査察部が追跡すると、児玉は、2億円で日本不動産銀行(後の日本債券信用銀行、現在はあおぞら銀行)の割引金融債の「ワリフドウ」を購入していた。
割引金融債は、無記名でも購入が可能で、脱税の温床になっていた。
また、マネーロンダリング(資金洗浄)に利用されることも多い。
無記名の割引金融債でカネの流れを消し、その後現金化して、スイスの銀行の口座等に送金するという手口である。

児玉の「Aファイル」には、ロッキード社のコンサルタント料以外の資料も含まれていた。
児玉が脱税に問われたのは、1972年~1975年の4年間の所得である。
所得は、事業所得と雑所得に分かれている。
事業所得の17億円が、ロッキード社からのコンサルタント料であり、雑所得の8億7000万円が株買い占めや企業の内紛を解決した謝礼としての「調停料」だった。

調停料は、河本敏夫(元通産相)のジャパンライン株買い占め事件(1972~73年)、東郷民安殖産住宅会長追放事件(1973年)、昭和石油の内紛(1973年)、横井英樹の台糖株買い占め事件(1974年)などを解決して得た報酬であった。
児玉は、この報酬を申告していなかったが、東京国税局は秘かにキャッチして「Aファイル」に残していた。

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2009年2月26日 (木)

ロッキード事件①…アメリカ発の疑惑

闇に消えたダイヤモンド―自民党と財界の腐蝕をつくった「児玉資金の謎」』講談社+α文庫(0901)の著者・立石勝規氏は、もともと新聞記者で、毎日新聞で社会部記者、編集委員、論説委員などを歴任した履歴の人である。
上掲書では、ロッキード事件の発端を、自らの体験談として、次のように記述している。

一九七六年二月五日午前一時四○分。毎日新聞社(東京・竹橋)の四階にある編集局は、東京都内と周辺に配達される最終版(一四版)の締め切り時間も過ぎ、ほっとした雰囲気に包まれていた。
社会部デスク(副部長)の原田三郎(元毎日新聞論説委員)は、アメリカの通信社UPIから外信部にロッキード事件の第一報を伝える原稿が入っていたのを知らなかった。

社会部では、突発事件に備えて、毎夜5~6人の記者が宿直していた。
最終版の締め切りが終わると、ささやかな「宴会」が開かれる。
「お疲れ様、それではささやかに……」というような風景は、毎日がプロジェクトとでもいうべき新聞社では常態であったであろうことは想像に難くない。
「宴会」が始まって間もなく、外信部のデスクが、UPIから流れた未翻訳の1枚のテレックスを持ってきた。

<米上院外交委員会の多国籍企業小委員会は四日、公聴会を開き、米ロッキード航空会社が多額の違法献金を日本、イタリア、トルコ、フランスなどで続けていたことを公表した。
小委員会が明らかにしたリストによると、数年前から一九七五年末までに七○八万五○○○ドル(約二一億円)が日本の右翼、児玉誉士夫氏に提供されていた。さらに三二二万三○○○ドル(約一○億円)がロッキード社の日本エージェントの丸紅へ支払われている>

どういうことか?
右翼として名を知られていた児玉誉士夫が、ウラの顔としてロッキード社の秘密代理人になり、巨額の報酬のもとに、航空機の売り込み工作を行っていたということである。
この時点で、最終版の輪転機は既に回り始めていたから、朝刊には間に合わない。
原田は、一面トップ級のニュースだと直感した。
果たしてライバル紙(朝日、読売)は、朝刊でこの記事をどれだけの大きさで扱っているか?
心配で、原田は帰宅せずに会社に泊まった。
幸いにして、朝日は二面の扱いで、五段の記事だった。
原田は、内心「助かった」とホッとした。

国税庁記者クラブは、原稿の材料はほとんどが発表物だったので、特ダネ競争のない「仲良しクラブ」で、サナトリウム(療養所)と呼ばれていた。
当時の毎日新聞国税庁記者クラブを担当していたのは、田中正延、通称ショウエンという記者だった。
田中は遊軍の愛波健から、電話でロッキード問題が、税務上の処理の問題として表面化する可能性を示唆された。
田中は、個人所得税を管轄している直税部の担当者に、何が問題なのかを確かめた。
答は、ロッキード社資金について、児玉が税務署に申告しているかどうか、ということだった。

ロッキード事件が、児玉の脱税の可能性からスタートしたことにより、国税庁記者クラブは、サナトリウムから地獄の三丁目に変じた。
一丁目は、無数の事件に追われる警視庁記者クラブ。二丁目は、超大型事件を摘発する東京地検特捜部を担当する司法記者クラブ。
三丁目は、両記者クラブよりつらい、地獄の行き止まりの意味だという。

児玉誉士夫は、東京地検特捜部が、戦後狙い続けていた人物だった。
毎日新聞の司法記者クラブのキャップ・山本祐司は、検事から、児玉の逮捕は国会議員20人の逮捕に匹敵する、と言われていた。二月五日の毎日新聞の夕刊の一面トップは、ロッキード事件の第一報だった。
紙面の2/3を割いて、「ロッキード社が“ワイロ商法”」「エアバスにからみ48億円」「児玉誉士夫氏に21億円」などの大見出しだった。
朝日新聞も、一面トップの扱いだった。
両紙とも、児玉の顔写真を載せていた。
この段階で、事件の中心人物が児玉であることを示すものだった。

東京国税局査察部には、昭和24(1949)年の発足以来、各界主要人物の資産に係わる膨大な資料が蓄積されている。
その中で、政界、財界、闇社会などの主だった人物が所有する株、金融債、資金源、預金口座などのカネの動きを記録した極秘ファイルは「特別管理事案」にまとめられ、その中でさらに重要人物が抜き出されて「特別管理A事案」として保管されていた。
「Aファイル」と呼ばれるものである。
児玉誉士夫の資産資料も、「Aファイル」として保管されていた。

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2009年2月25日 (水)

太陽光発電買い取り義務化について

二階経済産業大臣は、24日の閣議のあとの記者会見で、太陽光発電の普及を加速するため、太陽光で発電された電気の買い取りを電力会社に義務づける制度を新たに導入することを明らかにした(写真は産経新聞09年2月25日)。
2_3平成22年度までに導入する予定だという。
太陽光発電の普及促進とともに、関連産業の活性化、雇用拡大を図るのが狙いだ。

私も、食料やエネルギーなどの基幹的な生活必需財の自給率を高めることには、全く異論がない。
特に太陽光発電は、低炭素社会化という面からみても、大いに推進されるべきテーマだろう。

太陽光発電の普及策としては、設置時に補助金を出す制度が行われてきた。
しかし、価格が下がってきたことを理由に、この補助金政策が打ち切られた。
その結果、太陽光発電の普及にブレーキがかかってしまっているのが現状である。

2_4太陽電池の生産量の推移を見てみよう(Wikipedia09年2月20日最終更新)。
図で見るように、日本以外では2005年以降急増する傾向にあるが、日本だけが2006年以降横這い状態である。
経済産業省の意図は、これを再び成長軌道に乗せようというところにある。
しかし、設置時に補助金を出す政策を復活させるのは、廃止したこととの整合性が取れない。
それで、買い取りの義務化という手段をとることになった。

現在家庭等で発電した際の余剰電力は、電力会社がサービスとして買い取っている。
これを義務づけようというものであるが、同時に買い取り価格を現在の2倍程度に引き上げようということである。
現在の買い取り価格は、24円/kw・hで、これはほぼ電力料金の単価と同程度とみられる(電気使用料は、使用量が増えるに従って単価が高くなる逓増制になっている)。

これを約50円程度にするということで、ドイツ等では、買い取り制によって、太陽光発電の普及が加速したという。
買い取り価格がいくらが妥当かについては様々な見解があり得るだろう。
太陽光発電を普及させ、化石燃料の使用を減らす(あるいは増大を防ぐ)ことは、エネルギー源の自給や環境対策の面から好ましいことは当然である。

しかし、現在のシステムは、補助金を付けたり、高額で買い取りを義務づけなければ、設置者にとって経済的なメリットがない。
だから、普及が停滞しているわけであり、これを普及させるためには、政策的支援が必要である。
現在の2倍程度での買い取りを義務化することになれば、導入のインセンティブにはなるだろう。
しかし、問題は、電力会社側が、コスト負担増を電力料金の値上げで確実に回収できる仕組みを条件にしていることだ。

つまり、太陽光発電システムを設置した家庭に対する支援を、太陽光発電を設置していない家庭が支援するという仕組みである。
しかし、現時点で太陽光発電を導入している、あるいは導入しようとしている家庭を想定してみると、おそらく標準的な家庭よりも所得水準は高いと考えるべきであろう。
新しい制度は、所得の高い家庭への支援を、所得の低い家庭が負担するということになる。
試算によれば、標準家庭で月額数十円から100円程度に抑えられるらしい。
まあ、金額的には受認すべき程度かも知れない。

しかし、ただでさえ格差社会の進行がいわれている時である。
格差を拡大する方向に働く施策が妥当なものといえるのだろうか?
経済産業省の施策だから当然のことではあるが、新制度導入の意図は、産業振興である。
産業振興の方向性として、このような施策は正しいのであろうか?
いささかの疑問なしとは言えない。

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2009年2月24日 (火)

詐欺師に転落した元国会議員

ロッキード事件のウラには、全日空M資金事件があった。
鈴木明良元代議士が、全日空の大庭哲夫社長にM資金の融資話を持ち込み、大庭社長がそれに乗って依頼書・念書等を書いて、それが総会屋等に出回ったことが、大庭社長を辞任に追い込んだ。
当時、全日空の社内では、ダグラス社のエアバス導入を目論む大庭派と、ロッキード社のトライスターを導入したい副社長若狭得治派の間で、激しいつば競り合いが繰り広げられていた。
このような状況の中で、資金面で優位に立ちたいと考えた大庭の焦りが、この3000億円の融資話に食指を動かさせることになり、墓穴を掘ったわけである。

大庭が失脚した背景に、ロッキード社の秘密エージェントだった児玉誉士夫の策謀があったとされる。
大庭が失脚して若狭が社長に就任し、ロッキードのトライスター導入ということになった。
その
過程で、児玉に巨額の報酬が払われていたことが後に明らかになる。
また、田中角栄元首相にもリベートの一部が渡されており、大規模な疑獄事件として報道された。(09年2月11日の項
http://www.jgs-kansai.com/tanabata/tanabata0710.html

この事件の発端を作ったともいえる鈴木明良元代議士は、安田雅企『追跡・M資金―東京湾金塊引揚げ事件』三一書房(9507)でも取り上げられている。
東京湾引揚げの金塊類の返還に注力していた水谷明の回りには、詐欺師たちがその嗅覚で近づいてきた。
鈴木は、水谷が親しくしていた弁護士の紹介で、水谷の前に現れた。
この弁護士は、京都が地盤の元代議士で、すべての選挙に落選した新日本党総裁の水谷は、国会議員にコンプレックスを持っていた、というのが、水谷を支援していた岡十四郎の見方である。

鈴木は、反軍演説で有名な斉藤隆夫の秘書をしていたと自己紹介し、水谷に金塊類の返還に投資したいと申し出る。
とりあえず5000万円くらい出すが、金塊が返還されたら利息を貰い、選挙資金に回すと説明した。
しかし、そのうち鈴木が振り出した小切手が不渡りになっているという噂が耳に入ってきた。
水谷が旧華族の人脈の何人かを、鈴木に頼まれて紹介すると、鈴木はとりあえずのお礼として、10万円の小切手を出した。
水谷がそれで支払いをしようとすると、やはり不渡りだった。
鈴木は、既に詐欺によって生計を維持しなければならないところまで凋落していたということになる。

鈴木は、昭和56(1981)年9月7日、東京・駒込署によって、詐欺容疑で東京地検に身柄送検されている。
駒込署の調べによると、鈴木は文京区の不動産業者を訪ね、社長不在で代わりに出た母親に、「代議士を15年やった者だが、不動産を売って欲しい」と頼んだ。
話をしているうちに、母親がすっかり信用したところに、電車の中でカバンを盗まれたといって、孫への土産代として5万円貸して欲しい、と頼み込んだ。
同情した母親が5万円を渡すと、さらに5万円を貸して欲しいといって、10万円を詐取したのだった。

鈴木は、敗戦後に茨城県から衆議院に立候補して連続3回当選していた。
しかし、日本進歩党、民主党、自由党と所属を変えた変わり身の早さが裏目に出て、4回目に落選した。
落選後は不動産、金融ブローカーに転進を図ったが、そううまくは行かない。
昭和47(1972)年12月には、大手不動産会社の額面10億円の手形を偽造するまでになっていた。

東京高裁は、昭和57(1982)年10月14日、鈴木明良に、懲役3年6ヵ月の実刑を課した一審判決を支持し、控訴を棄却した。
昭和53(1978)年12月から81年9月までの間に、寸借詐欺を18回行って、1290万円を詐取したのだった。
鈴木明良の名前は、1970年代国会議員経験者検挙録というサイトに2回登場している。
元国会議員が詐欺師に転落したわけであるが、鈴木の場合、詐欺師が国会議員になったと考える方が妥当なのかも知れない。

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2009年2月23日 (月)

東京湾引揚げの金塊類とユダヤ財閥

安田雅企『追跡・M資金―東京湾金塊引揚げ事件』三一書房(9507)には、新日本党総裁の水谷明が、占領軍が接収した三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の別邸を訪ねるシーンがある。
そこに、国際通信の社長をしていたハンドルマンというジャーナリストがいた。
水谷とハンドルマンは、水谷の妻が新日本党の婦人部長をしたりしていたことから、知り合いになった。

占領軍は、本邸も接収しており、本邸のほうに有名なキャノン機関があった。
キャノン機関とは、WIKIPEDIA(08年10月2日最終更新)によれば以下のようなものである。

キャノン機関(キャノンきかん、the Canon Unit)とはGHQによる占領中の日本にあったGHQ参謀第2部(G2)直轄の秘密機関。名称は司令官であるジャック・Y・キャノン(Jack Y. Canon)陸軍少佐(のち中佐に昇進)の名前から来ている。Z機関Z-Unit)とも呼ばれている。
太平洋戦争終戦後、キャノン少佐はGHQの情報部門を統括するG2に情報将校として参加。その有能さを評価したG2トップのチャールズ・ウィロビー(少将)がキャノンを首領とする組織を作らせた。 本郷の旧岩崎に本部を構えたキャノンは26人のメンバーを組織した。その他にも多数の工作員を抱え、主に北朝鮮情報の収集に当たる。その後、民政局(GS)との政争に勝利したG2はキャノン機関を日本の左翼勢力の弱体化に利用。1949年の下山・三鷹・松川の鉄道三大事件への関与も疑われた。
1951年、作家・鹿地亘を長期間にわたり拉致監禁してアメリカのスパイになることを要求する鹿地事件が発生。1952年に鹿地が解放された後で、鹿地事件が発覚し、キャノン機関が広く知られることになった。
1953年に鹿地事件の失敗で解任され、キャノン機関は消滅した。キャノンは帰国してCIA入りするがまもなく憲兵学校の教官となり諜報活動から身を引いた。1983年、自宅ガレージで胸に銃弾を2発撃ち込まれ射殺されているのが見つかる。66歳。

キャノン機関は、岩崎本邸の地下室を拷問室として使っていた。
上掲書には、キャノン中佐の、「日本に滞在中に、ロシア、中国、朝鮮、日本人を250人以上殺した」という遺言が紹介されている。
こともあろうに、水谷は最も危険な場所に自ら赴いたわけである。
水谷明は、アメリカに殺されるのではないか、という不安を感じていたことを、上掲書の著者である安田氏に語っている。
水谷の行動が広範に渡っていたので、結果的に身の保全を図ることができたのではないか、と安田氏は推測している。

水谷は、東京湾から引揚げられた金塊類が、ユダヤ財閥に入ったと見た。
ダイヤと金を独占売買しているのは、ユダヤ系のオッペンハイマー財閥で、換金して利子を稼ぐとしたらユダヤ系の銀行に頼むしかないからである。
ロスチャイルド一族の支配する会社の大半は個人企業で、営業報告書を作成する義務がない。完全な秘密が保てるので、利潤の配分が自由に行える。
金塊類は、歴代の権力者やCFR(外交評議会)が自由に動かせたファンドだった、というのである。

GHQの総司令官マッカーサーは、フィリピンに配属されていた時代にフリーメーソンに入会した。
フリーメーソンはいわゆる秘密結社で、その活動内容が非公開であるため、とかく詮索の対象になりがちである。
また、国家の転覆や戦争などを目論むとする陰謀論が唱えられたりするが、組織として政治に係わることは禁じられているという。
しかし、マッカーサーの例に見るように、有力者が会員となっている以上、政治的な影響力も否定できないだろう。
ユダヤ系の団体というわけではないが、ユダヤ人が多いのは事実らしい。
そういう面からして、金融等を通じての国際的な影響力は大きいと考えるべきだろう。

マッカーサーは、ユダヤ人の優秀さを評価していて、部下に多用した。
占領政策として、裁判所法・刑事訴訟法の改正を行ったA・C・オブライヤー、国際検事局のK・シュタイナー検事、マスコミを指導したH・バッシン、副官のバンカー大佐など、GHQの中枢セクションの多くをユダヤ人が握っていた。
日本は、先進国の中で唯一ユダヤに偏見のない国で、ユダヤ人にとって安全地帯だった。
イスラエルがアラブ包囲網の中で新国家建設を進めるための資金として、東京湾引揚げの金塊類をプールしたのではないかと、水谷の側近で、実業界で活躍していた岡十四郎は推測している。

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2009年2月22日 (日)

日本郵政の物件をかたる詐欺

「石川や 浜の真砂は 尽きるとも 世に盗人の 種は尽きまじ」
有名な石川五右衛門の辞世の歌とされている。
盗人ならぬ詐欺師の種も世に尽きないようだ。
「日本郵政の不動産を破格で払い下げさせることができる」などと持ちかけて、購入資金を騙し取ろうとする詐欺の手口が横行しているという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090222-00000069-san-soci

「かんぽの宿」の経緯などを見ていると、確かに「破格で払い下げ」ということもあるかも知れない、と思わせるところがミソだろう。
もっとも、日本郵政は、架空の資産処分リストを見せて破格の購入話を持ちかけ、取引の手付金や融資金名目で金銭を詐取しようとした事例が、約1年前から数十件あることを把握しているという。
今回報じられている話は、未遂事件だったのだが、「かんぽの宿」が騒動になってしまったので未遂に留まったのかも知れない。

L&Gというマルチ商法の詐欺事件については既に触れた(09年2月7日の項)。
その他に、「関西一の女相場師」と呼ばれている主婦の詐欺事件が報じられている。
ナニワの女相場師といえば、興銀から巨額のカネを引き出した料亭の女将・尾上縫のことが思い出されるが、関西一だから、その上を行くということだろう。
この泉佐野市に住む主婦は、200人から十五億円ほど集め、運用に失敗して行方をくらました。
この主婦は、見た目は農家のオバハン風だが、自宅の広い部屋にパソコン5台を並べて、ディーリングルームと称していたという(週刊新潮090212号)。

この主婦は、この“ディーリングルーム”で「日経225オプション取引」などで集めた金を運用していたらしい。
しかし、ご多聞に漏れず、リーマンショック後に大きな損を出し、配当の原資が無くなって事件が明るみに出た。
お金を集める際に、元本保証をうたっていたというから、出資法違反であることは確かだ。
しかし、そういう話に乗る方も問題ではないだろうか?
個人的な感想としては、そういう人たちは被害者とは言えないと思う。

「かんぽの宿」については、オリックスへ譲渡されかかった79施設の昨年の固定資産税評価額は856億円だったという。
http://mainichi.jp/select/biz/news/20090220ddm002020113000c.html
この金額は、簿価の約7倍に相当する。
通常は、実際の売買価格は固定資産税評価額の1.5倍程度らしい。
何やら簿価に関しても、何かカラクリがありそうである。

上記の記事よれば以下のようである。
固定資産税評価額は、同税を計算する際の基準になる評価額で、市町村が決定する。
これに対し、簿価は不動産鑑定を基に収益力の低下などを反映させる減損処理を実施した価格だという。
日本郵政は「07年10月の民営化に当たり、政府の郵政民営化承継財産評価委員会の承認を得ており適正だ」と説明しているが、固定資産税評価額と簿価のこのように大きな差異についても、日本郵政は説明責任があるだろう。

この減損処理というのが果たして的確なものだったのか?
民営化前の日本郵政公社が、79施設に関して黒字転換が難しい点などを勘案したものだという。
その「勘案」の根拠は何なのか?
どうも、一連の動きを見ていると、恣意的な要素が多すぎるように思う。

ヒラリー・クリントンは、「オバマ大統領が最初に招待する国家首脳は日本の麻生総理だ。最初に呼ぶのは、日本に対する友好国としての証だ」と言っている。
しかし、郵政民営化を問い直そうという動きに対して、麻生首相に対して、郵政民営化を後戻りさせるな、と迫ることが主眼だという説もある。
http://www.nikaidou.com/2009/02/post_2353.php

郵政民営化とは、果たして誰のためにどういう効果を狙ったものだったのか?
民営化によって国民が得たものは何なのか?
また、失ったものは何かのか?

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2009年2月21日 (土)

全日空M資金事件④…社長の引責辞任

暴力団風の男に脅かされたりして、全日空顧問の長谷村は、融資話を持ち込んだ鈴木明良元代議士と会うのを避けていた。
業を煮やした鈴木は、佐藤政雄を連れて10月13日の午後、全日空に押しかけた。
秘書室長の池田正男が応対すると、鈴木は、衆議院議員上村千一郎の名刺を差し出した。
そこには、大庭哲夫社長宛に、「鈴木明良氏を御引見下され度くお願い申し上げます」と書かれていた。

池田室長は、鈴木明良を、鈴木経理担当専務、渡辺総務・人事担当専務に引き合わせた。
鈴木・渡辺の両専務は、鈴木明良に、全日空は開銀を中心とした協調融資団からの融資で資金需要を賄えるので、鈴木明良の資金は必要がない。残りの念書を返して頂きたい、と伝えた。
鈴木明良は、明日返すので、それから改めて融資の話をしよう、ということで帰った。

10月14日の午後、鈴木明良は、佐藤政雄を伴って再び全日空を訪れた。
そして、大庭と長谷村の署名・捺印のある書類を渡辺専務に差し出した。
それは築地警察署から入手したコピーの原本だった。
渡辺は、長谷村に本物であることを確認させた。
鈴木明良は、本物を返したのだから、改めて申込書を書けと渡辺に迫るが、渡辺は検討の時間が必要であるとして、鈴木を帰した。

大庭と長谷村の署名・捺印のある申込書・念書をすべて回収して、全日空のM資金話は一件落着したかに見えた。
しかし、11月中旬に、右翼総会屋の山形為雄が総務調査役で総会屋担当の園部郁子の前に現れた。
山形は、園部に、申込書・念書のコピーを見せ、こういうものが出回っている状態ではまずい、と伝える。
園部は、毅然とした態度で総会屋に接してきており、全日空からはカネが出ないことを知っていた。
山形は、これらの書類で儲け話が動いており、書いた本人が責任を取るべきだ、と言う。

昭和45年3月期の全日空の営業成績は、旅客需要の増大と路線の拡大で、順風満帆だった。
5月30日の株主総会とその後の取締役会も、平穏無事に終わる予定だった。
ところが、株主総会の招集通知を発送し終えた5月中旬に、全日空の筆頭株主である名古屋鉄道社長の土川元夫から、秘書室長の池田に電話が掛かってきた。
緊急事態なので、総会前に社外取締役を全員一堂に集めてほしい、という。

総会の5日前の25日に、非常勤取締役のほぼ全員が出席して、会議が開催された。
メンバーは、名鉄の土川のほか、宮崎交通社長の岩切章太郎、三井物産会長の水上達三、朝日新聞社長の広岡知男、日立造船会長の松原与三松、日本航空社長の松尾静麿、伊藤忠商事社長の越後正一らだった。
土川が口を開き、大庭と長谷村の署名・捺印のある申込書と念書のコピーを示して、問題を指摘した。
第一に、社長が取締役会に諮らずに独断で融資の申し入れをしたこと、第二に、このコピーが出回って手形の詐取などに使われていることを告げた。

そして、土川は、このような人物が社長の座にあっていいのか、と問題提起した。
この総会を機に辞めるべきではないのか、と。
日立造船の松原が、すぐに同意した。
日航の松尾社長は意見を問われ、改選期ではないので、辞任には反対の旨を述べるが、松尾以外の全員が解任に同意した。
それぞれ自らの会社の株主総会の議長を務めるので、同日に開催される全日空の取締役会には出席できない。
そこで、全日空は、翌31日に取締役会を開催することにした。

この会議の様子を、東京新聞の佐々木昇記者が聞きつけ、全日空の広報室を訪れて、大庭の辞任を29日の朝刊に書くという。
誰が佐々木記者にリークしたのか?
名鉄の地場の中日新聞と東京新聞とが系列であることから、土川が中日新聞経由でリークしたのではないか、などと後に憶測が流れたが、実相は明らかになっていない。

佐々木の予告通り、29日の東京新聞の一面に、<大庭全日空社長が辞意、若狭氏昇格へ>と三段見出しの記事が掲載された。
不調に終わった3000億円の融資話を取締役会に諮らなかった責任を社外取締役に追及され、引責辞任するという説明だった。
そして、八・九面で、M資金事件に関して詳細に報じていた。

全日空の幹事総会屋は、有名な上森子鉄だった。
上森は、総会屋の岡崎二郎を伴って全日空に現れ、大庭では総会を乗り切れないので、若狭議長で総会に臨むべきだ、と園部と渡辺・鈴木両専務に総会の進行の変更を迫った。
渡辺・鈴木両専務は、上森の言い分を認めた。
上森と岡崎は、その足で日航の松尾社長を訪ねた。

上森は、日航のもともと幹事総会屋で、全日空はその関係で幹事になったのだった。
上森は、大庭は仮に総会を乗り切れても、取締役会は乗り切れない、と松尾に迫った。
松尾は本人の意思を確かめたいとしたが、上森は本人の意思ではなくて引責辞任だと譲らない。
松尾から大庭に電話があり、万策尽きたので全日空を辞めろと伝えた。
それを聞いた大庭は、「明日の総会には出席せず、今後一切航空とは縁を切る」と若狭と渡辺に伝えた。

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2009年2月20日 (金)

全日空M資金事件③…元代議士の暗躍

全日空を訪問した鈴木明良は、運輸大臣原田憲、自民党代議士大石武一の名刺を、大庭社長と長谷村顧問に示した。
どちらの名刺にも、「元自民党代議士、内閣委員長の鈴木明良氏を紹介します」と書かれていた。
そして、鈴木は、自分が大蔵省特殊資金運用委員会の仕事に従事しており、それは日本経済の発展に寄与する仕事であって、皆さんのお役に立ちたいとの一念で取り組んでいる、と話した。

そして、過去の融資話のおさらいをする。
アラブ産油国資金、マーカット資金、ユダヤ協会資金、東亜会(戦争賠償)資金の話である。
大庭と長谷村は、これらの資金に対して融資申込書を書いていたが、いずれも結果的に実現していなかった。
これらの経緯からして、さすがに大庭と長谷村は、最初は鈴木に対しても疑いの姿勢で接した。
ところが、鈴木は、今までの融資の話はすべて偽りであり、それはブローカーに実態を把握させないために、自分たちが仕組んだ目くらましだった、と説明する。

そして、鈴木の管理している資金は、米軍資金を中心に大蔵省が運用委託されたもので、ガリオア・エロア資金も含まれると説明した。
この資金に関しては、富士製鉄と全日空の2社に対して貸付を検討しており、富士製鉄については審議中であると話した。
鈴木の説明では、ガリオア・エロア資金は、アメリカ政府が日本の復興・救援資金として貸し付けたものだが、昭和37(1962)年の日米交渉で、1/4だけ返済すればいいことになった。
返済分を引いた残りが、鈴木の管理している資金の原資だというのである。
このような説明を受けて、大庭と長谷村は鈴木を信用し、依頼書と念書を書いたという次第だった。

富士製鉄の名前が出たので、長谷村は振込先とされた興銀に出向いて確認することにした。
長谷村は、首相秘書官時代の知り合いの興銀の秘書役・住吉弘人に連絡し、正宗頭取との会談を依頼した。
長谷村は、佐藤首相の遣いで、正宗には何回か会ったことがあった。
さっそく正宗頭取に鈴木明良との経緯を説明し、大蔵省の特殊資金運用委員会の口座が興銀にあるかどうか尋ねた。
正宗頭取は、「そんな口座はない」と直ちに否定した。

長谷村が、富士製鉄の件を尋ねると、正宗頭取は、それはインチキ話だという。
富士製鉄の場合は、申込書と念書の印鑑が実印と異なっていたが、ありもしない話をでっち上げられて、困っていると説明した。
そして、長谷村が、依頼書と念書を書いたことを知ると、直ちに取り返すようにアドバイスした。
長谷村が全日空に戻って鈴木明良の事務所に電話をしても、誰も出ない。

鈴木明良は、昭和40年代はじめの衆院選で再選を果たせず、四谷の事務所兼用のマンションに住んで、国会周辺をうろついて利権漁りをしていたが、相手にする者もなく生活に困窮していた。
そんな状況のところに、M資金の話が舞い込んで来たのだった。
身元不明の目つきの鋭い細身の30代半ばの男が四谷のマンションを尋ねてきて、報奨金300万円を約束し、手付金として100万円を渡した。
そして、佐藤政雄という男を、指南役としいて紹介した。

長谷村は根気良く鈴木に電話をかけ、ようやく8月末に連絡がついた。
しかし、鈴木の手を離れた大庭と長谷村の連名の念書があちこちに出回り始め、長谷村が暴力団風の男に、『早く手数料を払え」と凄まれるようなこともあった。

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2009年2月19日 (木)

全日空M資金事件②…依頼書・念書の闇社会への流出

若狭得治が全日空副社長に就任したとき、総務・人事担当専務は、渡辺尚次だった。
渡辺は、秘書室長に就任した池田正男を呼んでB4大のコピーをテーブルの上に置いた。
それは、築地警察署長から全日空社長宛に送られてきた「操作関係事項照会書」で、次のように記されていた。
------------------------
 大蔵省特殊資金運用委員会
 右運用委員会委員 鈴木明良
と称する者から左記融資申し込み依頼をするよう貴社に交渉した事実の有無について回答願いたい。
   記
 一、貴社が前記委員会に三、○○○億円の融資申し込みをした事実の有無
 二、申込人は貴社大庭専務といっておりますが、その交渉事実の有無
 三、鈴木明良と称する者と本件以外について交渉事実の有無
                                以上
------------------------

渡辺専務が池田秘書室長と話した同じ日、経理担当の鈴木専務が警察に呼ばれ、事情聴取を受けた。
警察によれば、依頼書と念書の実物やコピーが、すでに総会屋や暴力団に出回っているという。
彼らは、念書をしかるべき会社の担当者に見せ、全日空に三千億入れば、手数料として0.7%、21億円もらえるから、それまでの運動資金として百万円なり二百万円を出せ、という活動を始めており、既にこのペテンにかかった会社もあるという。

渡辺、鈴木の両専務は、警察の情報を、若狭副社長に報告する。
若狭副社長らは、依頼書・念書が、大庭が振り出したものに間違いないことを確認した。
大庭社長と長谷村顧問には、鈴木明良の話以前に、巨額の融資話があった。
最初は、アラブ産油国の資金がスイスや中東系のイギリスの銀行、アメリカの銀行に預けてあり、それを年利4.5%の低利で融資する、というものだった。
長谷村のアラビア石油時代の知り合いで、昭和石油の社長室の堀井雅彦からの話で、当時の公定歩合は6.25%だったから、又貸ししても儲かる金利だった。

大庭は、成田努・新東京 国際空港公団総裁から直接電話を受け、有利な条件だと言われて、すっかり信じ込んでしまった。
堀井と成田の紹介で、河野雄次郎という男が現れ、融資申込書と念書を長谷村が書いて、大庭が社印を押させた。
その後、大蔵省銀行局長の青山俊を名乗る男が現れ、長谷村は理財局長だった青山と面識があったことから、偽者であることを見破った。
この時渡した融資依頼書と念書がM資金ブローカー仲間に出回って、全日空は金に困っている、という噂が広まった。

長谷村の許には、マーカット資金の話も舞い込んできた。
長谷村は、アラブ産油国の資金の話で失敗したにも拘わらず、マーカット資金の話に乗って、念書を10枚も書いていた。
長谷村は、指定銀行に指定期日までに振り込む、という条件をつけた。
また、ユダヤ協会の資金という話もあった。
満州にいたユダヤ人を米ソの迫害から救ったのが日本軍人だったということで、ユダヤ協会が感謝の意味で贈った資金が使われずに遊んでいる、という話だった。

こうしたことから、全日空の秘書室には、連日のように、得体の知れない男たちから、巨額の融資をしたいので大庭社長に面談したい、という電話が入るようになった。
秘書室長の池田は、その手の電話は長谷村に回すように指示した。
長谷村も、M資金の事情に詳しくなって、適当にあしらうようになっていたが、昭和44(1969)年の8月中旬、大蔵省特殊資金運用委員会委員の鈴木明良と名乗る男から電話があった。
鈴木は、原田憲、大石武一の2人の代議士の紹介状を持っている、という。
長谷村は、旧い国会便覧に鈴木の名前があるのを確認し、大庭に取り次いだ。
大庭と長谷村は、鈴木に会うことにした。

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2009年2月18日 (水)

全日空M資金事件

大企業が巻き込まれた「M資金」事件は少なくないが、中でも全日空事件は有名な事例と言えるだろう(09年2月11日の項)。
本所次郎『巨額暗黒資金―影の権力者の昭和史〈3巻〉』だいわ文庫(0709)に、その経緯が詳しく記述されている。

大物運輸事務次官と称された若狭得治は、昭和44(1969)年5月30日に、全日本空輸(全日空)に、代表取締役副社長として迎えられた。
全日空(ANA)は、今でこそ日本航空(JAL)と航空業界を2分する存在であるが、当時は圧倒的にナショナルフラッグ・キャリアであるJALの天下だった。
JALに飲み込まれてしまうのではないか、という危機感が、若狭の獲得への動きになった。
ANAの社長は大庭哲夫だった。大庭は、JALの社長の松尾静麿の子飼いだったから、大庭体制のANAは、JALの支配下にあったも同然だったといえる。

この大庭が、「M資金」に乗った張本人ということになる。
大庭は、以下のような依頼書を、「M資金」の紹介者に渡していた。
---------------------
  依頼書
一、金 額  金参阡億円也
二、期 間  拾ケ年切替参拾ケ年
三、利 息  壱ケ年四分五厘(後払い)
四、方 式  約定方式による
五、銀行名  株式会社日本興業銀行
六、依頼者  全日本空輸株式会社
         代表取締役 大庭 哲夫
七、担当者  常勤顧問  長谷村 資
 上記の条件をもって御依頼致します
  昭和四十四年八月二十五日 
---------------------
この依頼書には、代表者と担当者の実印が捺印されていた。
依頼書とは別に、手数料について記した「念書」を紹介者に渡しており、それにも2人の実印が押してあった。

この依頼書と念書が、総会屋や暴力団に出回った。
担当者の長谷村は、日本銀行から日本輸出入銀行(輸銀)に出向した。
輸銀時代の長谷村は、輸出船ジュネの融資審査を担当していたが、積極的に融資許可を出す姿勢だった。
それが、輸銀と同じビルにあった日本開発銀行(開銀)総裁の小林中の目にとまり、小林の勉強会のメンバーになった。
長谷村は、山下太郎が政財界の支援のもとに設立したアラビア石油が締結したサウジアラビアやクウェートとの石油利権協定に関連して、石油産出の可能性の事前調査の特命を帯びてイランに行くことになった。

長谷村は、上司の日本興業銀行から出向していた湯原章郎審査部次長と共に、テヘランに飛んだ。
寺岡イラン大使によって、石油情報はアバダンの方が豊富にあると教えられ、アバダンでNIOC(ナショナル・イラニアン・オイル・カンパニー)から調査資料を入手し、油が出ることを確信した。
実際に、1年3ヵ月に、アラビア石油は大規模油田を発見し、カフジ油田と命名された。
アラビア石油の採掘権は2000年に失効したが、伝説の名編集長と語り継がれている遠藤麟一朗氏が、アラビア石油のカフジで働いていたことについて触れたことがある(08年5月28日の項)。

カフジ油田の発見からさらに3ヵ月後、小林中にアラビア石油への転職を要請され、カフジに行くことになったが、小林が東京に置いておくように求めた。
長谷村は、昭和39(1964)年5月、富士石油をスタートさせ、コンビナート建設に取り組むことになった。
8月末に、長谷村は小林に呼ばれ、佐藤栄作の許に行き、私設秘書として行動するよう命じられる。
佐藤の長男竜太郎が、アラビア石油で長谷村の部下だったことも関係していたようであるが、その頃、池田に喉頭ガンが発見され、それを知った小林が、長谷村を佐藤に近づけたのだった。
佐藤は、池田勇人に総裁選で敗れ、当時は無任所だった。

池田は、昭和39(1964)年東京オリンピック閉会式の翌日の10月25日に辞意を表明、11月9日に池田の指名により佐藤栄作が総理の座についた。
当時、財界四天王と呼ばれた小林中、水野成夫(国策パルプ社長)、永野重雄(富士製鉄社長)、桜田武(日清紡績会長)が、池田政権を支えていたが、四天王は池田に続き佐藤政権も積極的に支える姿勢を継続した。

長谷村が係わった富士石油は、住友化学や東京電力などと共に、沼津・三島石油コンビナートを計画するが、地元の強い反対によって計画は頓挫した。
海岸線と豊富な水に恵まれていたことがコンビナートの適地と判断されたのだった。
いま、名水として知られる柿田川は、同コンビナート計画の中心に位置している。
高度成長期で各地でコンビナートが建設されている時代、計画を撤回させて豊かな自然環境を保全し得たことは、戦後史を画する出来事だったといえるだろう。

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2009年2月17日 (火)

需要はどこへ行った?

内閣府は2月16日、平成20年10月~12月の国内総生産(GDP)の速報値が、実質年率換算で12.7%減となった、と発表した。
Gdp3_2 
昭和49年1~3月期の13.1%に次ぐ大きさで、2桁の減少は戦後2度目だという。
輸出は、13.9%減と過去最大の減少率で、世界的な景気後退の波をもろにかぶったことになる。
「100年に1度」という表現が、あながち過大とはいえないことを示している。
このような時代に生きていることを、とりあえずは得難い体験として、前向きに受け止めることにしたい。

日本経済新聞社は、同社の日本経済モデルにこの速報値を織り込んで予測を行ったところ、08年度の実質成長率は-2.7%、09年度も-2.8%となった、と発表した。
Gdp2_3 
http://www.nikkei.co.jp/keiki/gdp/

07年10月に、戦後最長の景気拡大期が終わっているが、現下の日本経済は急降下しつつある。
このような折りも折り、経済の舵取りの元締めの役割を担うべき中川財務相が、国際的な記者会見の場であってはならない醜態を見せてしまった。
海外メディアも、「Japanese finance minister drunk at G-7」と、しどろもどろの記者会見を、飲酒によるものと断定している。
http://www.youtube.com/watch?v=lWLeWqPOFpU&NR=1
首相は罷免をしない意向だったようだが(罷免すれば任命責任を問われる)、中川氏は辞意を表明したらしい。
当然だとは思うが、この深刻な難局に向き合っているというのに、余りに緊張感が欠如している。
私も含め、深酒になりがちな人は、中川氏を他山の石として自戒しよう。

上表をみると、輸出が大きく崩れたことが大きいが、国内需要も減少している。
特に設備投資は4四半期連続で減少しており、個人消費も減少している。公共投資も景気を下支えする力がなかったことが分かる。
あたかも需要が蒸発してしまったかのようである。
需要はどこに消えてしまったのか?
このような事態は、08年9月15日のリーマン・ブラザーズの破綻以降の金融危機によって一気に現出したようにみえるが、緊急対応だけでなく、もう少し中長期の視点で考えないと、的確な対策を打つことはできないだろう。

わが国の経済変動の姿を見てみよう。
2 (出典:NRI Public Management Review Vol.66)

現在の危機から抜け出るために、グリーン・ニュディールということが言われている。
世界大恐慌の際に、ルーズベルト大統領が実施したニューディール政策に倣おうとするもので、グリーンは、特に新(自然)エネルギーなどの分野に力点を置くことを意味している。
CO2排出による地球温暖化については、必ずしも温暖化しているとは言えない、という反対意見もあるが、化石燃料が有限であることには変わりがない。
最近の家電製品の省エネ度は、一昔前と比べると雲泥の差があるようであるが、さらに大きなイノベーションが期待されている。

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2009年2月16日 (月)

中川財務相の醜態と歴史的に低い内閣支持率

中川昭一財務相が、G7(先進7ヵ国財務相・中央銀行総裁会議)の閉幕後の記者会見で、醜態を演じた。
もともと酒乱だと言われていたが、TVの映像で見る限り、明らかに酔っ払っている態度だった。
記者からの質問に対し、「どこだ?」とあらぬ方を探している。
隣に坐っている白川日銀総裁に教えられるが、視線が定まらない。
白川総裁に対する質問を、自分へのものと間違えたのはいいにしても、全く聞き取れていないようである。
下記のサイト等に動画が収録されているので、確認して頂きたい。
http://www.youtube.com/watch?v=CdyJrZonX_A&eurl=http://anohitowa.blog45.fc2.com/blog-entry-264.html

記者への応答の言葉は、終始異常にゆっくりした口調である。
時折、明らかにロレツが回らない言葉使いとなり、眠そうに目を閉じたりしている。
頭が正常に作動していないことは明らかである。
本人は、風邪薬を飲んでいたのでその副作用だ、などと言い訳しているようであるが、まあひどい二日酔い状態だったのだろう。
風邪薬の副作用だとしたら、それも大きな問題であるが、風邪薬のせいではないことはほぼ間違いないだろう。
もともと酒が好きだ、ということは別に咎められる筋合いではない。
しかし、世界が注視する中で、このような失態を演じるのは、もはやあきれてしまうとしか言いようがない。

中川財務相は、タカ派の有力議員として名を馳せながら、不可解な自死を遂げた中川一郎氏の実子である。
つまりれっきとした二世議員であるが、東大法学部の出身でもある。
並の二世議員とは違う、という期待感を抱かせる、とも言えるだろう。
そういう経歴も寄与してか、代議士になってからの職務担当歴も赫々としたものである。
WIKIPEDEA(09年2月16日最終更新)を見てみよう。

自由民主党衆議院議員(8期)。志帥会会長代行。現在は麻生内閣財務大臣、金融担当。過去に農林水産大臣、経済産業大臣、自由民主党政務調査会長を歴任した。超党派でつくる北朝鮮拉致疑惑日本人救済議員連盟の会長代行を務める。自民党内では拉致問題特命委員長および集団的自衛権に関する特命委員長を入閣前まで務めていた。

主要閣僚や自民党の要職を歴任しており、現時点で総理・総裁候補の1人であると見られてきた。
しかし、先頃の衆議院本会議での財政演説で、「渦中」を「うずちゅう」と読むなど多数の読み間違いをしており、本当に東大法学部を出たのかと疑わせるようなお粗末ぶりであったことは記憶に新しい。
今回の件によって、総裁候補としてハンディキャップを負ったのだろうが、総理候補という意味では、自民党政権自体がもう続かないだろうから、まあ関係ないということかもしれない。

麻生内閣というのは、本当に末期的だと思う。
内閣支持率が、政権維持の危険水域といわれる20%を切ったのは、政権発足後間もなくであったが、日本テレ2_3ビの調査では、とうとう10%を割るところまで落ち込んだらしい。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090215-00000066-jij-pol

支持率のアップダウンに一喜一憂する必要はないと思うが、10%を割るというのはさすがに歴史的である。
金権批判にさらされて立ち往生した田中角栄の退任時でも、女性スキャンダルで2ヵ月あまりという短命で退任を余儀なくされた宇野宗佑の退任時でも、10%を下回っていなかった。
10%未満の記録が残っているのは、竹下登の退任時くらいである。
http://www.jiji.com/jc/v?p=nc-pol_cabinet-approval-rating&rel=y&g=phl

こういう状態では、解散総選挙に打って出るという選択肢はないだろう。
また、安倍・福田と続けて任期途中で政権を放擲した後だから、麻生に代えて誰か、ということも難しいだろう。
言い換えれば、まさに進退窮まる事態に陥りつつあるということだ。
もっとも、内田樹氏のように、「国民が、政治家たちのあまりの無為と無能に心底うんざりして、投票する気にさえなれないほど政治に絶望し」投票率が低下するのを狙っている、という見方もできなくはない。
http://blog.tatsuru.com/
そうすれば、固い組織票に守られた公明党の支援を受けながら、自民党の大敗の程度が、少しは緩められるのではないか、というまことに高度な戦略である。
果たしてどうだろうか?

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2009年2月15日 (日)

東京湾引揚げの金塊類とCIA

1945年8月15日に、日本がポツダム宣言を受諾し、連合国に降伏して第二次世界大戦が終結した。
日本は、ポツダム宣言に則り、朝鮮半島の統治権を放棄した。
朝鮮半島の北半部は、金日成を中心とした共産勢力が、1946年2月8日に、ソ連の後援を受けて朝鮮臨時人民委員会を設立し、共産主義国家建設に向かい始めた。
このような動きに対し、日本統治時代にアメリカに亡命していた李承晩は、南半部での国家設立をアメリカに迫り、1947年6月に、李承晩を中心とする南朝鮮過渡政府が成立し、朝鮮半島は、北と南で異なる道を歩み始めた。

東西冷戦が始まると、朝鮮半島の北と南の対立も激化した。
1947年に、アメリカは朝鮮半島問題を国際社会に問うべく、設立されたばかりの国際連合に提訴した。
しかし、北半部は、1948年2月には朝鮮人民軍を創設し、北緯38度線以北に金日成を主席とする朝鮮民主人民共和国の成立を宣言した。
アメリカはこれを激しく非難したが、金日成は南半部への送電を停止し、南北の対立が決定的になった。

1950年6月25日に、北緯38度線で北朝鮮軍の砲撃が始まり、朝鮮戦争が勃発した。
7月7日にアメリカ軍を中心とする国連軍が結成されたが、準備不足もあって各地で敗北を続けた。
マッカーサーは戦線建て直しに全力を注ぎ、9月15日に仁川に国連軍を上陸させ、戦局を一挙に転換した。
仁川上陸作戦は、マッカーサー元帥個人により発案された投機性の高い大規模な作戦を、元帥個人の信念によって実行に移し、戦況を一変させたものとされる。
WIKIPEDIA(08年12月22日最終更新)
この仁川上陸作戦の戦費に、隠退蔵物資や東京湾引揚げ金塊類を使った可能性がある、と安田雅企『追跡・M資金―東京湾金塊引揚げ事件』三一書房(9507)は推測している。

ダレス国務長官は、ドミノ理論の信奉者だった。
ドミノ理論とは、将棋倒しのように、ある一国の政体の変更を許せば、近隣諸国が次々と政体変更してしまうという考え方で、ベトナム戦争の際にも主張されたが、東西冷戦の中で、日本はアメリカから極東における反共の砦としての役割を期待された。
朝鮮戦争への使用は別として、冷戦の進行と共に、さまざまな工作資金需要が増大していったことは間違いない。

「M資金」のMは、GHQの経済科学局の局長だったマーカット少将に由来すると言われている。
岸信介の早期釈放をマーカット少将に具申したのは、マーカットの片腕と言われた二世のキャピー原田だったが、その後押しをしたのがダレス国務長官だった。
ダレスはロックフェラーと密着していた。つまり、岸の釈放には、ユダヤ系機関が関与しており、以後両者は友好関係を保つ。

東京湾から引揚げられた金塊類を、アメリカが本国へ極秘で運ぶのを黙認した日本側の最高責任者は吉田茂である。
1953年1月、アイゼンハワー(アイク)がアメリカ大統領に就任した。
アイクは、ユダヤ人の政策機関といわれるCFR(外交評議会)のヨーロッパ援助研究チームの長だった。
CFRは、ロックフェラー家を中核とする組織で、ニクソン政権下のキッシンジャー補佐官・国務長官、レーガン政権のシュワルツ国務長官、ワインバーガー国務長官らは、みなCFR会員だった。

アイクは、CFRメンバーのフォスター・ダレスを国務長官に指名した。
岸信介にとって、ダレス国務長官は恩人であり、CFRの支持者として行動することになる。
CIA長官には、ダレス国務長官の実弟のアレン・ダレスが任命された。
これもCFR人事である。
CIAは、予算額や使途明細は公表されていないが、さまざまなウラ金が必要になるであろうことは想像に難くない。
安田雅企『追跡・M資金―東京湾金塊引揚げ事件』三一書房(9507)は、東京湾の金塊がCIAの活動資金の一部に使われたのではないか、とも推測している。

日本が被占領状態にあった時の実態を描いた著書に、マークゲイン『ニッポン日記』がある、
邦訳初版は1951年で、マッカーサーの占領政策の内幕を記したものだ。
この『ニッポン日記』に、水谷明の新日本党のことについて、GHQの命令で、新日本党の内情を探った、とある。
同書では、水谷は闇商人、ギャングのボスということになっている。
アメリカに渡ってしまった東京湾の金塊類が、水谷明らの運動によって返還される可能性はなかったということだろう。

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2009年2月14日 (土)

かんぽの宿売却は、偽装入札ではないのか?

2月13日、日本郵政の西川善文社長は、「かんぽの宿」のオリックスグループへの一括譲渡を完全に白紙撤回することを、鳩山総務相に伝えたという。
まあ、当然の結果といえよう。現状のまま、一括譲渡の話を進めれば、日本郵政もオリックスも、炎上という事態になりかねないだろう。
譲渡に関するファイナンシャルアドバイザーに選ばれたメリルリンチ日本証券には、1年間で1億2000万円のアドバイザー料が支払われているという。
アドバイスは完全に失敗だったのだから、このアドバイス料は全く無駄金だったということになるだろう。

あらためて、「週刊朝日090213号」に載っている入札経緯を見てみよう(09年2月9日の項)。
08年5月15日に、第一次の応札を締め切り、27社が応募した。
5月中旬から6月20日にかけて審査を行い、27社のうち22社が審査をパスして、第一次提案参加者となった。
「週刊新潮090212号」に載っている、メリルリンチ日本証券に400億円という査定額を提示した日本リライアンスなどのグループは、この段階でNGだったということだろう。
この22社にかんぽの宿等事業に関する資料を配布し、8月15日に第一次提案を締め切った。
この資料に、40~50億円の赤字情報が記載されていて、15社が辞退し、第一次提案をしたのは7社だけになった。
この7社について審査を行い、3社が選ばれて第二次提案を行うことになった。
10月31日に第二次提案が締め切られ、2社だけが応募した。
12月9日までの間、この2社の提案内容を審査し、オリックス不動産を最終審査通過者に決定し、同社との間で契約条件等の詰めを行ったうえ、12月26日に契約を締結した。

問題は2つあるだろう。
1つは、一般競争入札とされていたものが、「企画提案型の競争入札」だった、という点である。
「企画提案型の競争入札」自体が悪いということではない。
しかし、企画提案を審査するということについては、ある程度主観的な判断が入り込むことは避け得ない。
言い換えれば、審査者の判断力が問われるわけである。
「企画提案型の競争入札」という以上、審査担当者が誰であったのか、それぞれの企画提案の内容がどのようなものであり、それをどう評価したのか、ということがオープンにされなければならないのではないか。
これらが開示されず、審査結果だけが開示されるとしたら、判断そのものが密室での作業ということになってしまう。
重要な国有財産の処分が、密室の中で判断されていいわけがない。

2番目の問題は、最終審査は2社による入札とされているが、実際は、具体額を提示したのはオリックス不動産だけだった、ということである。
1社しか応札しないようなものが、果たして公正な入札と言えるのだろうか。
その1社に絞り込まれる過程には、「審査」というプロセスを経ている。
普通は、1社を候補者とする契約は、随意契約と呼ぶだろう。

言い換えれば、「競争入札」は偽装だったということである。
勝谷誠彦さんに、『偽装国家―日本を覆う利権談合共産主義 』扶桑社(0703)という著書がある(07年9月2日の項)。
「日本郵政よ、お前もか」という感を拭えない。

少なくとも、審査過程がオープンにされない限り、結果として1社しか応札しないような形が、公正なものだとは到底思えないとすべきだろう。

日本郵政もオリックス不動産も、なめていた、ということではないだろうか。
契約日が12月26日という年末の押し迫った人目につきにくい時点の設定だったこと、競争入札という文言を書き換えていることなど、いずれも姑息というしかない。
上掲の週刊朝日によれば、オリックスの宮内代表は、『経営論』日経ビジネス人文庫(0712)(元版は、東洋経済新報社刊(0106))において、官が民を圧迫している事例として、「かんぽの宿」を上げているという。
「かんぽの宿」のような公営の施設に、民間のホテルや旅館が対抗していくのは容易ではない、と説いている。
そこまではいい。
その公営の施設を、格安の競争入札を装ったバーゲンセールで入手しようとするのは、才覚と言えば才覚なのだろうが、果たして国家の経済の牽引車たる企業と評価することができるだろうか?

このような事態になった以上、経緯は可能な限り精細に開示しなければならないだろう。
麻生首相が福田内閣時代、参院で否決された法案の扱いに関し、衆院の3分の2以上の賛成で再可決・成立させることができるとした規定は、「予算関連法案にはなじまない」という考え方を夕刊紙で表明していたことが明らかにされた。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090213-00000231-jij-pol
小泉元首相ではないが、どうやら「笑っちゃう」しかないような事態になりつつあるようだ。

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2009年2月13日 (金)

麻生内閣の命運は尽きたのか? 小泉元首相の激烈批判

自民党の小泉元首相が、2月12日の会合で、麻生首相を痛烈に批判した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090213-00000001-yom-pol
支持率が低迷している麻生内閣に、また大きな打撃が加わったと言えるだろう。
郵政民営化をめぐる麻生首相の迷走に対して、「怒るというよりも笑っちゃうぐらいあきれている」と、厳しい言葉使いである。

郵政民営化は、小泉氏が「改革の本丸」と位置づけてきた看板であるから、それに対して否定的な発言をしたりしている麻生首相を批判するのは当然であろう。
加えて、麻生内閣の看板ともいえる定額給付金に関しても、小泉氏は批判的な立場を明確にした、としていいだろう。
定額給付金を盛り込んだ2008年度第2次補正予算関連法案を、衆議院で再可決することに異議を唱えたのである。

再可決には、2/3の賛成が必要である。
その2/3を獲得したのは、小泉氏が打った大トバクともいうべき郵政民営化総選挙の結果なのだから、小泉氏の異議表明は大きな意味を持っている。
小泉氏のシンパが同調すれば、2/3に達しない可能性が出てきたということだ。
もし、この予算関連法案が通らなかったならば、麻生内閣は頓死ということになるだろう。
自民党内部でも衝撃だったであろうことは、森喜朗氏が記者団に対してとった不快感を露わにした態度からも窺える。

麻生内閣の支持率は、政権末期の数値だと言われてきた。
今回の小泉発言は、超低空飛行状態のまま暴風雨圏に突入した、と譬えられている。
小泉氏の発言は、「郵政民営化を堅持し推進する集い」の役員会の場でのことだ。
しかし、郵政民営化が、本当に国民のための改革であったのか否かの検証は、聖域としてアンタッチャブルにすべきではないだろう。
かんぽの宿の譲渡問題1つとっても、多くの疑念が生まれているのである。
今でも、国民の間では高い支持があるという小泉氏の発言は、政局に対して大きな影響力を持つと思われる。
麻生首相に比べれば、そのパフォーマンスは水際立っていると思う。
しかし、そのパフォーマンスに幻惑されることは、やはり危険なことだと考えたい。

それにしても、麻生内閣の命運はいよいよ尽きようとしているように感じられる。
それは自民党の寿命でもあるだろう。
民主党の石井一副代表が大きな失策をして、政権党としての資格にクエスチョンマークが付けられたが、それでもマクロなトレンドとしては、自民党政権時代は終わろうとしているのだと思う。

渡辺喜美氏は、自民党に愛想を尽かして離党した。
麻生氏に対して、不満を抱いていた自民党議員も大勢いるのではないだろうか。
私が自民党の終わりを感じるのは、小泉氏ほどのインパクトのある発言が、他の議員から発せられないということにある。
確かに、小泉氏の時局を読む目は抜きん出ているということだろう。
しかし、既に引退表明をしている人の発言が最もインパクトがあるということでは、如何なものだろうか。

ここのところ、総裁・総理を独占してきた最大派閥では、相変わらず、森喜朗氏や中川秀直氏のような、言ってみれば旧来型の政治家が大きな影響力を持っているようである。
自民党の内部から、新しい芽が生まれてくるという期待感は乏しいというべきだろう。
小泉氏が政局の起爆剤となるとしたならば、7~8年くらい、時間が逆戻りしている感じだ。
安倍・福田と2代続けて途中で政権を放擲し、今また麻生内閣に頓死の状況が生まれているのである。
この党が末期症状にあることは、明瞭なことのように思われる。

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2009年2月12日 (木)

元特捜検事・田中森一氏のハードボイルド人生

「裁判員制度に関する素朴な疑問」を記したときに、「世には悪徳弁護士なとと呼ばれる人もいないわけではないけれど」と書いた(09年1月24日の項)。
このときには、具体的な弁護士をイメージしていたわけではない。
私の知人にも何人かの弁護士はいるが、彼らは、「悪徳」というには程遠い。
だから、どこかでそんな弁護士の記事を見たような気がする、という程度の認識だった。あるいは、ハードボイルド小説の登場人物だったかも知れない、というようなアヤフヤな記憶である。

ところが、立石勝規『闇に消えたダイヤモンド―自民党と財界の腐蝕をつくった「児玉資金の謎」』講談社+α文庫(0901)の「文庫版まえがき」の冒頭に、<主文、被告人許永中、被告人田中森一の原審一審判決を破棄する」>とあるのを読んで、具体的な人物像と結びついた。
そういえば、元東京地検・大阪地検の両特捜部の検事が弁護士に転業し、「闇社会の守護神」と呼ばれていたな、と。
彼こそは、「悪徳弁護士」の呼び名に相応しいだろう。

この事件は、石油卸会社の石橋産業を舞台にした手形詐欺事件で、田中元検事への判決は懲役3年の実刑で、08年3月に収監されている。
日本の裁判制度は三審制ではあるが、最高裁は憲法判断のみを行うので、石橋産業事件での田中元検事の有罪は確定したということである。
さらに追い打ちをかけるように、弁護を依頼された金融会社社長から、現金を詐取したとして大阪地検から告訴され、大阪地裁で公判中である。
今や、田中氏は、検事のバッジも弁護士のバッジも胸には付けられない身となった。

こうして、事件の外形だけをなぞれば、「悪徳弁護士」と呼ばれても止むを得ないと考えられるだろう。
田中元検事(弁護士)は、特捜のエース検事から、弁護士に転じて「闇社会の守護神」と呼ばれるようになった経緯を、『反転―闇社会の守護神と呼ばれて』幻冬社(0706)という自叙伝を出版している。
また、それを契機に、ウラ社会に詳しいライター・夏原武氏との対談『バブル』宝島社(0712)、田原総一朗氏との対談『検察を支配する「悪魔」』講談社(0712)などを次々に出版している。
収監される前に、言いたいことを言っておこう、という気持ちの発露ということだろう。

立石氏の上掲書の登場人物の中で、田中氏と繋がりがあるのは、以下のような面々である。
・仕手集団「光進」を率いた小谷光浩(株価操作事件/1990年)
・「関西闇社会の帝王」許永中(イトマン事件/1991年)
・「人たらしの天才」伊藤寿永光・元イトマン常務(イトマン事件/1991年、「ケイワン」脱税事件/2003年)
・佐川急便の創設者、佐川清(東京佐川急便事件/1992年)
・「ナニワの借金王」末野謙一・元末野興産社長(住専事件・1996年)

こうして眺めてみると、いずれもnotoriousな、と言っていい企業犯罪事件の数々に係わっていたことになる。
しかし、上記の田中氏の著書を見ると、単純に「悪徳弁護士」と決めつけられない部分もあるように思われる。
『反転』に記されている彼の生い立ち(長崎県平戸の貧しい漁村に生まれ育った)を読むと、目頭が熱くなってくる。
また、石橋産業事件では、裁判の戦略の立て方次第では、実刑を免れることもできたであろうと、自ら語っている。
しかし、彼は、自らの生き方の信念を貫き、みすみす不利になる立場を選んでいる。
まさにハードボイルドな生き方ではなかろうか。

もちろん、自己美化的な要素もあるだろう。
しかし、一回限りの人生である。
彼は、刑期を終えたら、貧しい子供たちのための奨学財団を設立したいと言っている。
そのためには、執行猶予は付くか付かないかは、大きな違いのはずである。
にも係わらず、実刑に処せられ収監された。
さらに、検察のメンツをかけたような別件での起訴である。

上記の事件を見ても、イトマン事件は住友銀行のドンと呼ばれた磯田一郎元会長・頭取のワンマン経営から派生した事件である。
その前段として、闇の社会と深い係わりのあると言われている旧平和相互銀行の吸収合併劇があった。
旧平和相互銀行にまつわる事件には未だ解明されていない部分が多い。
旧住友銀行の名古屋支店長が射殺されるという事件もあった。
犯人を自称する男が出頭しているが、供述と事実関係に齟齬があり、この事件での起訴は見送られている。
これから先も、これらの事件の背後関係等が明らかにされることは、先ずないと言っていいだろう。

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2009年2月11日 (水)

M資金と児玉誉士夫と全日空・ロッキード事件

立石勝規『闇に消えたダイヤモンド―自民党と財界の腐蝕をつくった「児玉資金の謎」』講談社+α文庫(0901)は、1945年8月14日、つまり敗戦の前日の午後、ある新聞社の小型飛行機が、上海から島根空港に飛び立った、というところから始まっている。
飛行機をチャーターしたのは児玉機関で、飛行機には、旧海軍航空本部から軍需物資の調達を頼まれた児玉誉士夫が、戦乱の中国大陸で集めたダイヤモンドなどが、大量に積まれていた。
ダイヤモンド類は、島根から東京の銀座に運ばれ、児玉機関が東京本部として使っていたビルの地下室に収蔵される。

児玉は、終戦直後、皇室に献上するためダイヤモンド類をトラックで皇居に運んだが、当時の宮内相・石渡荘太郎から、皇室が進駐軍に怒られて迷惑するだろうから、持ち帰るように言われる。
ダイヤ類は、当時海軍航空本部が置かれていた慶應義塾大学(日吉)の地下室に運ばれたが、GHQから海軍航空本部に所有物資の提出命令があり、ダイヤ類はGHQに押収された。

GHQは、旧軍部が各地に隠匿していた供出ダイヤなどの貴金属類を摘発し、日銀本店の地下の金庫に保管したが、児玉のダイヤ類も同じように日銀地下金庫に保管された。
これらが、「M資金」伝説の1つの根拠になっている。

児玉誉士夫は、ロッキード事件で有名である。
有名な「M資金」事件として、全日空事件がある。
ロッキード社の旅客機・トライスターの導入に反対していた大庭哲夫社長が、M資金融資詐欺にひっかかり、融資申込みの「念書」を書いたことによって失脚した。

WIKIPEDIAの「ロッキード事件」の項を見てみよう(09年1月23日最終更新)。

このような状況(注:ロッキード、ボーイング、マグドネル・ダグラスの激しい販売競争)下、全日空においても高度経済成長に伴う旅客数増加に対応すべく、札幌で冬季オリンピックが行われる1972年を目途に「次期大型旅客機」として大型ワイドボディ機の導入を考えており、1969年に日本航空から派遣され社長へ就任した大庭哲夫を中心に選定作業が進められていた。候補となった3機のうち、L-1011 トライスターは上記のように(注:エンジンの開発を担当していたロールスロイス社の破綻など)エンジンの開発が遅れたために納入が1974年頃になってしまうことから選択肢から外れた。また、ボーイング747SRは全日空の企業規模(当時)からすると大きすぎると判断され、最終的にマクドネル・ダグラスDC-10が候補に残り、1970年5月に三井物産(日本における販売代理店)を通じ、3機を仮発注した。 しかし同月、発注を推進していた大庭社長が「M資金関連の詐欺事件に巻き込まれた」という趣旨の怪文書を流された挙句、株主総会の直前に不可解な形で社長の座を追われることとなり、元運輸次官の若狭得治が大庭の後釜に就いた。

高野孟『M資金-知られざる地下金融の世界』日本経済新聞社(8003)は、全日空M資金詐欺事件について、次のように書いている。
大庭社長のところには、社長に就任して日も浅い1969年6月から、約4ヵ月の間に、4回にわたって融資話が持ちかけられた、とされる。

大庭の特命で窓口を担当していたのは、長谷村資だった。
長谷村は、国会で以下のように証言している。
当初は、昭和石油の社長室にいた堀井雅彦氏と成田空港公団総裁だった成田努氏から、アラブ産油国の資金がスイス等の銀行に預けてあり、その資金を貸し付けたいという話があった。
堀井、成田の紹介で、河野雄次郎という人物が現れ、大庭と長谷村は、500億円の融資申込書と念書を渡した。
全日空には、資金責任者などが次々に現れたが、大蔵省の青山銀行局長なる人物が、長谷村にニセ者であることを見破られる。

2回目は、元代議士で内閣委員長を務めた鈴木明良が来て、3000億円の融資の話を持ち込んだ。
鈴木は、大石武一、原田憲両代議士の紹介状を持ってきた。
大庭は、紹介状と「大蔵省特殊資金運用委員会委員」という鈴木の名刺を見て信用してしまい、社判と署名入りの融資申込書と念書を渡してしまう。
長谷村は、疑問を感じ、指定銀行とされている興銀の正宗頭取に面会し、アドバイスを求める。
正宗頭取は、ある製鉄会社(注:合併前の富士製鉄)の話をし、融資の申し込みがあったが資金が興銀に積まれなかった経緯があったと説明し、書類の回収をするように助言した。

この書類のコピーの一部が児玉誉士夫に渡り、1970年5月の株主総会で、大庭哲夫社長は失脚する。
児玉は、傘下の総会屋を使って「大庭社長がM資金関連の詐欺事件に巻き込まれた」という内容の怪文書を流し、マクドネル・ダグラスDC-10の導入を進めていた大庭社長を追い落とし、若狭社長を後釜に据える工作を行った。
児玉は、日本におけるロッキード社の裏の代理人だった。

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2009年2月10日 (火)

岸信介と児玉誉士夫

「アメリカに渡った金塊類」(09年1月17日の項)の続き。
1946年4月6日、GHQの調査担当将校ニールセン中尉などによって、東京湾月島で、金塊類が引揚げられた。
後藤幸正らの紹介・案内によるものだった(1月16日の項)。
金塊類引揚げのニュースは、4月19日(金)の朝刊で報じられた。
引揚げから13日間もかかったのは、その間に、日米両政府や米軍などで、所有権等の問題について話し合いが行われていたためと推測される。
以下、安田雅企『追跡・M資金―東京湾金塊引揚げ事件』三一書房(9507)により、この金塊類をめぐる動きを追ってみよう。

後藤幸正は、1949年に亡くなるが、その頃から、この金塊類の返還運動に没頭したのが水谷明という政治家である。
水谷は、新日本党という政党の総裁だったが、27歳で東京市議会議員に立候補して以来、衆院4回、参院2回、宮城県知事1回の選挙に出馬し、すべて落選している。
政治的立場は、吉田茂の自由党に反対で、水谷内閣を作ると大言壮語していた。

この水谷のところに、1955年か56年のころ、岸信介の秘書が接触してきた。
岸は、戦前の商工省のエリート官僚で、満州国の産業部次長や総務庁次長に就任し、巨大な鉄鋼基地を目指す「満州国産業開発五ヵ年計画」を実行した人物である。
われわれの世代にとっては、「60年安保」の敵役としての記憶が強い(07年10月7日の項10月11日の項)。
A級戦犯容疑で、巣鴨拘置所に入れられていたが、東西冷戦によってアメリカの占領政策が、日本を民主化することよりも日本を反共のトリデにすることに重心が移動し、そのためには岸の力が必要であるとして、アメリカ政府が釈放したといわれている。

水谷には、「新日本党に資金が必要ならば協力する」といって、児玉誉士夫も接近してきた。
児玉は、東亜・太平洋戦争開始の直前に、海軍航空本部の依頼で上海に児玉機関を作り、戦略物資入手のために活動していた。
その功績に報いるため、海軍は敗戦後50万円の礼金のほかに、児玉機関に蓄えていた金・プラチナ・タングステン・ラジウムなどを児玉に与えた。
この資金が、鳩山一郎、河野一郎の自由党の創立資金になった。

自由党は、1955年に民主党と合併して自由民主党となり現在に至っている。
自民党の体質は、この自由党結党の際の資金に影響されてきた部分が少なくない。
児玉は、いわゆるフィクサー・黒幕として、政財界に見えざる影響力を発揮してきた。
ロッキード事件などは、たまたま本来は見えざるはずの影響力が表面に出てしまったということだろう。
立石勝規『闇に消えたダイヤモンド―自民党と財界の腐蝕をつくった「児玉資金の謎」』講談社+α文庫(0901)には、自民党が、「児玉が集めた『戦争の臭いをひきずるダイヤモンド』の中から生まれた」という文章がある。
児玉は、自民党と闇社会を結ぶ接点に位置していた。
児玉は、鳩山一郎に、日本自由党の結成資金を提供し、鳩山の政敵の吉田茂の失脚を画策した。

児玉は、敗戦直後に組閣した東久邇宮内閣に参与として迎えられている。
児玉を推薦したのは、重光葵外相だった。
児玉は、三木武吉、大野伴睦、河野一郎らの党人派と親しかったが、彼らが鬼籍に入り、池田勇人や佐藤栄作らの官僚派が勢力を増してくると、岸に接近していた。
児玉は、金塊返還運動に対しても、水谷に協力すると言ってきたが、水谷は児玉の体質を承知していて、断っている。
水谷は、結局、岸に対しても児玉に対しても、金塊類返還に協力しようという申し出に対し、NOという返事をした。
岸や児玉が動いても、金塊類が返還される保証は無かったが、彼らに委ねるのが最も現実的な可能性のある方法だった、と水谷は後になって後悔する。

鳩山一郎の孫が、民主党幹事長の鳩山由紀夫。代表の小沢一郎の父は、吉田茂の側近だった小沢佐重喜。麻生太郎首相は、吉田茂の孫であり、安倍晋三の母方の祖父が岸信介である。
日本の政界の世襲の構造である。
裏の社会でも、児玉に繋がる稲川会の石井進元会長らによって、さまざまな経済事件が繰り返し起きてきた。
児玉誉士夫は、戦後史のある側面を代表してきた存在といっていいだろう。

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2009年2月 9日 (月)

「かんぽの宿」売却は、競争入札だったといえるのか?

「かんぽの宿」の入札経緯に関する情報が、週刊誌等に掲載され始めている。
私も、この件に関しては、既に3回取り上げている。
1回目(09年1月9日の項)は、「かんぽの宿」がオリックスに一括譲渡されることに、鳩山総務相が「待った」をかけたことをニュースをで知り、「郵政民営化」という大義のウラに、利権のカラクリが隠されていたのではないか、と感じたことを記した。
オリックスは、一種のインサイダー取引によって落札したのではないか、という疑念である。

2回目(1月21日の項)は、竹中平蔵氏が、オリックスを擁護していることについての不信感について記した。
オリックスの宮内氏も竹中氏も言ってみれば市場主義者という仲間内であることは公知のことであり、身びいきは誰にでもあるにしても、いささか露骨過ぎるのではないか、という感想である。
付言すれば、竹中氏の言説は、かつての僚友・中谷巌氏の謙虚(過ぎる?)な姿勢と対比すると、際立っていると言っていいだろう。
「民でできることは民でやる」という御旗のもとに、要するに利権の主体が変化しただけではないのか?
さらに、関岡英之氏などが言うように、郵政民営化自体が、アメリカの「年次改革要望書」に沿ったものだったというのが真相なのだろうか?

3回目(2月1日の項)は、その後に明らかにされつつある情報によって、この譲渡問題に対する疑念が、晴れるどころか一層深まっていることについて記した。
取得(建設)費用と売却予定額とのあまりに大きな乖離、かつて売却した施設の転売の実態等の情報が知らされるようになり、ものの見方や考え方は多種多様であり得るにしても、私の価値観からすると、デタラメとかズサンという概念に近いと言わざるを得ないだろう。

不良債権を早めに処理しようとすることは、一般論としては正しいのだろう。
竹中氏のように、「機会費用」を考えれば先延ばしすることのマイナスが大きいと言われれば、そうかも知れないと思ってしまう。
しかし、取得・建設に2400億円が掛かっているものを109億円で売却することは、正当な選択なのだろうか?
毎年、40~50億円の赤字を出しているというが、「かんぽの宿」に関する財務諸表は、開示されているのだろうか?
40~50億円の赤字が事実だとして、減価償却費はどう計算されて、キャッシュフローはどうなのだろうか?
中小零細企業では、会計上の損益はともかくとして、先ずはキャッシュフローの維持が優先するのが現実である。
運営改善によって、赤字額やキャッシュフローを改善できる余地はどの程度あるのだろうか?
ディスカウント・キャッシュフローで計算した現在価値は、いくらなのだろうか?

もっと素朴に、40億円の赤字を消すために2300億円の損失を出して売却してしまうことが正しい経済学的な判断だとしたら、そういう経済学は人間行動を合理的に説明するものといえるのだろうか?
金額が大きすぎて実感が湧かないので、億を万に変えてみよう。
2400万円でマンションを購入して賃貸しているとしよう。
家賃収入から維持管理費を差し引くと、毎年40~50万円の赤字になっている状態だと説明されているのと同じことである。
例えば、月々の賃貸収入は6万円しかないのに、賃貸収入を確保するための維持管理費に10万円もかかってしまっている、というようなものである。
一体、どんな運営をしているのだろう?
そして、だからといって、109万円でもいいから、取りあえずマンションを手放して、赤字を無くした方がいい、と考えるだろうか?
10万円は掛かりすぎだから、先ずはせめて6万円ギリギリのところまで経費削減できないか、あるいはもう少し家賃を上げる交渉をしてみようか、などとは考えないのだろうか?

「週刊新潮090212号」には、日本リライアンスという不動産会社社長の嶋崎秀雄氏に対する取材記事が掲載されている。
嶋崎社長は、大手不動産会社らと共同事業を組んで、1つのグループとして入札に参加しようとしたという。
メリルリンチ日本証券が売却のファイナンシャル・アドバイザーに選ばれたと聞き、「かんぽの宿」が外資に取られかねないと危惧を抱いたことも、入札に参加することにした1つの要因だと言っている。
まともな日本人の感覚だろう。
メリルリンチの面接を受けた際、「かんぽの宿」の資産査定をして400億円と踏み、融資のシンジケートを組む目途もついていることを説明した。
面接は5分程度で終わったが、“次のプロセスにはお進み頂けないことになりました”と書かれた紙っぺらが入っている封筒が送られてきて、落選したのだという。
嶋崎社長のグループは、1次提案前の予備審査でふるい落とされたわけである。
上記の例でいえば、400万円くらいは出せるが……、と購買意欲のある人が打診してきても、売却のアドバイスを頼んでいる人が勝手に無視してしまったということになるのだろうか?

入札過程では、メリルリンチと守秘義務契約を結んだ後、「かんぽの宿」が年間50億円の赤字だという情報が伝えられ、1次提案に残った22社のうち、15社が辞退したという。
しかし、この赤字には、天下り職員を辞めさせたことによる退職金や、不要な改修工事による費用なども含まれているのだという。
エコノミストの紺谷典子氏は、「かんぽの宿」は、利用率が非常に高い施設で、70%稼動している。ホテル業界では50%の稼働率で元が取れる、と語っている。

「週刊朝日090213号」も、この問題を取り上げている。
0902132同誌に掲載されている経緯を見てみよう。
先ず知りたいのは、メリルリンチ日本証券がアドバイザーに選定された審査経過である。
週刊新潮の記事の日本リライアンス社長ならずとも、外資に取られれてしまうのではないか、と危惧を抱いてしまうようなアドバイザーである。
日本郵政には、そういう判断は無かったのだろうか?

注目されるのは、日本郵政が、こそくな文言の書き換えをしているという指摘だ。
社民党の保坂展人氏らが要求した説明資料で、当初「企画提案」とされていた用語が、最近になって「競争入札」にこっそり書き換えられていたという。
日本郵政の説明は、「今回の手続きは、各応募者からの『企画提案』内容を総合的に審査する『競争入札』によりますので、より適切な表現に変更したものです」ということである。
こういう経緯を知らされると、「かんぽの宿」のオリックスへの譲渡は、実態として随意契約に近いものだったのではないか、という気がしてくる。
疑念を晴らすためには、アドバイザー選定からの経緯を明らかにすべきだろう。
それにしても、日本郵政の開示体制はどうなっているのだろうか?
ウェブサイトのプレスリリースのページには、本件に関しては、08年12月26日付の「かんぽの宿等の譲渡について」という資料しか掲載がない。
これだけの問題になっているのだから、やましいところがないのならば、もっと積極的に情報開示を行うべきではないだろうか。

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2009年2月 8日 (日)

特別会計と霞ヶ関埋蔵金

長岡哲生『極秘資金』講談社(0801)では、財政法第44条及び第45条の規定が詐欺の道具に使われた。
再掲すれば、以下のような条文である。

第四十四条  国は、法律を以て定める場合に限り、特別の資金を保有することができる。
第四十五条
 各特別会計において必要がある場合には、この法律の規定と異なる定めをなすことができる。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO034.html

ここでいう特別資金、特別会計(いわゆる特会)に関連して、霞ヶ関埋蔵金という言葉が議論になった。
国の予算には、一般会計と特別会計とがある。
特別会計とは、林野業や治水事業など特定の事業を行うために設けられる事業特別会計や、特定の資金を運用するために設定される資金特別会計などがある。
一般人にはあまり接する機会のない仕組みである。
だから、基幹産業を育成するための特別資金が存在すると言われれば、そういうものもあるかも知れない、と考えてしまっても、あながち非常識とはいえないだろう。

霞ヶ関埋蔵金とは、この特別会計の中に積立金があって、財務省が資金を隠している部分がある、とするものである。
資金特別会計(財融特会)と外国資金特別会計(外為特会)に、多額の埋蔵金が眠って(埋まっている)のではないか。
もし、そういうものが存在するならば、増税の前にそれを出すべきだ、という意見が出てくるのは当然である。

財融特会は、債券(財投債)を発行して調達した資金を、政府系の金融機関や地方公共団体を通して、零細企業などに貸し付ける仕組みで、貸付によって得られる利息収入や運用益と財投債発行費用との差額を、金利変動準備金として毎年積み立てることになっている。
金利変動準備金とは、将来の金利変動によって損失が発生することに備えるための積立金である。
2007年度末に、約17兆9千億円になると見込まれている。
外国為替相場の安定化を図るなどの目的の外為特会にも、同程度の積立金が蓄積されているといわれている。

埋蔵金の実体とは上記のようなものであるが、それが存在するか否か、論争があった。
2007年12月に、当時の額賀財務相が、「特別会計の中の積立金に、埋蔵金などというものはない」という財務省の立場から、埋蔵金説を一蹴した。
準備金は、法律に定められた目的を達成するために、所定の手続きに基づいて積み立てられたもので、掘れば出てくるイメージの埋蔵金などではない、というのが財務省の立場である。

霞ヶ関埋蔵金をめぐっては、自民党の中にも、意見の相違があった。
与謝野馨経済財政担当相を代表とする財政再建論者は、財政再建のためには消費税のアップなどの増税が必要であるとし、一回限りしか使えない積立金を、恒常的な支出に用いるべきではない、とした。
これに対し、中川秀直元幹事長らの成長重視派は、積立金の活用を主張したる。
このような論議があること自体、その実態が曖昧であることを示しているともいえよう。
その曖昧さが、「M資金」伝説などを生む1つの土壌になっているのではなかろうか。

いずれにしろ、どちらかが一方的に正しいということはあり得ないだろうから、政策ミックスを考えるしかないのだろうが、その前提として、特別会計はもっと透明なものにすべきである。
族議員や官僚が抵抗しているらしいが、そういう時代は既に終わっていると考えるべきだろう。
小泉政権の時の財務大臣だった塩川正十郎氏が、「母屋(一般会計)でおかゆをすすっているのに、離れ(特別会計)ではすき焼きを食べている」と言ったことがある。
それから既に何年も経っているのに、一向に透明度が増したようには見受けられないように思う。

反対論も多く、迷走した定額給付金の財源には、この霞ヶ関埋蔵金が充当されるらしい。
ということは、「あるか無いか」ということに関しては、「ある」ということになるのだろうか?
定額給付金は、果たして経済効果があるのか?
かつての地域振興券は、消費喚起効果が期待されたほどなかったというのが定説である。
定額給付金もほとんど同じ結果になるだろう。
そういう用途に、積立金を充当するのは如何なものだろうか?
もし、積立金を使うとしたら、もっと効果のある使途があるだろうと考える(08年12月10日の項)。

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2009年2月 7日 (土)

小説M資金2『極秘資金』③

長岡哲生『極秘資金』講談社(0801)の「基幹産業特別資金(長期保護管理権譲渡資金)」の資金管理者と称する島田剛一と、資金提供を受けようと決意した大手家電メーカーの代表取締役専務菅谷光雄は、第一産業銀行の役員応接室で面談する。
芝居において、配役と舞台装置が重要なように、詐欺においても、登場人物と場所が重要である。
菅谷が受付に行くと、「承っております」と役員フロアに通され、役員応接室に入る。
島田剛一は、既に副頭取の岩田と在室していて、岩田は頭取を呼びに行くと退室する。
第一産業銀行という名称は、明らかに旧第一勧業銀行(合併して現在はみずほ銀行)を連想することを意図したものだろう。
元頭取経験者の逮捕や、元会長の自殺で大きな騒ぎになった総会屋の呪縛で知名度の高かった銀行である。

第一産銀の頭取は、どうしても外せない用事があるという理由で、顔を出せないといわれる。
頭取は、全国銀行協会の会長である。
島田は、菅谷の経歴等を聞き、資金計画書については、読んでから話を聞く、ということになった。
島田に対して、副頭取の岩田は、平身低頭という感じで接していたと説明されている。

菅谷は、仲介者の金井(元大手ゼネコン代表取締役専務)に、主人公の宮本に話をしたことを報告すると、厳しく叱責される。
あくまで菅谷が独りの判断で行動しなければ、資金の話はキャンセルされるという。
菅谷は島田との2回目の面談を終える。
そして、菅谷の銀行口座に1000万円が入金されていることが確認できた。
資金の証拠金という名目であり、つまり面談をパスしたということである。

「M資金」の代表的な手口は、資金を受ける側の資格を証明するものとして、申込金や手数料などを事前に支払うことが条件とされ、その金を仲介者に渡すと、その後連絡が途絶えてしまう、というものである。
しかし、この「基幹産業特別資金」の場合が、資金を受けるにあたって一切の費用が不要であることが明文になっており、実際に手数料等の要求はない。
つい、ノーリスクではないか、と考えたくなるところがミソといえるだろう。

未公開株をめぐる詐欺事件が、「週刊ビジネスジャパン」の記事になり、その慰労会を宮本の家で行っているときに、菅谷から宮本に電話がある。
菅谷の話では、島田から、米国や関係者などの了解が得られたので、近々特別資金1兆4000億円が振り込まれることになった、と連絡があった。
しかし、待っているけれど、資金が振り込まれない、ということだった。
その電話を耳に挟んだ「週刊ビジネスジャパン」の編集長と副編集長は、そんな話は聞いたこともないし、財政法でいう特別資金は別のものを指すという。
副編集長は、第一産業銀行の頭取と飲み友達で、頭取に確認を取ったところ、そんな話はあり得ない、ということだった。
つまり、何らかの形で詐欺が仕組まれているのだろう、ということになる。

菅谷は、1000万円の証拠金の入金を確認した際に、「基幹産業特別資金」を受領することを確認した」とする「受領確認証」に署名捺印して、島田に渡していた。
「受領確認証」には、資金は、正式手続きが完了するまで、第一産業銀行の当該当座預金に移管され保護される、と記されている。
詐欺のカラクリを記してしまうことはルール違反だろうから、ここでは控える。

世の中には、甘い話などないと考えるべきであるが、騙される人が(言い換えれば騙す人が)後を断たない。
まさに、清水一行の『懲りねえ奴-小説M資金』徳間書店(9507)の世界である。
2月5日にも、「L&G」と称する健康寝具販売会社の会長や幹部らが、組織的詐欺容疑で逮捕された。
詐欺の内容は、「円天」と称する擬似通貨を売り物とするものである。
預かり金と同額の「円天」が毎年支給されるのだという。
つまり、「使っても減らないカネ」だという触れ込みである。
中には退職金や老後の資金などをつぎ込んだ会員もいるという。
いわゆるマルチ商法の一種に分類される。

マルチ商法というのはピラミッド型の組織になっていて、早期の会員は、現実に利益を得る機会がある。
そういう人を、実際に見聞するので、善意で知人を勧誘することもある。
つまり、被害者が加害者でもある、という図式である。
「L&G」の場合には、地域の人間関係をベースに会員を募ったらしい。
良かれと思ってやるのだから、被害は拡大する。
「うまい話」には気をつけよ、ということだが、判断力が衰えた高齢者などは、勧誘に乗りやすい。
かくいう自分も、人の話を信じやすいタチなので、心したい。

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2009年2月 6日 (金)

小説M資金2『極秘資金』②

長岡哲生『極秘資金』講談社(0801)では、「M資金」は、「基幹産業特別資金(長期保護管理権譲渡資金)」という名前で登場する。
その概要は、次のように説明されている。

財政法第44条及び第45条の定めによって、日本国及び米国の委託管理権者が保有できる特別資金を指し、この資金の一部を管理権者から認められた製造業及び銀行の代表者個人に委譲(長期保護管理権譲渡契約方式)する契約に基づき供せられる資金。

実際に、財政法には次の規定がある。

第四十四条  国は、法律を以て定める場合に限り、特別の資金を保有することができる。
第四十五条
 各特別会計において必要がある場合には、この法律の規定と異なる定めをなすことができる。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO034.html

小説では、「基幹産業特別資金」について、以下のように概要が記されている。
<資金の目的>
日本国基幹産業の育成発展のために特別に供せられるものである。

<資金の対象>
①資本金500億円以上の東証(大証も可)一部上場の製造業及び銀行の代表者個人
②基幹産業であること(建設、不動産、サービス業等は除く)。

<資金額(基準値)>
①製造業は資本金の10倍。
②銀行は預金残高と同額。
③但し、資金者面談により決定。

<資金使途>
事業資金分は資金計画書を提出し、自己裁量分(約10%)は、明確な計画は必要でないが、意見書の提出を求める。

<返済>
必要なし。管理権譲渡契約によって償還義務は発生しない。

<税務>
法務省、財務省、金融庁の承認資金であるため、免責免税特権を有する。

<費用>
資金の委譲を受けるにあたり、一切の費用を必要としない。

この資金の仲介をしているのは、金井という大手ゼネコンを代表取締役専務で退任し、アジア経済振興協会副理事長である。
申込みに必要な書類として、以下が提示される。
1.名刺(裏面に英文表記があり、和文サインと捺印したもの) 1枚
2.1週間分の日程表(実印で捺印)
3.会社案内(英文、和文) 各1部
さらに、資金管理者との面談の際に必要な書類、資金管理者との2回目の面談の際に必要な書類が提示される。

資金管理者は、島田剛一という国際外交評論家という設定になっている。
宮本は、逡巡したが、結局元の上司の坂山電機の菅谷代表取締役専務に話を持っていく。
菅谷は、技術系の履歴だが、社内の派閥争いの余波で、坂山興産という不動産子会社の社長に転出する内示が出ており、自分のキャリアにそぐわないので、処遇に不満を抱いている。
そして、自分で、奇抜な発想のベンチャー的な技術者のR&Dをサポートする仕事をしたいという夢を持っている。
例えば、「水で動くエンジン」、「瞬時に超高熱を発するガスバーナー」、「癌やHIVを治す免疫技術」、「水に溶けないといわれた金やチタンなどの物質を溶解する技術」等々であり、それらを「とんでも研究」と名づけ、そのインキュベーターになろうということである。

これらのプロジェクトを遂行するためには、1つの案件でも2桁の億の金が必要になるだろう。
菅谷は、この資金があれば、次々に開発ができることになると夢を膨らませる。
そうなれば、坂山電機のトップも、自分を辞めさせることはできないだろう。
菅谷は、たとえこの話がダメになっても、どうせ坂山電機を辞めるつもりでいたので、ダメ元というつもりで、この話に乗ってみようと考えたのだ。
資金管理者の島田と面談するのに、大手都銀の第一産業銀行本店の役員応接室が指定された。

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2009年2月 5日 (木)

小説M資金2『極秘資金』

長岡哲生『極秘資金』講談社(0801)も、「M資金」に似た極秘とされている資金を扱った小説である。
奥付の著者略歴には、長岡氏は以下のように紹介されている。

一九五一年、兵庫県生まれ。
ダイヤモンド社にて、
「週刊ダイヤモンド」編集長、雑誌局長、
代表取締役専務などを歴任。
現在は、経営コンサルタントのかたわら
雑誌等で執筆活動を行なっている。
この作品が小説デビュー作となる。

「週刊ダイヤモンド」といえば、歴史のある経済誌である。
経済社会の表裏のさまざまな情報が入ってくるであろう。
そうした経歴によって得られた知見をもとに書かれた小説である。
末尾に、「この作品はフィクションであり、登場する人物、団体等は実在するものとは関係ありません」と書かれている。
もちろん、直接的に材料として取り入れられている実在人物等はいないだろうが、ヒントになっている事件などはあるのではないか、と想像される。

主人公は、坂山電機という大手家電メーカーのマーケティング部長の職にあった宮本誠という人物である。
宮本は、上司の人事的な思惑から、子会社への出向を命じられる。
出世コースにあった宮本にとっては、死刑宣告にも等しい衝撃だった。
その衝撃を受け止めきれず、早期退職者の募集に乗ってしまう。
それが宮本の運命を大きく転回させることになった。

坂山電機時代の知人の広告会社の社長の紹介で、アセット・コンソーシアムという会社を紹介される。
不動産ファンドなどを組成する会社であるが、その会社が、データベース会社を買収することになり、その社長をやらないか、という誘いである。
不動産会社も、不動産の証券化などにより、最先端の金融業という側面も持つようになっている。
バブル崩壊によって、不良債権化した不動産が全国に出回った。
それに目をつけたのが外資である。ハゲタカファンドなどと呼ばれているが、屍を漁ってエサにするハゲタカのように見える、ということであろう。
ちなみに、ハゲタカという鳥は生物分類学上は存在せず、ハゲワシのことをハゲタカと呼んでいるようである。

価格が大幅に下落した不動産を、安値で買い取り高級ビルなどに仕立て直すことによって、大きな利益を得ることができる。
この不良債権化した不動産の有効活用を図るため、法律が改正されて、特別目的会社(Special Purpose Company)が認められるようになった。
宮本は、社長をやってみることを決意する。
アセット・コンソーシアムのオーナーである平岡から、定常業務の他に、特命として、未公開株の譲渡に関連した調査を依頼される。

「週刊ビジネスジャパン」という経済誌に掲載されたことのある会社の未公開株式を譲渡するという勧誘がなされており、その背景を調べて欲しいということだ。
未公開株式は、普通は定款で、株式の異動については、取締役会の承認を要するという制限が付されている。
だから、未公開株式が流通することは基本的にはあり得ない。
未公開株式の譲渡といえば、記憶にあるのは、リクルート社による子会社のリクルート・コスモス社の株式の譲渡事件である。

未公開株は、公開することによって流通性が高まり、会社そのものの評価も変わるので、株価は高騰する。
したがって、公開が見込める未公開株の取得は、キャピタルゲインを得る大きなチャンスである。
リクルート・コスモスも、公開が確実な状態であった。
その株式が、政治家や役人に渡ったことが、賄賂と認定されたわけである。
なんの努力もせずに、巨額の利益を得ることになるのだから、賄賂とされるのは当然であろう。
しかし、事件が起きた1988年頃には、一般には余りそういう認識はなかったのではなかろうか。
リクルート社の総帥の江副浩正氏が、どこまで賄賂性を認識していたかは知らないが、案外、純粋な好意としてのプレゼントのつもりだったのかも知れないなどと思う。

それにしても、「秘書が……」とか「妻が……」と言い逃れようとした政治家や高級官僚の姿は哀れという感じだったのを覚えている。
宮本が調べた案件も、詐欺師たちの策謀によるものだった。
オイシイ話しなど、世の中にそう転がっているものではない。
未公開株式の譲渡など、先ずあり得ないと考えるのが正常な感覚である。
「週刊ビジネスジャパン」という経済誌が登場するが、その編集長や副編集長には、「週刊ダイヤモンド」誌に在籍していたときの経験が反映されているのだろうと思う。

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2009年2月 4日 (水)

浅間山の癒しと脅威

浅間山の噴火活動が活性化している。(写真は、毎日新聞09年2月3日)
2気象庁によれば、今後より大きい規模の噴火の発生が予想されている。

平時の浅間山は、どちらかと言えば癒しの山といえるだろう。
浅間山麓の風光は、多くの文人が愛するものだった。
私は中学生の頃、立原道造の詩を知り、熱烈なといっていいファンになった。
中でも、詩集『萱草に寄す』に収められている詩は、甘く痺れるような感情を喚起するものだった。
私も真似して、ソネットと呼ばれる14行詩を作ってみたりしたが、直ぐに才能が全くないことを自覚せざるを得ず、早々に諦めざるを得なかったりした思い出がある。

  はじめてのものに

ささやかな地異は そのかたみに
灰を降らした この村に ひとしきり
灰はかなしい追憶のやうに 音立てて
樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきつた

その夜 月は明かつたが 私はひとと
窓に凭れて語りあつた(その窓からは山の姿が見えた)
部屋の隅々に 峡谷のやうに 光と
よくひびく笑ひ声が溢れてゐた

――人の心を知ることは……人の心とは……
私は そのひとが蛾を追ふ手つきを あれは蛾を
把へようとするのだらうか 何かいぶかしかつた

いかな日にみねに灰の煙の立ち初めたか
火の山の物語と……また幾夜さかは 果して夢に
その夜習つたエリーザベトの物語を織つた

いま読み返してみても、胸が熱くなる思いがする。
立原が滞在したという信濃追分の辺りは、行ったこともないのに、憧れの地となった。
後に高校時代に学校の行事で、鬼押出しに寄った時には、その奇景と自然の造形力に驚いた。
3年ほど前に、信濃追分駅の辺りを通ったことがあるが、立原道造や堀辰雄などが滞在した頃とは、大分趣が違っているのではないだろうか。

島崎藤村の「千曲川旅情の歌」にも、浅間山が登場する。

……
暮行けば浅間も見えず 歌哀し佐久の草笛
千曲川いざよふ波の 岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて 草枕しばし慰む
……

これも中学校時代のことになるが、何かの折りに臨時で代講のような形で教室に来た教師が、どういう成り行きだったのかは思い出せないが、パイプを銜えながら、この詩を暗誦してみせたことがある。
今では、教室内でパイプを吹かしたりしたら糾弾されてしまうのだろうが、未だそんなことも問題にならない長閑な時代だった。
そして、この五七調の詩を暗誦しているということが、中学生の私には素晴らしくカッコ良く思えた。
直ぐに真似して、「千曲川旅情の歌」を暗記した。思えば純真な中学生であった。

というような次第で、私にとっては、浅間山は、先ずは詩情と旅情の山である。
しかし、一度牙を剥くと怖ろしい山であることも後年知ることになった。
3 今回の噴火でも、 浅間山から噴出する降灰は、西からの風に乗って東京や千葉県にまで到達している(図は毎日新聞)。
首都がちょうど風下に位置しているわけである。
私が、浅間山の大爆発がいかに甚大な影響を与えたことがあるかを知ったのは、利根川の開発史によってである。
天明3年の大爆発は、利根川という全国一の大河の性格を大きく変えてしまうものであった。
噴火による直接の降灰被害だけでなく、噴火によって噴出した火山石などが利根川の河床を上昇させて、氾濫が起きやすくなる状態になってしまった。
また、天明期の有名な大飢饉も、浅間山の噴火による噴煙が、異常気象を招来したのではないか、という有力な説がある。

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2009年2月 3日 (火)

小説M資金『懲りねえ奴』②

安田雅企『追跡・M資金―東京湾金塊引揚げ事件』三一書房(9507)にも、この化学会社の件は取り上げられており、次のように書かれている。

一九九三年暮れから、世界一のインクメーカー、大日本インキ化学工業の社長(六十五歳、当時)が、M資金に引っかかった噂が飛んだ。九ニ年十一月二十五日付けで調査会中央本部という団体へ、彼は念書を入れていた。十兆円を期間三十年、年利一・五パーセント、元利とも二十年後一括返済で借りるためであった。十兆円という巨額のカネを担保なしに借りるという途方もない話なのだが、
「誰にも他言しません。また、書類等を洩らさないことを約します」という本人の自筆と思われる署名、実印を押した念書が、ブラック金融筋に流れ出した。

そして、念書のコピーが裏世界に出回りだしただけでなく、都内の不動産会社「託正」の斉藤社長から、二十億円の損害賠償請求をされた、とある。
設立六十周年記念事業として、本社ビル建設の用地を港区青山に探させ、買う約束だったのが約束不履行となった。
間に入って動いていたのは、調査会本部から同社に顧問として入っていた連中だった。
この辺りの事情は、清水一行『懲りねえ奴-小説M資金』徳間書店(9507)に、かなり精細に描写されているが、実際にどのような状況であったのかは、当事者にしか分からず、多分に清水一行氏の作家的想像力によって造型されていると考えるべきだろう。

安田氏の上掲書では、社長は次のように紹介されている。

大日本インキ社長は弁護士の次男で東大卒。日本長期信用銀行勤務の後、先代社長の一人娘と結婚しムコとなった。欧米の有力化学会社を次々と買収し、一時期買収・合併(M&A)の先駆者として注目を浴びていた。このグループ(注:M資金詐欺師グループ)は交際費を勝手に使える「本部事務局の指定三人」(社長特命担当)以外と、一切協議、相談しないという約束を巧妙に社長から取りつけていた。

この社長の経歴は、固有名詞は別として、清水氏の小説と全く一緒だから、清水氏の小説が、この社長をモデルにしていることは明らかである。
そして、発行年月をみれば分かるように、どちらかがどちらかの記載を参照したということはあり得ない。
安田氏と清水氏の間に情報交換あったとすれば別であるが、それぞれ独立に仕入れた情報だと考えていいだろう。
週刊誌等にも取り上げられた記憶があるので、ある種の公然の秘密といった情報といえるかも知れない。

「M資金」に係わるまで、大日本インキ社長のK社長は、近代的な経営手法によって、同族経営の会社を日本を代表する総合化学会社に変貌させた経営者として評価されていた。
財界を代表することになるであろう経営者の地位が約束されていた、ということもできる。
そのような有能な経営者が、なぜこのような詐欺事件に取り込まれてしまったのだろうか?

1つには、生まれ育った環境から、お坊ちゃん的な甘さがあったということだろう。
順境の時はそれがうまく作用して拡大路線が軌道に乗るが、悪意ある相手の場合には、意外な弱さとなってしまう。
特に、れっきとした上場大企業でありながら、同時にれっきとした個人オーナー会社という場合には、周辺にご意見番もいなかったと推察される。
詐欺師たちが目をつけるのはそのような人物だろう。

タイミングも大きな要素であろう。
創立60周年という節目の年に、何か記念に残る事業をしたいというのは、経営者ならば誰でも考えることであろう。
実際に本社建設の意思がどの程度あったのかは、K社長が亡くなってしまっている現在、推測の範囲でしか分からないが、不動産会社から損害賠償請求をされたということは、そういう話が根も葉もなかったということでもないと思われる。

さらに言えば、ムコ養子という立場の問題もあるかも知れない。
創業者は既に亡くなっていたのだろうが、創業者夫人と二代目の先代社長は存命だったはずである。
2人に対して、功を焦るというような側面も否定できないのではないだろうか。

そして重要なポイントは、紹介者の問題である。
小説では、旧制第一高校・東京大学を共にした代議士の友人からの紹介ということになっている。
K社長は、紹介者の名前は秘匿し通したというから、名前を明かすことがその人に打撃を与えるような人間だった、と推測される。
代議士だったのかどうかは別として(この手の話に国会議員が絡むことはよくあり、ブローカー的な秘書がいることも事実である)、それなりに社会的立場のある人間が紹介した案件だったことは疑い得ない。
だからこそ、K社長も信じて話に乗ったのであり、一旦話に乗ってしまうとなかなか途中で降りることは難しい。

これらの要素が複合して、詐欺師たちの罠にかかってしまったわけで、まことに不幸な事例だったと言わざるを得ない。
そして、問題にしたいのは、紹介者の責任である。
K社長にしても、紹介者がよほど信頼できる人物でない限り、銀行員の経験もあることでもあり、騙されることはなかっただろう。
私は、田母神氏のような社会的立場にある人が、この手の話に係わることはそれだけで指弾されても仕方がないと考える。

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2009年2月 2日 (月)

小説M資金『懲りねえ奴』

田母神元航空幕僚長が紹介に係わったとされる「M資金」問題(09年1月10日の項1月15日の項)は、そもそもが小説的な奇想天外的要素があり、もっと小説化されてもいいかな、と思うが意外と少ない。
その1つが、清水一行『懲りねえ奴-小説M資金』徳間書店(9507)である。

この小説は、まあ清水氏の一連の通俗的な読み物であって、余り品のいい作品とはいえないが、「M資金」を狂言回しにした人間模様が描かれている、ということになるだろうか。
人間模様とは、人間の欲を代表する「金」と「色」で、その「金」の部分を、「M資金」が担当している。
前半部は、法悦会という宗教法人をめぐる詐欺の話で、「国債還付金残高確認証」という証書が小道具として使われる。
大蔵大臣の印があったりして、古典的な「M資金」詐欺ということができる。

後半部は、大東京化学社長の緒方伸也社長をめぐる詐欺話である。
「M資金」の原資は、ブルネイの王族が設定したファンドである。
ブルネイは、石油と天然ガスに恵まれた豊かな国であるが、体制的には王族の支配する前近代的な国家である。
将来的に化学工業に進出するときの備えとして、日本の化学メーカーに資金援助しておこうということで、スルタン資金と称するファンドを設けた。
スルタンというのは、イスラム圏における君主の意味である。
ブルネイは、ボルネオ島北方のイスラム国家である。

WIKIPEDIA(09年1月26日最終更新)では、次のように説明されている。

スルタンの称号を有する国王が国家元首(立憲君主制)だが国王の権限が強化されており、絶対君主制であると言えるだろう。首相は国王が兼任し、閣僚は、国王によって指名される。内閣は、国王が議長となり、行政執行上の問題を処理する。このほか、宗教的問題に関する諮問機関である宗教会議、憲法改正などに関する諮問機関である枢密院、王位継承に関する諮問機関である継承会議があり、国王に助言をする。

そこで目を付けられたのが、大東京化学の3代目社長である緒方伸也というわけである。
大東京化学および緒方社長のプロフィールは、小説では次のように記されている。

(緒方は)日本の代表的な総合化学会社の社長で、単なる社長ではなく、れっきとしたオーナー社長。大東京化学の資本金は一千億円。
会社の総資産は七千億円で、ファインケミカルや、バイオテクノロジーにも力を入れていた。日本では先端技術を持った、すぐれた化学会社であった。
さらに言うと、緒方は婿養子。
東大法学部からニューヨークの大学に留学し、その間日本産業信用銀行の行員として、普通にサラリーをもらっていた。
だが極め付けのトップ頭脳。で、請われて緒方家に入った。
そんなくらいだったから、ソニーやナショナル、ブリヂストンといった日本の代表的会社が、M&Aに手をつけはじめる前、昭和五十五年にアメリカの会社を、六千二百万ドルで買収、つまり“企業の買収・合併”をすでにやっていた。
M&Aにおける日本の先駆者は、緒方伸也だった--。

このような記述を読めば、日本の化学工業界の事情を知っている人間には、どこの会社をモデルにしているか、容易に想起できるであろう。
小説は、創業者夫人の大おばあ様が、詐欺の構図を見破って、詐欺師たちの意図は破綻する。
しかし、次の標的を探して、詐欺話を仕掛けようとする。
「懲りねえ奴」というのは、詐欺師たちのことか、詐欺師たちに騙される側のことか?
「M資金」が確認された事例はないが、「M資金」を信じる人は後を絶たない。

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2009年2月 1日 (日)

疑念深まる「かんぽの宿」譲渡問題

鳩山総務相のように「衝撃的だ」というべきだろうか、それとも「案の定」というべきだろうか?
「かんぽの宿」の譲渡問題をめぐって、新たな事実が知らされつつある。

その第一は、取得(建設)価額である。
日本郵政は28日、オリックスグループに一括譲渡する契約を結んだ「かんぽの宿」70施設の土地取得代と建設費が、総額で約2400億円だったことを明らかにした。
譲渡額109億円とすれば、約22倍になる。
譲渡金額は、入札を経て決まったのだから、公正妥当なものと言えるのだろうか?

その第二は、旧郵政公社が、2007年3月に、競争入札で7社に115億円で一括売却した178か所の土地・建物のうち、評価額1万円とされた鳥取県岩美町の「かんぽの宿・鳥取岩井」が、半年後に社会福祉法人に6000万円で転売されていたことである。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090130-OYT1T00952.htm
現在は老人ホームとして使われているが、社会福祉法人の当時の担当者は「6000万円は相場を考えてこちら側が提示した。1万円の評価だったとは知らなかった」と話している。
日本郵政会社によると、同宿は1978年に4階建て、延べ4219㎡で建設され、土地は1万3000㎡。
日本郵政によれば、05年度に2700万円、06年度にも4200万円の赤字を計上した、という。

時価評価額を算出する方法に、ディスカウント・キャッシュ・フロー(DCF)法という考え方がある。
WIKIPEDIA(08年11月28日最終更新)では、次のように説明されている。

ある収益資産を持ち続けたとき、それが生み出すキャッシュ・フローの割引現在価値をもって、その理論価格とする。たとえば、株式ならば企業の将来キャッシュ・フローを一定の割引率を適用して割り引いた割引現在価値をもって理論株価とする。
……
将来キャッシュ・フロー計画が高い確度で計算可能で、客観的に妥当な割引率を算出、適用できた場合には、他の方法では得られない個別資産の特殊性を踏まえた評価が可能となる方法とされる。

「かんぽの宿・鳥取岩井」のキャッシュ・フローはどうだったのだろうか?
キャッシュ・フローと損益は、減価償却などの要素があるので、一致しない。
日本郵政は、個別施設の財務諸表を公開しているだろうか?
おそらくは、公開していないだろう。
私が検索した限りでは、日本郵政全体の中のセグメント情報として、例えば保険事業の損益計算書や貸借対照表の情報はあるが、個別施設の情報は分からなかった。

仮に、「かんぽの宿・鳥取岩井」の将来キャッシュ・フローがマイナスだとしたら、この施設はタダで譲渡してもいい、という理屈なのだろうか?
冗談ではなく、1万円ならば、私だって買うことができる。
まあ、「買ってどうするの?」と問われれば、別にアイデアがあるわけではないが、半年で6000万円で転売できるとすれば、それを「濡れ手で粟」、「錬金術」と言わずして、何と言えばいいのだろうか?

社説等を見ると、入札手続に瑕疵がないとするならば、鳩山総務相の「待った」はおかしい、とする見解が多いようである。
西川善文日本郵政社長も、公正な手続きを経て決定したものだ、と主張している。
しかし、総務相の理解が得られないならば、「オリックスへの譲渡は横に置いて(すなわち一時的に留保して)」入札手続等の検証を、第三者委員会を設けて行うとしている。

しかし、私は、瑕疵のない手続きで行われた、とするところに問題があるのではないか、と考えるものである。
その結果が、2400億円の原価のものを109億円で譲渡する、ということになったのである。
手続きというよりも、もっと深い構造が隠されているのではないか?
「かんぽの宿・鳥取岩井」を再転売で取得した社会福祉法人は、相場を考えて6000万円を提示した、という。
半年で6000倍である。単利で計算しても、1年で12000倍である。
120万%?
ジンバブエでもあるまいし、そんなことが許されるはずはないだろう。

今回のオリックスへの譲渡も、雇用の継続と転売の禁止が条件だったことが強調されている。
しかし、雇用については1年間、転売禁止期間については2年間だということである。
あってなきが如きシバリではないだろうか?
私は、入札過程の検証も当然行われるべきであるが、何よりも、個別施設までブレークダウンした精細な財務諸表的情報の開示を行うべきだと考える。

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