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2008年12月 3日 (水)

邪馬台国に憑かれた人…④鳥越憲三郎と「出雲神話」論

邪馬台国に憑かれた人たち』学陽書房(9710)は、小林行雄の次に、鳥越憲三郎を取り上げ、邪馬台国から大和朝廷への遷移を論じている。
鳥越憲三郎は、WIKIPEDIAの見出し項目にはなっていないようであるが、以下のような履歴記事がある。

鳥越 憲三郎氏(とりごえ・けんざぶろう=大阪教育大名誉教授、古代史)(2007年3月)23日午前9時、腎不全のため兵庫県宝塚市の病院で死去、93歳。岡山県出身。
……
東南アジアや中国、韓国、日本などの民族が、中国の長江を発祥とする説を唱えるなどし、2004年度の大阪文化賞を受賞した。

http://www.shikoku-np.co.jp/national/okuyami/article.aspx?id=20070323000459

『日本書紀』では、初代神武天皇と10代崇神天皇が、共にハツクニシラススメラミコトと呼ばれている。
神武天皇は「始馭天下之天皇」であり、崇神天皇は「御肇国天皇」である。
これはどういうことか?
天皇家の始祖は、どちらなのか?

2代綏靖天皇から第9代の開花天皇までの8代の天皇については、記紀には事跡がほとんど記されていないので、「欠史八代」として実在性が疑われてきた。
つまり、ハツクニシラスと呼ばれたのは、元々は崇神天皇で、神武天皇の事跡は、あとから付加されたものではないか、ということである。
「欠史八代」の天皇の実在性に論及したのが、鳥越憲三郎『神々と天皇の間』朝日新聞社(1970)である。

安本美典は、古代の天皇の系譜は正しいが、在位年数は信用できないとして、統計的手法によって古代天皇の在位時期を推定した(08年12月1日の項)。
安本の推定した崇神天皇の時代は、4世紀後半であった。
鳥越も、古代天皇の寿命が不自然に長いのは、神武の即位年を辛酉年に定めたからで、それを合理化するためならば、架空の天皇を挿入すればよかったものをそうしなかったのは、系譜はそのままにしたからだ、とした。
記紀の記述では、神武天皇から孝安天皇天皇までの6代の天皇は、大和盆地の南端の畝傍山のほとりから西南の葛城山麓にかけて転々としていた。
鳥越は、崇神以前を葛城王朝としている。

これらの天皇の記事をどの程度の信憑性をもって読むかについてはさまざまであろうが、大和朝廷の始祖が、大和盆地の南部から徐々に中原に進出してきたとみるわけである。
それは、これらの天皇の妃が、はじめは磯城氏、鴨氏、葛城氏など、大和盆地南部の豪族の出身であり、次第に春日氏、物部氏など北部の氏族も加わるようになることからも推測される。
崇神・垂仁朝になると、大和北部の豪族との姻戚関係はさらに緊密になり、大和盆地だけでなく、列島全体の大王、倭王になっていく、と渡辺は論じている。

記紀の神話では、出雲が大きな役割を果たしている。
一方、「出雲国風土記」には、記紀の「出雲神話」に対応する記述がほとんどない。
これはどういうことか?
鳥越は、「出雲神話」について、以下のように考えた。
鳥越の『出雲神話の誕生 』講談社学術文庫(0610)の内容は、次のように紹介されている。

記紀神話の三分の一以上を占める出雲神話。しかしその出典たる『出雲国風土記』には、記紀とは異なる舞台、神々の美しく雄大な詩が綴られていた。それらを抹殺し、出雲国を強大な国であるかのように仕立てあげた大和朝廷の策略とは、どのようなものだったのか。国引き説話や大神の麗しい物語が、支配者によってねじまげられ、被支配者たちに受け入れられていく過程を解き明かす。

鳥越は、「出雲神話」は、大和朝廷によって作られたものであって、出雲の伝承ではない、とした。
大和朝廷は、自己の支配権が、広く日本全土に及んだことを示すために、大和盆地での出来事を比較的新しく支配地域になった出雲や日向を舞台として構成したのであろう、ということである。

渡辺は、「葦原中国」が出雲というのはありえず、上記のような推論は正しい、としているが、この辺りは、出雲における考古学的な成果と併せてどう考えるか、まだまだ議論を要するところだと思う。

渡辺は、邪馬台国畿内説であるから、次のように考えている。
強大になった「葛城王朝」が邪馬台国を倒して、崇神・垂仁朝をつくった。
「葛城王朝」は、実際は王朝と呼ぶべくもない大和の一豪族で、崇神天皇のときはじめて倭国の大王としての地位を奪ったので「ハツクニシラス」大王と名乗った。
つまり、崇神以前の9代の系譜は、崇神以後に連続しており、その祖先であった。
だから、「欠史八代」の系図を、事跡なしで述べたのだろう。

上記のように考えれば、崇神・垂仁朝には、邪馬台国の継承者としての側面と、新しい王朝としての側面とがあることになる。
この継承と断絶の両面があり、断絶の側面があることが、記紀に邪馬台国が登場しないことの理由であろう、というのが渡辺の推論である。
つまり、邪馬台国畿内説ではあるが、大和朝廷は邪馬台国の正統な継承者ではなく、むしろ簒奪者であったらしい、ということである。

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