京都府木津川市馬場南遺跡で寺院跡が見つかる
昨年10月、万葉木簡の出土が報じられた京都府木津川市の馬場南遺跡で(08年10月23日の項)、730~780年頃の推定される寺院跡(仏堂跡や池の跡など)が見つかった(現場写真は、産経新聞09年1月14日)。
木津川市教育委員会と京都府埋蔵文化財調査研究センターが、1月13日に発表したものである。
同遺跡は、恭仁宮と平城宮の中間地点にあるが、都市再生機構の宅地開発計画に伴い、一帯2200㎡を調査していたものである(位置図は、http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is81023a.htm

これまでに、8000枚以上の灯明皿が出土していて、大規模な法要の燃灯供養が行われていたと推測されており、三彩陶器や「神雄寺」と書かれた土器なども出土しており、この神雄寺の跡ではないかとされる。
仏堂跡は、天神山(94m)南側斜面で見つかったが、柱跡や四天王像の破片、須弥壇の周りに張り付いていた平瓦が出土した。
遺物にはいずれも火災の痕跡があり、仏堂は幅5m、奥行き4.5mで、庇を南側に伸ばした入母屋造りで、堂内の大半を須弥壇が占める特異な構造だった。
須弥壇の地面は周囲よりも高く、中央に心柱の礎石の抜き取り跡と見られる穴がある。
築山状の須弥壇に、山や水を造形した三彩陶器を並べ、周囲に四天王を配したとみられる。
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2009011300174&genre=M2&area=K00
須弥壇の三彩陶器の破片には、緑や黄色が残っており、図のようなものであったと推測されている。http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is81023a.htm
仏堂南側の谷では、約100mにわたり川をせき止めた池の跡が見つかった。
池のほとりに、仏堂前に造成されたテラス状の平地に掘っ建て柱の建物跡があり、中軸線や向きが仏堂と一致していることから、礼拝用の建物とみられる。
馬場南遺跡一帯は、奈良時代に権勢をきわめた橘氏が支配しており、猪熊兼勝・京都橘大名誉教授(考古学)は、「付近には橘諸兄の別邸や寺院nもあり、子の橘奈良麻呂ら有力貴族の私寺の可能性が強い」とみている。
森郁夫・帝塚山大教授(歴史考古学)は、「大量の灯明皿や貴重な奈良三彩が出土したことを考えると、新薬師寺で、延命を願う大法会・燃灯供養を行った聖武天皇がかかわったのではないか」としている。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/kyoto/news/20090114-OYT8T00011.htm
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