珍説・奇説の邪馬台国・補遺…②「南伊豆」説(肥田政彦)
邪馬台国所在地論の1つとして、わが静岡県にも候補地がある。
賀茂郡南伊豆町の南部で、肥田政彦さんという人が唱えたものである。
古田武彦編著『古代史徹底論争-「邪馬台国」シンポジウム以後』駸々堂(9301)に、肥田さんの遺稿として掲載されている。
肥田さんの履歴を、上掲書の執筆者紹介欄から引用する。
昭和4年生まれ。昭和28年大阪大学医学部薬学科を卒業。同大学院修了。昭和38年近畿大学薬学部に勤務、衛生化学・公衆衛生学及び微生物学を担当。同42年助教授になり、後に近畿大学民俗学研究員を兼任。平成3年没。著書に『邪馬壹国(所謂邪馬台国)は焼津・登呂』、『“邪馬壹国西進”箸墓の被葬者は女王壹與』、『卑弥呼は磐長姫、墓は東伊豆町稲取の飯盛山、邪馬壹国は伊豆の下田』、『邪馬壹国(所謂邪馬台国)諸問題の解決』
肥田さんは、「魏志倭人伝」から、邪馬臺国の治所(都)の所在地を推論するための条件になり得る文言を抽出し、「北部九州説」「南部九州説」「四国説」「大和説」「その他の説」「南伊豆町南部説」の各地説が、その条件に適合するかしないかを表にしてまとめて、その条件のすべてに適合する地として、南伊豆町南部を挙げた。
そして、南伊豆説で考えると、従来、邪馬壹国に関して諸説の出る原因となった以下の2つのポイントが矛盾なく説明できる、としている。
①郡(帯方郡治所)より倭(倭国の治所=邪馬壹国の治所)に至る迄の萬二千餘里についての
②方向の謎について
「魏志倭人伝」の冒頭は、「倭人は、帯方東南大海の中に在り」とある。
つまり、日本列島は、帯方からみて東南の方向にあると認識されていた。
言い換えれば、日本列島に行くには、東南の方向に進行するという認識である。
肥田さんの帯方郡から邪馬壹国の治所への行程図を示す。
確かに、帯方郡から東南の方向に進んでいる、といえる。
邪馬壹国は、山壹國であり、山王朝第二代女王壹の国で、壹が伊豆(イツ)として残ったというのが肥田さんの説明である。
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