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2009年1月 4日 (日)

珍説・奇説の邪馬台国・補遺…④「朝鮮半島」説(山形明郷)

「魏志倭人伝」における「倭」は、地域的には日本列島のことを指す、ということが暗黙の前提になっている。
もちろん、邪馬台国の所在地について、内田吟風の「ジャワ島」説や木村鷹太郎の「エジプト」説などの列島外説もあるが、これらは一種のトンデモ説と捉えられていると考えるべきだろう。
しかし、東アジア史を根本から再検討し、倭は古代における朝鮮半島を指していた、とする議論がある。
山形明郷『邪馬台国論争 終結宣言』星雲社(9505)で追究されている議論である。
議論の内容は、以下のサイトにおいて、概要が示されている。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~takao-3/

著者の山形氏は、宇都宮市在住の在野の古代東アジア史研究家である。
上掲書の冒頭に付された、栃木県婦人ペンクラブ会長・吉田利枝氏の「書評」を引用しよう。

「正史二十五王朝史」総冊実に二百八十九冊・三千六百六十八巻に上る驚異の大冊原書に加え、「戦国策」「国語」「春秋左伝」「十八史略」「高麗史」「三国史記」等々、更に、現・人民中国編集委員会が発行する「月刊・人民中国」そして、李鐘恒氏をはじめとする現・朝鮮半島内学者と共に、在日朝鮮公民として亦斯界で活躍される全浩天氏諸兄の関係著作論文、その入手に苦労されたであろう往年の「大満州国地図」「中国歴史地図」をも机辺にされ、これら厖大、広範な古文献、多彩な諸資料を丹念に解読・精読を重ね更にこれら叙述内容への精緻な比較・照合・検索・検証に亦精魂を傾けられ、待望久しかった私どもは、この程漸くにして上梓完成されたこの珠玉の大著に見えることができた。

上掲書には、山形氏が参照した『史記』以下の浩瀚な「参考文献」のリストが提示されているが、すべて中国から取り寄せた原書とのコメントが付いており、山形氏の漢文に関する素養が卓絶したものであることが窺える。
2_4山形氏は、従来の史家は、『倭人傳』と訣別出来かねていることが問題で、それは『倭人傳』を『日本古傳』と誤解していること、この傳記を解釈する際の既成の史的知識に原因がある、としている。

山形氏は、上記の吉田氏が紹介しているような広範な文献を精査した結果、既成の史的知識に関して、次の3項において誤認があるとする。
①古代朝鮮の所在地
②漢帝の植民市、楽浪・帯方の所在
③前三韓、馬韓・辰韓・弁韓の所在

山形氏によれば、『魏志倭人傳』は、「中国遼東半島方面から今日の朝鮮半島方面の古代の或時期の史実の残片と、南2_5支南方方面の土着人の国情習俗などの傳風聞を巧みに混淆させて綴られた雑記文の一種で」、「『半島古傳風聞雑録』とでも言えようか」ということになる。
そして、帯方郡と楽浪郡の所在地について、従来の定説は誤りで、正しい位置図を示している。

2_3邪馬台(蓋馬)国の所在地については、「鴨緑江北岸・渾江口より遡ること9kmの古馬嶺村周辺から、麻天嶺の中間地域」ということになる。
山形氏の学識と努力には、率直に敬意を表したいと思う。残念ながら、私には批判的に捉える能力に欠けているが、山形氏の著作に示されている読解は、象牙の塔のアカデミストを凌駕する力業ではないかと思う。
素人的な素朴な疑問として言えば、「邪馬台国」は、「魏志倭人伝」に記された名前であることからして、「魏志倭人伝」を疑って、邪馬台国論争を「終結」できるのか、という気がすることを付言しておきたい。

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