珍説・奇説の邪馬台国・補遺…⑥「田川郡・京都郡」説(坂田隆)
日本古代史に対する強力な論者の1人として、坂田隆氏がいる。
坂田隆氏は、古田武彦編著『古代史徹底論争-「邪馬台国」シンポジウム以後』駸々堂(9301)所収)に、「考古学から探る邪馬壹国」という論文を寄稿している。
その<執筆者紹介>欄によれば、以下のような履歴(当時)である。
昭和23年生まれ。仏教大学文学部卒業、京都大学大学院工学研究科修了。現在、大阪府立東豊中高校教諭。著書に『古代天皇家の謎』、『邪馬壹国の論理と数値』(以上、新人物往来社)、『卑弥呼をコンピュータで探る』、『分割された古代天皇系図』、『卑弥呼と倭姫命』(以上、青弓社)。論文に「『盗まれた神話』批判」(『鷹陵史学』7)。
履歴から分かるように、はじめ坂田氏は工学系の学問を学び、その素養の上に日本史学を学んだ。
数理に明るいことにおいて、安本美典氏の好敵手ともいえ、安本氏の推論の批判者でもある。
上掲書において、坂田氏は、邪馬壹国の所在地を定める方法は、次の2つであるとしている。
A.『三国志』に記された里数・日数・方向を検討すること
B.考古学を用いること
そして、『三国志』の読解には、次の2つがあるとする。
a.だから発想:史料に「東南」と書いてあるの「だから」東南に行くべきだ
b.けれども発想:史料に「東南」と書いてある「けれども」東南には行かない
坂田氏は、史料読解の態度としては、「だから発想」が正しく、自分は「だから発想」に立って、ただただ『三国志』倭人伝に忠実に従って、邪馬壹国を求める、とする。
しかし、『三国志』によって邪馬壹国を求めても、その地が考古学的遺物に恵まれていなければ、邪馬壹国とはできない。『三国志』を忠実に読解して邪馬壹国を求め、その地の考古学的遺物が優れていれば、そこが邪馬壹国である。
つまり、史料読解が必要条件、考古学的知見が十分条件、ということになろうか。
それでは、坂田氏の読解は、どこに導くであろうか?
坂田氏は、『三国志』倭人伝の行路記事で最も肝要な部分は、末盧国から伊都国への方向を述べた部分であ る、とする。
東南陸行五百里、伊都国に到る
新井白石以来の多数派説は、「末盧国=唐津市、伊都国=糸島郡」と比定するものであった。
しかし、唐津市から糸島郡への方向は「北東」であって、『三国志』と一致しない。
だから、「末盧国=唐津市、伊都国=糸島郡」説は棄却されなければならない。
次に、坂田氏は、邪馬壹国の位置について、不弥国との関係をみる。
『三国志』には、「郡より女王国に至る万二千余里」とある。帯方郡から、不弥国までの里数を合計すると、余を1~7の平均の4だとみると、12,300里になる。
もちろん、厳密に「余=4」ではないが、「不弥国~邪馬壹国」は、約100里で、約8kmの距離ということになる。
問題の「水行十日陸行一月」を、帯方郡からの日数とする説に従えば、そのほとんどが不弥国までの行程で費やされていることになり、邪馬壹国は、不弥国のすぐ南に位置していることになる。
末盧国から邪馬壹国までの位置関係をまとめると、図のようになる。
それでは、末盧国はどこか?
従来の多数派説は、「末盧国=唐津市あたり」としているが、そうすると、邪馬壹国は佐賀県小城郡・佐賀郡あたりになって、「女王国の東、海を渡る千余里」という記述に合致しない。
つまり、、「末盧国=唐津市あたり」を前提としたすべての説は棄却されなければならない。
坂田氏は、「末盧国=福岡県遠賀郡近辺」だとする。
それは、『三国志』には、「末盧国」は、一大国から千余里のところとしているが、方向は示されていないが、「一大国=壱岐」から東に千余里とすると、遠賀郡付近になるからである。
その東南へ約40kmの位置、つまり福岡県田川郡・京都郡が、邪馬壹国の所在地である。
東に瀬戸内海が広がり、千余里渡れば山口県で、「女王国の東、海を渡る千余里」を満たしている。
考古学的遺物(例えば、弥生時代終末期の鉄製の刀の分布)からしても、田川郡・京都郡は、集中地域である。
つまり、「邪馬壹国=田川郡・京都郡」は、考古学的にも十分な裏づけを持っている、と言ってよい。
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